浄夜 その一 - 2011.07.31 Sun
高等部の僕の寄宿舎の部屋から見る夜空は美しい。
星月夜も格別だが、下弦の三日月は昔、絵本で見たゴンドラに似て、夜天を漂っているようだ。
今夜は晴れ。星も月も隠れる雲はない。
きっと、今夜、彼はやってくるだろう。
「メル、来たよ」
ベランダの硝子を二回叩き、ドアを開けて姿を見せたのは、アーシュ。
僕より二つ下の中等科の二年生だ。
二階にある僕の部屋に、椋木を昇ってやってくる。
十一月のこの時期、空気は冷たく、夜露は霜柱に変わると言うのに、彼はパジャマの上にタフタのコート一枚を羽織ってやってくるのだ。
部屋に入れたアーシュの身体を、僕はそっと抱きしめる。
暖めるには一番手っ取り早いからだ。
アーシュも嫌がらない。
ふふと笑い、「メルはいつもあったかいね」と、身体を摺り寄せる。
もうすぐ13になるアーシュは伸び盛りだが、僕よりも頭ひとつ程低い。
濃い褐色の柔毛から、いつものように薄荷草の匂いがする。
瞳を見つめる。
今夜は嫌に艶っぽい。
その意味は聞かなくてもわかっている。
浄夜
アーシュを見たのは、彼が学長のトゥエに拾われたその日だった。
保育所に連れてこられたアーシュは、とても小さかった。
保育所では幼子は珍しくないし、赤子だってよく見ていた。だけどこんなにも生まれたてを見たのは初めてだったから、その小ささに驚いた記憶がある。
純真無垢な姿に誰もがかわいいと微笑んだ。
赤子のアーシュの髪の色は薄い灰色だった。
瞳の色は今と変わらず、深淵の藍色。星が散らばっている。
彼は捨て子にもかかわらず、誰彼構うことなく感情をばら撒かせ、元気に泣き喚き、笑い、甘えていた。
当然の如く、誰もがこの子を愛しく思い、大事に育てた。
アルトは他人を信頼したり、愛したりすることは苦手だ。
対応する相手の心の複雑さにこちらが疲弊してしまうからだ。
もし誰かを愛してしまったら、頼りきってしまったら…後はいつか来る裏切られる日を恐れて生きなければならなくなる。
愛も信頼も、初めから無いほうがマシだと、僕ら、アルトは考える。
より力を持ったアルトは余計にそうだ。だって、他人を頼る必要がないのだから。
ただ、アーシュの無垢なかわいらしさは、信頼や愛とは関係なく、「癒し」として保育所の皆を幸せにした。
アーシュには生まれ持った品格があった。
彼は生まれながらの王かも知れない。
だが、それを気づかせない通俗的な観念の姿でいるから、粗方は誤魔化された。
彼は民を弾きつけるには、万全の姿で存在する。
僕は彼をずっと見ていた。
彼に惹かれ続けた。
彼を振り向かせたいとか、愛し合いたいとかではない。
彼の心と身体を犯したいという俗物的欲望だった。
また、同時に彼の足元に平伏したい。とも願った。
この相反する欲望は、歳を追うごとに膨らみ続け、だが比例して、それを抑える理性も育っていくものだから、僕の中で見事に調和されつつあった。
13の時に「真の名」を学長から与えられた。
学長トゥエの前に跪き、その名を頂いた時、僕が求めるものは、この力で何を示せるか、の答えだけだった。
僕の為すべき道をトゥエに質した。
「君はカノープスだよ、メルキゼテク。時代を導く者」と、彼は言う。
その言葉を僕はこう解釈した。
時代を導く者を、導く案内人。
ではその導く者とは一体誰だ。
…聞かなくても知っていた。
だから僕は聞いた。
「アーシュは…何者なのでしょうか」と。
トゥエはそれぞれの両手の人差し指を天と地に向けた。
これもまた、無限の解釈ができる。
見る者の受け取り方は千差万別だ。
光と闇を統べる者、その逆。
それを統一する者、または壊す者。
均衡。新しい未来…
そして、無。
「未来は動いています。彼が何を選ぶか、私にはわからない。だが彼に委ねるしか無いのです」
「では、ルゥは…ルシファーの存在は」
僕はこの時点でルゥの「真の名」がルシファーだと突き止めていた。
後に続く名はどうだっていい。最初の名が総てなんだ。
「ルゥはこのサマシティの子ではない。我々の未来とは関係がないのです」
「だけど、アーシュはルゥを選んでいる。ならば未来は彼を引きずりこんでいる」
「彼はここに居る存在ではない。彼もそれを知る時が来る。それまでの仮宿なのです」
「…」
アーシュはそうは思ってはいまい。
ルゥはアーシュが4つの時に拾ってきた子だった。
繊細で綺麗な子だった。アーシュは彼を「セキレイ」と呼んだ。
