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2019-09

輪舞曲4…「セレナーデ 第一曲」 - 2013.01.30 Wed

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セレナーデ 第一曲

 セレナーデ…宵闇に、愛する人の枕辺で、切なる恋心、愛の告白を謳う楽曲。


桜散る四月の花冷えの夜だった。

その夜は、親しいお客さんを招いての夜桜見物で、セッティングした二次会の小料理屋での散会を期待していたのに、三次会まで誘われた。
お得意様の命令には逆らえず、市街から離れた街の見知らぬクラブに連れて行かれた。

適当に客と上司に合わせて飲んでいると、店のBGMが消え、隅に置かれたグランドピアノの音が鳴り響いた。
へえ~、この店は生演奏のサービスがあるのか…。

一度はチェリストを目指した俺の耳を満足する演奏を期待したわけでもなかったが、おのずとピアニストの姿が気になった。
肩まで髪を伸ばした若い青年だ。痩せた身体に黒いジャケットが似合っている。顔は…横顔しか見えず、仄暗いライトに照らされた顔色は青白く、いかにもアーチストの様相だ。
だが俺の興味はその男の弾くピアニストとしての技量だった。

…様様なアレンジを奏でるスムーズジャズの音律。優男の姿には似合わない、しっかりとしたアクセントの付け方…そして、ブルージーな余韻を醸し出す音色。
ペダルの音やリズムに少し癖があるのは…本来はクラシック弾きなのかもな…。

今までざわついていた店内のお客が次第に彼の演奏に聞き入っていく様子が手に取るようにわかる。
誰もが僅かな緊張と奏でる旋律の波間に漂う快感に浸っている。

半時間ほどの演奏が終わり、ピアニストも席を立った。

「どうだい?神森くん。良い店だろう?」
「そうですね。生の演奏を楽しめる高級クラブはあまり知らないものですからね。いいお店を紹介いただきありがとうございます」
「神森くんは音楽にうるさいと、社長から聞いたものでね。ヴァイオリンを弾くんだよね?」
「昔…少しばかりやってただけで(ヴァイオリンじゃなくてチェロだけどな)、今は全く手にしていないんです。もう弾くこともないでしょうけど…」
「もったいない気もするけど…まあ、そういうものは趣味程度で楽しむのが一番ですよ」
「そう…ですね」

上司の言う社長とは、俺の親父のことだ。
親父は「嶌谷財閥」の縁者であり、グループの不動産企業の代表取締役に就いている。
その時期の極めて困難な就職活動の末、親父のコネクションでなんとか当企業に職を得た俺は、親父の息がかかっている所為なのか、周りからも気を使われ、こちらも構えて気を遣い、なんとか平穏な社会人生活を営んでいる。

…情操教育の一環として、幼い頃にピアノ教室に通い、中学からはチェロに興味を持ち、レッスンをするようになった。
大学もそれなりの音楽大学に通い、将来はどこかの楽団でプロのチェリストとして、一生音楽に携わっていきたいと、ぼんやりとだが夢見ていた。
だが、現実は甘くなく、どの管弦楽団の試験を受けても合格はできなかった。
それまで俺に対して何一つ口を挿まなかった親父が、初めて俺に音楽の道を諦めるように諭した。親父の言葉は重く、俺の描いた夢がいかに甘かったのか、また自分の技量や天性の貧しさを改めて目の前に叩きつけられた気がした。
俺は音楽家としての道を歩くことを諦め、親父に土下座をし、就職させてくれるように頼み込んだ。

親父は甘くない人だった。
最初は息子だと見くびられないように、故意に厳しい部署へ送り込まれた。
負けず嫌いの俺は、とにかく懸命に働き、そして周りを認めさせることに成功した。
二十七歳で営業促進部長という職責は昇進の早い方だろう。

今の生活に不満はない。
だけど、時々…こんな夜は餓えてしまうのだ。
音楽に…メロディに…音色に…響きに…

店の便所は、狭くもなく、ピカピカに磨き上げられた大理石で囲まれていた。
俺は何気に手を洗っている先客を見た。
あ…あのピアノを弾いていた男だ。
こちらも見ずに石鹸で懸命に洗っている仕草を見ると、相当に神経質な気がする。
…確かに、最後の方は気が焦ったのか、少し繊細すぎる音だった。

「君…先程のピアノを弾いていた方ですよね」
俺はその男が手を洗い終え、乾かすのを待って話しかけてみた。
男は黙って俺の方を向き、関心の無い笑みをうっすら浮かべ会釈した。
「クラシックを演ってたの?とても音楽的だった」
「バイエルを演らないピアニストは少ないと思います」
優しげな顔に似合わない少し低く抑揚のない声だ。人付き合いは良い方ではないらしい。まあ、芸術家っていうのは大方高慢でナルシストだ。
男は俗世間とは関わりたくないと言った風な雰囲気で目を合わせる事もなく俺の傍を通り抜けた。