その名によりルゥはアーシュの刻印を受けている。
彼らは双子のようにくっついて遊んだ。
僕はうらやましくてたまらない。いや、保育所の誰もが彼らを羨んだ。
すべてを委ねあう者が、親のない僕らにはいないからだ。
アーシュは僕の存在を意識していなかった。
保育所で育ち、ずっと一緒に暮していながら、彼にとって僕は他の子と同じ大勢の中のひとりでしかないのだ。
彼は天性の無頓着さで、他人を自覚しない。
彼の目に認められた者が、彼との絆を繋ぐ事ができるのだ。
それは王である彼に許された傲慢さであろう。
僕は待った。
彼が僕に気が付く、その日を。
彼が僕を求める、その日を。
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浄夜 2 - 2011.08.06 Sat
浄夜 2
中等科一年になったアーシュは「真の名」を頂き、僕と同じホーリーになった。
ホーリーとは「真の名」を持った者だけが呼ばれる学園での称号だ。
その年はアーシュを含め、五人もの生徒がホーリーに選ばれた。
ルゥもそのひとりだ。
そして、もうひとり、貴族であり、この街の黒幕とも言われるカンパニーの一人息子でもあるベル。
アーシュを手に入れたと思う僕にとって、いつも彼にくっついているルゥは勿論邪魔だったが、何よりもあのベルが気に入らない。
その容姿も品格も、ずば抜けた後ろ盾がある経済力もなにもかもが癪に障る。
ベルがアーシュに恋心を抱いていることは、ひと目見てわかっていた。
アーシュもまた彼を気に入っているようだった。
ルゥの他には見せない顔を、あの男にはよく見せる。
僕より先にベルがアーシュを頂いてしまったら、ずっと餓えている僕の忍耐はどうしてくれる。
どうにかして彼よりも先に、僕はアーシュを手に入れたい。
だが、すべてはアーシュの手に委ねられている。
誰を選ぶのも、誰を捨てるのも、アーシュの選択なのだ。
凍てついた満月の夜だった。
深夜ひとり庭先での月見を楽しんでいた僕に幸運が舞い降りた。
アーシュはやっと僕を見つけてくれたんだ。
理由はわからなかったが落ち込んだ憂いの表情も月影で一層儚げに見えて、募る想いが膨らむのは当然だ。
頼りなげなアーシュを、僕は抱きしめる。
ありったけの狡さで君を癒す者になる。
信頼と友情を勝ち得る為に。
二度目の出会いは図書館の書架庫だった。
「天の王」学園構内の中央の聖堂と隣り合わせの図書館は、それぞれの校舎へ放射線状に石畳が伸びている。図書館まで徒歩十分はかかる石畳を好き好ん行く奴は相当の目的を持った奴だろう。遊びに興じる生徒たちは図書館の存在すら知る由もない。
狭い扉から長い廊下を渡り、やっと図書館の入り口へ到着。
入り口のカウンターには司書のキリハラ先生がいる。
東洋生まれの彼は真っ直ぐな黒髪と切れ長の目が印象的。
僕を認めると口端だけで笑い、指で「どうぞ」と、示す。
普通の学生は彼に学生証を確認してもらい、書架庫に入れるのだが、僕の場合は特別。
彼とは愛人関係にあり、彼は僕を気に入ってくれている。
「今日の御香の香りは…清々しいですね」
彼の瀟洒なサイドテーブルには香炉がおかれ、そこから香りを燻らせているのだ。
「香木は『真那伽』。先人はこれを評して『無』と、呼ぶらしい。意味はわかるかい?」
「さあ、御香には詳しくなくて」
「つかみどころの無い、それでいて万物に通じた香り、らしい」
「哲学的ですね」
「君のようだろ?」
「まさか」
アイコンタクトで逢瀬を約束して、目的の書架へ足を向ける。
古い木製の緩い螺旋階段を下りる。
上へ昇ったら、歴史や学習の為の一般の書籍。下へ降りると魔法に関する書籍。
ハイアルトしか読むことが許されないセクションが延々と続く。
そして、高等魔法書の書籍がずらりと並ぶ一番奥の角が僕の閲覧席になる。
小さな窓際に余っていた机と椅子を持ち込み、周りを書架で囲んだら即席の自習室ができあがり。
傍には古い本の保存や、劣化した本を補修する為に一時的に保管する書庫への出入り口がある。
僕がキリハラ先生と逢い引きする場所は、もっぱらそこだ。
誰もこんなところまでは寄り付かないし、中は広いし、案外涼しくて居心地がいいんだ。
マホガニー製のカウチの上で閉館まで楽しむこともしばしば。
伽羅の香を燻らせてやる時の艶かしさはたまらない。
キリハラ先生は大人だし、ハイアルトでもある。色んな魔法の術を手に入れているから仲良くなって損はない。魔法の技術だけではなく、大方の性技は彼から教えてもらった。
彼はとても上手いのだ。
勿論彼の相手は僕だけじゃないし、僕だって彼の他に愛人はいる。
今付き合っているのは同学年のアイラと、ふたつ上のイシュハ。
アイラはアルトで気の利く女の子。お互いにセフレ以上の進展は望んでいない。
イシュハはイルトだが、非常に精神力が強く、信用できる男だ。
彼と付き合い始めたのは、興味本位からだった。
アルトがイルトと付き合ったら、どういうふうな精神状態になるのか、自分で試したかったからだ。
昔から言われる、アルトはイルトに従属してしまうのは何故かと言う疑問は自分で解明したかった。
なるほど、僕の場合でも確かにイルトであるイシュハを一旦信用してしまうと、こちらから裏切るのは罪深く思えて、彼を傷つかせたくなくなる。彼の信用が深ければ深いほど、彼の為にたまらなく奉仕したくなるのだ。
自分の精神がふたつに分かれるとしよう。
彼を冷静に見つめている自分と彼に従属したい自分がいるならば、常に彼の為に何かしたいという欲求が勝ってしまうのだ。それを不思議だと感じながらも、その欲求に従ってしまう。
僕がそこまでイシュハにのめり込まなかったのは、彼がそのことを知って、僕を縛りつけるのを恐れたからだ。彼は「僕らの関係は友情に押し留めておこう」と提案した。
僕は彼の虜になる僕自身を逃れた。
彼の精神力と忍耐に感謝している。
アルトは一旦イルトに惚れてしまったら、魔法をかけられた如く、相手に靡き、従属されてしまうという事実を僕はこの時、実体験したわけだ。
「あ」
いつものように魔法書を解読していると、横の本棚から覗く顔があった。
「メルだ」
アーシュが本を手にこっちを見ていた。
「何してるの?」
嬉々とした顔でアーシュは僕の机に小走りで近づき、椅子に座る僕の隣りに身体を寄せた。そして僕の手元を覗き込む。
「呪文の解読だよ。特殊な文字で書かれてあるだろう?これはラノ語でしか解読できない文字の配列だから一旦ラノ語の辞書で調べて、さらに通常の言葉に直すんだ。それでも音にできない言葉も多いから難しいよ」
「ふ~ん。ちょっと見ていい?」
「うん」
アーシュは原書を手に取り、じっと見つめる。
しばらくして「やっぱわかんないや。まあ、いいや。全部身体に入ったら必要な時は引き出すことにするよ」と、言う。
「何?どういう意味?」
「意味なんかないよ。呪文って音符だね。意味なんかない。解読なんかしても意味ないよ。言葉じゃないもの」
「…面白いことを言うね。アーシュ。じゃあ、どうやって魔法の呪文を唱えるの?」
「…知らないよ。だって今この呪文は俺に必要ないから」
不思議な事をいう子だ。呪文は魔法を使う為にはなくてはならぬもの。言葉が音になり、自然界の精霊や異次元の者を召喚し、己の味方として力を得ることになるのに。
「…」
「でも必要な時は、メルに教えてもらいたいな」
アーシュはあっさりと本を返して、僕を見つめる。その言葉の意味を僕は見落とさないようにしなければ。
「見返りは?」
「身体で払うよ」
ほら、彼はちゃんとわかっている。僕が欲しがっているものを。
「そう、期待してる」
僕は彼の腕を取り、僕の膝に彼の腰を引き寄せた。彼は嫌がりもせずに、僕の膝の上にきちんと腰掛ける。彼の腹に両手を合わせ、彼の耳元に問いかける。
「もうルゥとしちゃったの?」
彼は一瞬驚いた顔を後ろにいる僕に見せたが、すぐに平気な風を装った。
「…う~ん、まだ」
「僕が先に頂いてもいいってわけ?」
「駄目だよ。セキレイと約束してるもの。するのもされるのも一番最初はお互いだよって」
「つまらない約束ね」
「つまらない事には意味があるもんだよ。メル」
そう言うとアーシュは身体を下に捩りつつ、僕の顔を見上げ、僕の口唇にキスをした。
「メルのことを嫌いになりたくないから、俺には優しくしてよね」
初心な色目を使い、アーシュは弾くように僕の膝から離れた。
「司書の先生がお待ちのようだから、お邪魔虫は退散するよ。じゃあ、またね、メル」
そう言って、アーシュはここから離れて行った。
まるで疾風のように、僕の心までも連れ去って。
その後の情事はキリハラ先生を困らせる羽目になった。
なにしろ彼が僕から盗んだ欲情を引き戻すのに一苦労だったのだ。
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浄夜 3 - 2011.09.01 Thu