ドアを開けて出て行こうとする男の背中に、俺はもう一度話しかけた。
「次の演奏は?」
「三十分後です」
「リクエストしてもいい?」
乗り気もなく彼は「なんでしょう」と、言った。
「あなたのシューベルトを聞きたいんだ」
俺の言葉に彼は少し驚いたような顔をこちらに向けた。
そして「わかりました」と、顔色も変えずに答えた。


彼の演奏が始まった。
耳触りの良いジャズが続いた後、最後に俺のリクエストに彼は応えてくれた。
シューベルトの即興曲三番をジャズ風に、そして歌曲「白鳥の歌」のセレナーデを正当なクラシックモードで弾き終えたのだった。

多くのシューベルト作品の中で、彼の選ぶ曲目を、期待と期待外れの怖れの緊張感を持って、俺は彼の演奏を見守った。
そして…
俺の魂は彼に奪われてしまったのだ。
彼の選んだ曲は俺を喜ばせ、彼の指から奏でられる一音一音に圧倒された。
特に「セレナーデ」の表現には、…息を呑んだまま、聞き入った。呼吸さえすることさえもどかしいほどだった…
そして、認めざるを得なかった。
こんな地方のナイトクラブで、ピアニストとしての資質と力量を兼ね備えている人に出会う残酷な時。音楽家を夢見ていた者にとって、もう歩くことさえできない…絶対的な敗北をこんな場所で再び味わうことになろうとは…。

それでも…俺は彼の奏でる音色に酔い、それを味わうことができたこの夜に高揚していた。
だから店を出た後、上司が帰りのタクシーの同席を薦めたのに、俺はそれを断った。

このまま帰るなんて…孤独なマンションに…あの侘しい部屋のベッドで疲れた身体を横たえるなんて…なあ、これ以上惨めな生身ではいたくない。

そぞろ歩く川沿いの土手。
桜並木が続く両側には、深夜になっても花見見物で酔いつぶれた連中がヘタクソな歌を歌っている。
ああ、謳えや踊れ。
音楽はすばらしい。
ただひたすらに楽しめばいい。

だが音楽家を目指すなよ。
地獄を見る羽目になる。
偉大な音律の系譜は、天国へのラビリンスだが、音を踏み外せば地獄が待ち受けている。
俺は…それを味わった。
メロディの美しさを知っても、それを奏でる者にはなれぬ。

ああ、桜の花びらが風にあおられ夜風に舞うさまは、あの五線譜の音符のようだ。
花弁は知っている。
自らが一片の散っていく淡く儚いものであっても、絶対的な美しき表現者であるということを…


「すみませんが…」
「え?」
土手の道端に座り込み空を見上げていた俺に、正面に立ち止まった男がいた。
さっきのピアニストの男だ。
今はニットキャップとジーンズ。カーディガンを羽織ったどこにでもいる青年にしかみえない。
「あなた…さっきの『バイロン』に居た方でしょう?僕にリクエストした…」
さっきの店、そんな店名だったのか…
道理で詩人面してしまいたくなるはずだ。
しかし、こんな場所であのピアニストに出会うとは…

「…ひとりで花見ですか?」
先程の芸術家気取りの雰囲気とは違い、親しげに話しかけてくる様子がなぜか俺を不審がらせた。こいつ本当にあのピアニストか?
「そうです。せっかくの花見日和ですしね」
「…もう夜中ですよ。それとも…酔っぱらっていらしゃるのかなあ~。そんな風には見えないけれど…」
「あなたの演奏に酔ってしまい、ここで余韻を楽しんでいるのです」
「…」
「しかし…このまま浮かれていても現実は浮世の荒波。明日も残酷な仕事が僕を待ち構えている」
大げさな俺の身振りに、彼はふふと、笑った。

「あなたの言うとおりです。このままここに居たら風邪をひきそうだ。すみませんが近所にビジネスホテルかネットカフェはありませんか?」
「…この土手を二十分ほど歩けば、ありますけど…」
「そうですか。じゃあ、急いで見つけますよ」
「あの…」
「はい?」
「うちで良かったら…来ませんか。ここから歩いて五分かかりませんし…」
「ええっ?いいの?」
思わずタメ口になってしまった。
まさか誘われるなんて思いもよらなかったから…
微笑みながら軽く頷く彼を、俺は訝しく見つめた。
本当にあの愛想のないピアニストと同じ男なのか?