3、
キリハラカヲルとのセックスはいつでも刺激的で充分な満足感を得られるから好きだ。
彼は僕の初めての相手だった。
初等科の頃から気になっていたんだ。
淡黄白の肌に亜人の風貌とノスタルジックな空気を纏う彼は、「天の王」の住人の大方を占める僕達コーカソイドとは存在感が違っていた。
彼は教師の中でも高位のハイアルトであった。僕にとっては好都合。
彼に指南役を務めてもらうことが僕の願いでもある。
中等科になって図書館に通えるようになってからは日参し、キリハラに興味を持ってもらうように努力した。
僕からお願いして抱いてもらったのは一年の冬だった。
キリハラは生徒を相手にすることを躊躇しない。
誰でもいいとは言わないが、魔力への興味がある生徒には男にも女にも比較的寛大に条件を飲む。
キリハラには自国に奥さんも子供も居るが、もう会うことは無いらしい。何故なら、この「天の王」で残りの生涯を終えることを決めているからだと言う。
三十過ぎの男にしては悟りすぎだろうと責めてみたら、「奥さんに愛想を尽かされたんだ。私があまりにペシミストだったからね。ここへ着てからはそういう感覚も薄くなりつつある。若者の情熱の前ではこちらのつまらない悲しみなんて焼かれて灰になるしかない。それが繰り返されれば悲しむ暇も無いからね」
「じゃあ、先生は今は幸せなの?」
「そうだね。君みたいな綺麗な子を抱いているのだから、不幸とは言えまい」
「ああ…すごくいい」
キリハラカヲルは僕を天まで昇らせてくれる。そしてワープ。異なる世界へ行く。
「senso」の力は行く距離を選ばない。だが好きな場所へ飛べるかと言うとまだ無理だ。
官能と感情は違う。バランスを取るのは難しい。
抑制と恍惚感をグルグルと巡り、辿り着くのは思い出の場所が多い。
緑色のトレーラーハウスが僕の家だった。
一定の場所を決めずに次元を渡り歩いた。僕らはそういう種族だった。
近くに静かな湖畔がある。
僕が両親と最後の夏を過ごした場所だ。
キリハラから身体を離してその家に近づいてみる。
「確かにここは僕と両親が住んでいたトレーラーだ。だがどうやってここへ来た?生まれた場所はここじゃない。どこを旅したのだろう…それを思い出せないんだ」
「記憶で辿るものじゃない。君に起こったことは記憶ではなく、時刻にある。知りたければ時間を遡ればいい」
「…それを知ってどうするの?僕は『天の王』に預けられた。両親が旅を続けるのに僕が邪魔だったからだ」
「両親の気持ちを知りたいのなら、本人達に聞けばいい」
「聞いたところで過去が変わるわけではない。それに…僕はもうとっくの昔に諦めてる。親を恨んだりすることを」
「メルの悪いところはペシミストになりがちな性格だね。この学園に預けてくれた両親に感謝をしたらいいんだよ」
「…それをあなたが言うの?」
「今の私はオプチミストだよ。だからこうやって生徒たちとの情事を楽しんでいる」
僕を包んでくれる暖かい腕が、今の僕の欲しかったものだとわかる。
「アーシュから誘われたんだがね」
書庫でのいつもの情事の後、着物を整えながらキリハラ先生が呟いた。
「え?アーシュが?」
僕としては不本意。だってアーシュに粉をかけたのは僕が先だ。
「そう。『senso』を体現したいから抱いて欲しいって。率直すぎて笑ったんだが」
「それで?」
美人好きのキリハラだからこちらも気が気じゃない。
「勿論断ったよ。あんなの…怖いじゃないか」
「怖い?…」
「その怖さに気づかないところが若さゆえだね。それに、横取りしてメルに憎まれたくないからね」
「良くわかってますね」
「あの子に必要な『senso』は君の方だ」
「…」
闇の様な黒いまなこですべてを見透かされてしまう。
「僕は彼を導くことができる?」
「君の努力次第だよ、メル」
耳元で囁き、キリハラは書庫を後にする。
ねえ、僕らは何に導かれているんだろうね…
「メル、俺ね、セキレイとしちゃったんだけど」
中等科を卒業し、夏季休暇が始まっていた。
殆どの学生は帰省するが、僕らは帰る家が無いから寄宿舎に居残り組みだ。
高等科の寄宿舎への引っ越しも終えた僕は、図書館へ向かっていたところだった。
その途中でアーシュに会ったのだ。
「そう良かったじゃないか。上手くいって」
「そうだけどさ…ほら、前に言ってたじゃない。セキレイとしたら色々教えてくれるって。覚えてる?」
「…」
なんだ?そっちから誘ってくれるのか?
…いや待てよ。美味しい話には毒があるって言うじゃないか。それにこいつは僕よりも先にキリハラを誘っている。
キリハラにフラれたからってこちらがホイホイありがたがるなんて思われるのも癪にさわる気がする。
「僕でいいの?僕が君に教えられるのは多くないかも知れないよ」
「…?」
アーシュは立ち止まって首を傾げる。その様がなんともかわいらしい。…計算だろうが。
「なに?」
とうとうこっちも立ち止まって、問いかける。
「メルはもう俺を欲しがっていないのか?俺とセックスしたいと思わないの?」
「…」
その表情。
照れなんぞ一欠けらも見当たらない。
ああ、降参だよ、アーシュ。
思わず笑い声を上げた。
「したいに決まってるよ、アーシュ。僕はキリハラ先生に嫉妬したのさ。君が彼を誘ったと聞いたからね」
「だってキリハラカヲルはあなたを夢中にさせているのだから、きっと上手いハズでしょ?」
「それは保証するけれど…彼は君が怖いんだって」
「へえ~」
ニヤリと笑うアーシュにゾッとしながらも見惚れていた。
僕の中で欲情が渦巻く。
「…そりゃ益々興味深々だなあ」
そう言って、急ぎ足で僕の横を追い越して図書館の玄関へ向かうアーシュの後を慌てて追いかけた。
僕は完全にアーシュに参ってしまっていた。
キリハラ先生になんぞ、君を渡してなるものか。
キリハラなんかよりも、ずっと君を満足させてやる。
きっとだ。
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浄夜 4 - 2011.09.05 Mon
4、
アーシュは迷う事無く、キリハラ先生を目指して突撃した。
カウンターの内側の自前の机の上で、いつものように古本を補修しているキリハラの姿が見えた。
アーシュは、手に持った本をわざと音が出るように、乱暴にカウンターの上に置いた。
「すみません。返却期限に一日遅れました」
「…これからは遅れないように」
顔を向けたキリハラはアーシュを一瞥して、また自分の手元へ目線を移す。
「こちらを向いて欲しいんですが、キリハラ先生」
そう言われたキリハラは黙って回転椅子を回して身体と顔をアーシュ側へ向けた。
「先生。僕とセックスして欲しい」
さすがの僕も一瞬辺りを見回した。
普段でも静かな館内であり、休暇中の今、いつも以上に人気はないのだから気にはしなくても良かったのだろうが。
「折角の申し出だけど、君とは出来ません」
「何故?あなたは頼まれたらどんな生徒でも相手にしてくれるって聞きましたよ。そりゃ最後までしたかどうかは知らないけれど。けどあなたを悪く言う生徒なんか居ないんだから、上手いんでしょ?どうして僕では駄目なんですか?怖いから?どうして僕が怖いの?理由を聞かせてよ」
畳み掛けるアーシュに気押されたのかキリハラはポカンとアーシュを眺めていた。
しばらくして我に返ったキリハラが困った顔を見せ始めた。
「…学長に念を押されているんだよ、アーシュ。君とは寝ないようにってね」
「…は?」
予想もしなかったキリハラの言葉に僕も、呆気に取られた。
学長自ら、命令するなんて…その意味は、キリハラが大事なのか、アーシュが大事なのか…
悩むところだ。
「そんなの…トゥエにわからないようにすればいいじゃない。秘密の場所はいくらだってある。僕はあなたとの『senso』を確かめたい。これって行為の正当な理屈ですよね」
腕組みをして考えている僕とは違い、アーシュはまだ諦めないらしい。
「私は、この学園で働いているサラリーマンなんですよ。学長のひと言で私の職などどうにでもなる。不況の折、折角の居心地良い職場を失いたくはないんです。わかりますよね」
「だったらトゥエに頼んでみる。あなたと寝る事を了承してもらう」
「…アーシュ、そこまで私に拘る必要はない。君の欲しいものは、ほら、傍らにいるメルが持っているじゃないか。彼は私の良い愛人だよ。できうる『senso』は彼に与えた」
キリハラは僕を指差し、アーシュに僕を選ぶように指示をする。しかし黙って聞く奴でもあるまい。
その証拠にアーシュは納得できない顔でキリハラを睨んでいる。
「メルでは良くて、なんで俺じゃ駄目なんだ。メルに『senso』を教えたなら、俺にだって教えろよ、ケチ」
「じゃあ、言わせて貰うが…私にだって選ぶ権利ぐらいある。君はまだまだ子供だよ。もう少し大人になってからなら考えてやってもいい」
「…」
辺りに響くぐらいにアーシュの歯軋りがぎりぎりと鳴る。
「それより、アーシュ君。君は本の使い方が荒い。もっと丁寧に読んでくれなきゃ、困ります。補修も大変なんだ」
「あなたの仕事が無くならない様にしてやってるだけだろ。ありがたく思えよ。いくじなし!」
捨て台詞を吐いて、アーシュは図書館から出て行く。
後に残った僕とキリハラはアーシュを見送り、その背中が消えると揃ってホッと息を吐いた。
「竜巻みたいな子だ」
「だからいいんじゃない。それより…さっきの話は本当なの?」