「ホントに伺ってもいいの?俺、本気ですよ?」
「ええ、どうぞ。もちろん何もサービスはしませんけれど…」と、彼は座り込んでいる俺に手を差し出した。
「ではお言葉に甘えて…」

彼の細く長く節の膨らんだ指…ピアニストの指先を俺は見つめた。
そして、その手を傷つかないようにと、そっと掴んだ。
しかし彼は、こちらが驚くほどの力強さで引き上げ、俺の腰を立ち上がらせたのだ。

そうだった。
芸術家って奴は、自分自身には、いちいち気を使わないものだ。


その夜、俺の手を取った男は、能見 響(のうみ なる)と、名乗った。
なるほど、芸術的な名前だと、俺は心の底から彼に嫉妬したのだった。







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輪舞曲4…「セレナーデ 第二曲」 - 2013.02.21 Thu

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チェロ1




翌日、見知らぬベッドで目が覚めた。
目の前の見かけない部屋とジャージ姿の自分に、しばらく理解不能だった。
炊事場の彼の姿を見るまでは…

「おはようございます」
「…おはよ…ございます…あの…俺…」
「…覚えてないの?」
「…なんとなくですが…一緒にあなたのアパートに行ったところまではなんとなく記憶にあるんですが…すいません、覚えてないです」
身に覚えのないTシャツとジャージのパンツは、きっとこの男からの借りものだろう。
「その服もあなたが自分で着替えたんだよ。僕も少しは手伝ったんだけど…ホントに覚えがないの?」
「…ごめんなさい」
さすがに変なことはしなかったかとは、聞けない。…してないだろうけれど…

「まあ、コーヒーでもいかがですか?神森聡良(かみもりあきら)さん」
「?」
「名刺を下さったんですよ。…『嶌谷不動産』って、あの嶌谷財閥の会社ですよね。そこの営業部長さんなんて…超エリートなんですねえ、神森さん」
「…聡良でいいですよ。能見響(のうみなる)さん」
「名前、憶えてくれていたんですか?」
「ええ、素敵な名前だったから。響くと書いてなるって読む。ピアニストになるべくして名づけられた名前ですよ」
「…完全な名前負けです」
「そうかな?あなたの演奏、素晴らしかったけれど…」
「…」
能見響は俺の言葉に、しばらく沈黙した。

「感動って人それぞれ違いますからね、その時の場所、その人の感情、聞く姿勢。曲目に対する思い入れ…あなたの言葉を素直に受け取ったとしても、たまたま昨日の僕の演奏がその時のあなたの感性に嵌っただけで、僕の演奏が素晴らしいわけじゃない…」
「…」
彼の音楽へのこだわりが、俺が予想するより遥かに重く、それが変に嬉しかった。
「それより…大丈夫ですか?会社は品川っておっしゃっていましたよ。電車とバスを乗り継いだら、ここから二時間はかかります。早く用意しないと仕事に遅れますよ」
「はっ!…マジで?…超やばい。今日は大事な会議が朝からあるんだっ!」
「シャツと下着は、洗って乾かしておきましたよ」
「わわ…あ、ありがとうございます!」

気の利いた奥さんのような完璧な支度に俺は何度も頭を下げ、用意されたコーヒーを取り敢えず飲み、あわてて能見響のアパートを出た。
「またお店に来てくださいね、神森さん」
「あ、はい」
振り返ると、愛想の良い顔で俺に手を振る能見響がいる。
妙な違和感を味わいながらも、反射的に俺も手を振った。


その週末の夕方、久しぶりに実家へ帰った。
俺のマンションから車で一時間程しかかからないが、滅多に帰ることはない

「お帰りなさい、聡良さん」
エプロン姿の母がほがらかに俺を迎えてくれる。
家中に広がる甘い匂いは、母が焼くケーキの所為だ。
「聡良さんが帰るって聞いたから、久しぶりにチーズケーキを焼いたのよ。沢山食べていってね」
「ありがたいけれどね、母さん。そんなに食べれないから沢山作らなくていいよ」
「そうなの?」
やんわりと断ったつもりだが、能天気の母には効かないだろう。ウキウキと台所へ戻っていく。
あまりに居心地が良いと、却って帰り辛くなるものだ。
父はともかく、母親にはつい愚痴や我儘を言ってしまうからなあ。

俺は未だに変わりのない自分の部屋へ行き、クローゼットの奥にしまい込んだチェロケースを取り出した。
俺のガリアーノ…五年前までは、一日だって触れなかった日は無かった。
飴色の胴体を撫で、ゆっくりとケースから出してやる。
買ってきたばかりの四本の弦を、一本一本丁寧に整え、弓を置く。
解放弦を鳴らし、音を合わせ、そして指板を抑え、音を奏でる。
バッハの第一番ト長調。
…懐かしい。
何度も何度も指がすりむけるまで繰り返し弾いた日々。どうしても納得がいかず、弓を投げ捨てた日。それでもこの道しかないと信じ、己を奮い立たせ、誰の為でもなく、自分自身の音楽性を信じて、弾き続けた…。