「何がだい?」
「学長の…」
「ああ」
「どちらに対しての牽制?」
「勿論アーシュだ。この世でトゥエが一番大事なのは…彼なのだから」
「…」
「言っとくが、性的な意味ではないよ」
「そりゃそうだろう」
「私と学長には当てはまらないが…」
「どういうこと?」
「心を覗いてみたら、メル。それより、ね、したくないかい?今日は控え室でやろうか。誰も居ないしね」
「うん」
いまいち納得できる回答が得られないまま、僕はカウンターの中へ入り、控え室への扉を開けた。
服を脱いで簡易ベッドに寝転がる。すぐにキリハラが僕の身体に乗ってくる。
いつもよりも彼の欲情が強いことに気がついた。
その原因は僕ではなく、アーシュではないのだろうかとも…
彼はすぐに僕の口唇を奪い、幾分乱暴に身体を愛撫した後、繋がらせた。
酷くさせられるのが嫌いじゃない性質の僕は、こういうキリハラも悪くないと思いながら、楽しんだ。
そのセックスに「senso」は要求しなかった。ただ欲望に身を任せることこそ、ピュアなセックスだとも言えるだろう。
終わった後、キリハラは少しだけ決まりの悪い顔を見せた。
冷静さを失わない彼を打ち崩した本人を恨んだに違いない。
僕はそういうキリハラにイジワルをしたくなった。
「ね、先生」
「なに?」
キリハラの腕枕に頭を乗せ、キリハラの黒髪と僕のアッシュの髪を絡ませる。その色合いを楽しむのが好きだ。
「あなたは本当にアーシュを抱きたくないの?子供だからって言ったけれど、彼は充分すぎるぐらいに妖艶だし、すでにルゥと交わっている。彼を避ける言い訳にしか聞こえないけどね」
「なんだい。妬いているんじゃなかったのかい?メルは」
「そうだけど…学長が絡むなんて…思わなかったから」
「勿論…アーシュは魅力的だし、彼に欲情したのは認めるよ。だが、あれは私が手を出すべきものではないんだよ」
「その意味を教えてくれる」
「どうしても知りたい?」
「勿論誰にも言わないし、あなたを裏切ることは絶対にしないと誓うよ」
僕は胸で両手を重ね合わせ、そして祈った。
「ある人の枕話に聞いた作り話だ。そう思って聞きなさい」
キリハラはひとつ溜息を付き、目を閉じながら話し始めた。
昔、力のある召喚士がこの世の乱れを嘆き、粛清する力を持った魔者を呼び出そうと毎日食も取らず、寝ることも惜しみ、召喚を続けた。
何日もかけて複雑な魔法陣を黄玉の張り巡らされた床に描き、一心不乱に詠唱を唱えながら、来る者を待ち続けた。
そしてとうとうひとりの魔者を呼び出すことに成功した。
彼は稀に見る美貌であり、知らぬものは誰一人として居ないほど高名で、魔者の中でも最高位の力を持っていた。
だが彼は気まぐれでもあった。(魔者のほとんどが些細なことで意思を変えることは良くある)
召喚士は自分の命と引き換えに、この世が整然と美しく、また人々が豊かに暮せる未来を示して欲しいと、その魔者に願った。
魔者は頭を捻った。
平和や美しい未来など、今まで願われた事はなかった。皆、自分の名声や権力、金、不死、つまりはエゴしか求めなかったからだ。
変わり者の魔者はこの変わり者の召喚士を気に入った。
彼は召喚士にこう言った。
「おまえの望みは変わっている。平和な未来とはなんだ?今までの歴史に平和であったことがあるのか?一見平和に見えても、その実人間は平和など求めてはおらぬではないか。人間の、いや生きる者の宿命として、戦いやそれに伴うエゴは決してなくなる事はない。またそれが生きる者の本性ではないのか?」
「私が平和や安静を求めるのもエゴではありましょう。ただ、この世界に魔法使いとそうでない者がいることが、近い未来の争いの種となることは必定。それを除きたいと願ってはいけませんか?魔力は争いに使うものではなく、愛を奏でるものでなければならない」
「お前達の言う『senso』の世界を貪りつくしたいというわけか。この世のあらゆるものを欲するよりも最も傲慢な願いだ。だが…それがおまえの本性であるのなら、私も無碍にはしない。私こそが変わり者であるが故、おまえに委ねてみよう」
「それでは、願いを聞き入れてくださいますか?」
「そうだな…」
魔者はニタリと恐るべき笑みを漏らした。
召喚士はこの魔者を呼んだことを後悔し始めていた。魔者の震える程の美貌からは、同情すら見当たらない気がしたからだ。
魔者は魔方陣の中で、炎をチラつかせ、優雅に歩きながらもったいぶるフリを見せた。
「ああ、面白い趣向を考えた」
立ち止まった魔者は独り言のように呟いた。
「なんでしょう」
跪いたままの召喚士は、魔者の次の言葉を待った。できるだけ不運が少ないようにと願いながら。
「私は私を無垢の姿で生まれさせよう。魔が何かも知らぬ生まれたばかりの赤子の私をおまえが育ててみるがいい。上手く育てられれば、私はおまえの願いを叶えることができるだろう。で、なければ、私はおまえを…この世界を、破壊してしまうだろうね。この本性であるが故に」
「そんな…私があなたを育てる?…私が?無理だ。魔王を育てるなど、できるはずもない」
「想像しただけでも面白いではないか。赤子の私はさぞや美しかろうな。魔に魅入られるほどに…上手く育てろよ。おまえの望みが叶う様に…」
「待ってくれ…」
召喚士の言葉が終わらぬうちの魔方陣は炎に包まれた。
そして次第に炎は小さくなり、魔方陣の光は消え去った。
後に残ったものは生まれたばかりの光り輝く美しい赤子だけだった。
もうちょっと頑張って週二回更新にしたいんですが…そうしないと話が終わらないのです(;´Д`)
ここでアーシュの出生を書くのは早いと思いつつ、多分、これが正解だと思って書いた。メルには知って欲しかったので。
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浄夜 5 - 2011.09.09 Fri
5、
キリハラの話が真実なのか、ただの作り話なのか…すぐには判断できなった。
もし…それが事実であり、魔王がアーシュだとしたら…
僕はそれを「へえ~興味深いね」と、笑って鵜呑みに出来る気分には到底なれない。
「先生、教えてください。…召喚士とは学長を指すの?」
「…」
「そして…魔王とはアスタロト。そして産まれた赤子はアーシュ…そういうことなんですか?」
「学長から聞いた話だよ。それが真実かただの作り話なのかは、私に言えるわけもなかろう。私が見たわけではないのだから」
「だけど、そういう風にしか聞こえないし、捉えられないじゃないか。なぜ、そんな大事なことを僕に話したの?アーシュが魔王だなんて…」
驚きの感情は段々と憤りに変わっていく。
なんてことだ…
知らない方が良かった。
僕はもう引き下がれないほどに、アーシュに固執している。彼をものにしたいと思っている。それを今更、彼自身が魔王アスタロトなんて。
そんなのをおいそれと抱けるわけが無い。
「あなたを恨むよ。こんなの、聞かなきゃ良かった…」
ベッドから離れ、ガウンだけを羽織ったキリハラを、僕は思い切り恨んだ。
「知りたいと私に乞うたのは君だろう」
「酷いね。アーシュの目の前であれだけ焚きつけておいて。全部僕に責任を負わせる気なの?」
「責任か…」
キリハラはガウンの前を留めないまま、ベッドの端へ座り込み、僕の頬を撫でた。
「悪かった。だが、君に乞われなくても、いつかはメルに話そうとは思っていたんだ」
「…どうして」
「私は、今までに何度も想像したよ。学長が…トゥエが目の当たりにした光景を。目の前に現れた魔王、アスタロトの事を。自分を育ててみろと言い残して、赤子になった魔王を、彼はどれだけ見つめていたのだろうと。生まれたばかりの非力な赤子に未来を託していいものなのか。希望と絶望を愛らしい両手に握り締めている存在。いや、人間の未来を魔者に委ねること自体、正しきことではない。未来の為には、この魔王である赤子の命をひと思いに奪ってしまった方が良いのではないか。そうすれば、ひとりの残虐な魔者を退治したという事実は残る。…トゥエはきっと悩んだと思うんだ。魔方陣の消えた床の上で、ただ泣き続ける赤子を腕に抱いた時、彼はその赤子の小ささに、温もりに泣かずにはおられなかったと言う。なにひとつ人間と変わらぬ無垢な者だったと。彼はとうとう決心をした。この赤子を自分の手で育てようと」
「…」
「アーシュを、魔王の子として育てることも可能だったろう。だがトゥエは学園の中の他の子供と同じように育てた。それはメル、一緒に暮してきた君が一番良く知っているはずだ」
「ええ」
確かにアーシュが特別扱いされた記憶はない。彼が特別秀でていた者だとしても、彼の容姿からしたら当たり前の事だし、アーシュ自身、人として何かが違うと感じてはいない気がする。
「アーシュのことを知っている人は、どれくらいるの?」
「さあ、学長はお伽話としか言わないし、もしこの話を聞いてもアーシュの事だと感じる者は少ないだろうね」
「じゃあ、なぜあなたは今僕に、それを言うのさ。それを聞いた僕が今までどおりにアーシュと付き合えると思う?どんな顔をして彼の前に立てばいい。僕は…彼を抱きたいとさえ思っているのに」
「そうすればいい」
「無理だ」
「何故?」
「アーシュが魔王なら…恐ろしくて、立つものも立たないさ」
僕は自嘲気味に笑った。
本当にそうだと思った。事実今の僕には彼への欲情なんか畏れ多くて微塵も沸いて来ない。
「トゥエがお伽話にしてまで、この事実を話したかったのは自分ひとりで抱え込むには重大だし、恐ろしかったからなのかもしれないね。そして私もアーシュに誘われても、彼を抱く勇気は無い。だけど君は違う。メルキゼテク。水先案内人だろ?アーシュは、彼は一人の人間としてこれまで育ってきた。彼を取り巻く様々なものが彼を育てている。そのひとりとして君の力が必要だと思っている」
「…それはトゥエが?」
キリハラは黙って頷いた。
そうか…トゥエがキリハラに語ったことも、キリハラが僕に話したこともすべて、トゥエの計算なんだ。自分の願いを叶える魔王を育てることが彼の目的なのだろう。
それを叶える為に配置されたコマが僕なのか…いや、僕だけじゃない。
「ルゥとベル…ホーリーたち。彼らもアーシュの為に選ばれた者なんだね」
「トゥエだってすべての未来が見えるわけでもない。アーシュだけにこの世界を背負わせる気でもないよ。彼を一人の人間として育てると決めた日から、トゥエはアーシュを自分の子供だと思って接している。また魔王として生きてきた過去の記憶はアーシュには期待できない。潜在能力は未知数だが、魔王の育ち方を知らないんだから、どこでどう発動されるかわからないんだ」
「アーシュに言えばいい。『君は魔王アスタロトそのものだ』って」
「…君がそうしたいのなら、そうすればいい。誰にも本人に言うなとは言っていない。お伽話をしているだけだからね」
「…ずるいね」
「大人だからね。だけど君たちは違う。青春という季節は何が起こってもファンタステックでセンシティブなエロティックなものだ。君の悩む顔を見ていたいと望むのも、大人の醜さと思ってくれ」
その後、卑怯者と散々罵ったが、キリハラは僕の口唇を力でねじ伏せ、嫌だというのに僕を犯した。
大人なんてロクな奴らじゃない。特に知識人って奴は。
三日後の深夜、そろそろ寝ようかと自室の灯りを消しベッドにもぐりこもうとした時、ベランダからゴトンと音が聞こえた。急いで駆け寄ってみると、パジャマ姿のアーシュが立っていた。
「こんばんわ、メル」
「アーシュ…ここは二階なのにどうやって?」
「ちょうどいい具合に椋木があるだろ?それをよじ登って…あとは勢いをつけてベランダに飛び込んだ」
彼に近づき、くせっ毛に絡みついた葉っぱを、僕は指先で取ってやる。その指が少しだけ震えていることにふと気づいた。
アーシュが僕のところまで来てくれたことに感動した僕の指先が勝手に震えているらしかったのだ。僕は自分の様におかしくて、そして自分にもこんな感情もあるのかと、口元が変な風に歪んでしまう。
「ルゥは?いいの?」
平常心を保とうと、話の矛先を変えてみる。
「ああ、ぐっすり寝ているよ。いつもは俺の方が寝つきはいいんだけど、今日は体育の授業はマラソンでさ。15キロを走らされたんだ。だからセキレイはベッドに入った途端に寝てしまった。体力なら俺の方があるんだ」
「そう、じゃあ、今夜は君を独り占めしてもいいんだね」
「ん?…そういうことになるかもね」
そう言って、少し顔を伏せて照れるアーシュがどうにもこうにも愛おしくてたまらない。
彼が魔王だって?破壊神だって?
目の前に立つ少年はまだ未発達の純情な少年でしかない。
「部屋に入ろうか」
「うん、あ、待って。お土産がある」
彼はポケットに手を入れ、そこからそっと手を引き出し、僕の目の前でゆっくりと手の平を見せた。
手の平の中で、淡く青白い光がゆっくりと瞬く。
「ホタル…かい?」
「そう、ここに来る途中の森に綺麗な小川があるでしょう?あそこで掴まえたの。人の手に捕らえられるんてドジなホタルだ」
魔王に捕らえられるのなら、そのホタルも誇りに思うだろう…と、一瞬思ったけれど、アーシュには自分が何者なのかって、本当はどうでもいいことなんじゃないだろうか…そんな風にも感じてしまった。
勿論これは僕の思いであって、彼が何を望んでいるかは知ることはできない。
「あ、飛んだ」
アーシュの手の平から飛び立ったホタルは揺れながら森へと帰っていく。
「あんなに些細な生き物でも自分の帰る家を知っているなんてさ、本能ってのは記憶になくても身体に沁み込んでいるものなんだね」
「…そう、だね。さあ、ベッドに行こうよ、アーシュ。君を思い切り可愛がりたい」
「うん」
眼鏡の奥の黒いまなこがホタルのように淡く光る。
僕は彼の手を取って、部屋に導いた。
彼の服を丁寧に脱がせ、彼の眼鏡を外し、彼の身体をベッドに押し付けた。
サイドテーブルの仄かな灯りで、彼の身体のひとつひとつを確かめる。
スキャンスコープは僕の力のひとつだった。
驚くべきことに、アーシュにはたったひとつの黒子(ほくろ)も雀斑(そばかす)も傷痕(スティグマ)も見当たらなかった。
黒子や雀斑はともかく、心に傷のない人間なんて居ない。
彼は間違いなく魔王であろう。
「どうしたの?メル」
「いや…綺麗な身体だなって思ってね」
「そうかな?他人と比べた事がないから、俺にはわからないや」
彼に出生の秘密を打ち明けたとして、僕に何のメリットがある。
このカードはまだ見せない方が利口だ。
彼を僕のものにしておく為に、彼にはまだ、ただの人間で居てもらおう。
その夜、僕はアーシュを頭の先から足のつま先まで思う存分味わった。
彼の身体は言わずもがな、すばらしい味わいだった。
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