いつのまにか、母が部屋の隅で椅子に座って俺の弾くチェロの音色に聞き入っている。
「母さん、いたの?」
「ええ、お茶を用意して運んだら…あなたの部屋からチェロが聴こえたでしょ?うっとりしちゃって、聞き入ってしまったの。おかげですっかり紅茶が冷めちゃったわねえ。入れ替えてくるわ」
「そのままでいいよ。ついでにケーキもいただきます」
「はい」
ご機嫌な様子で母は、紅茶と切り分けたケーキを差し出した。

「母さん、また腕上げたね。このチーズケーキ、ラム酒に付け込んだブルーベリーがマッチして美味しいよ」
「まあ、聡良さんも口が上手くなったわねえ~。さすがに営業部長さんだけあるわね」
「母さん相手にお世辞を言っても一円の特にもなりませんよ。ホントに美味しいって褒めてるの」
「ありがと、うれしいわ。お父さんは全然褒めてくれないもの。それより、聡良さんのチェロを久しぶりに聴いたけれど、なんだかほっとするわね」
「人に聴かせる音じゃなくなったけどね…」
「そんなことないわよ。それに、楽器って人に聴かせる為に弾くものじゃなくて、まずは自分の為に奏でるものでしょ?…聡良さんがチェロを弾く気になってくれて、お母さんも嬉しいわ」
「…」
母の翳りのない微笑に俺は少しだけ後ろめたい気がした。
チェリストになる夢を追いかけていた頃、一番応援をしてくれたのは、母だった。
そして俺がその夢を捨てた時も、一言も責めもせず、「今までよく頑張ったわね」と、震える声で俺を許してくれたのも母だった。
就職をきっかけに独立して家を出たけれど、その理由のひとつは、母にこれ以上心配をかけたくなかったからだ。

「母さん、今まで言わなかったけれど…チェリストになれなくて、母さんの期待に応えられなくて…ごめん」
「…聡良さんが苦しんで選択したことだから、謝ることないわよ。お母さんはね、楽しいそうにチェロを弾いてるあなたの姿を知っているから…いつかまた笑って弾けるようになればいいなって、願っていただけよ。良かったわ…今のあなたの奏でる音、昔よりずっと優しいもの。もう大丈夫ね、聡良」
「うん。これからはチェロと仲よく暮らすつもりだよ。これ、俺のマンションに持っていくから」
「それはいいけど…暮らす相手がチェロじゃ、ちょっと寂しくない?誰かいいひといないの?」
「今のところはね」
「あのね、言わずにおこうかと思ったけれど、あなたのお見合い話は結構あるのよ。お父さんの取引関係が多いけれど…」
「俺、まだ27だよ。それに見合いって…」
「今時流行らないわよね~。だから片っ端から私が断っているの。運命の相手ぐらい自分で選んで欲しいもの」
思いもよらない結婚という言葉に面食らったが、一瞬だけ「能見響」の姿が浮かんでしまい、苦笑した。
俺の結婚と彼が繋がる意味が、わからない。
音楽家にゲイは珍しくないけれど、彼がそうだとは限らないだろう。俺だって決まった彼女はいないが、別に男が好きなわけではない。

「結婚は一生しないかもしれないって言ったら…母さん、がっかりする?」
「…」
俺の言葉に母は驚いたように何度か瞬き、そして笑った。
「子供に過度な期待をする年じゃなくなったわね。私は私の老後を楽しむから、あなたは跡継ぎなんて心配しなくていいわよ。かわいい孫もいるしね」
「そうか、宮子、無事に子供が生まれたんだね」
「ええ、女の子よ。写真見る?綾って言うの」
宮子は俺のふたつ下の妹で、二年前に結婚、夫の転勤で一年前からロサンジェルスで暮らしている。
母から受け取った写真には、妹夫婦と生まれたばかりの赤ん坊が写っている。
幸せそうな妹の様子に、俺もなんだか感慨深く、目頭が熱くなってしまう。

「宮子も和樹さんも幸せそうだね」
「これが普通でしょ?」
「そうだね」
「でも、聡良さんが普通でなくても、私は別に落胆しないから」
「え?」
「まあね、子供の何よりの親孝行は親より長く生きる事。それだけで十分だと思うことにしてるわ」
「…それって悟りを開いたってこと?それともハズレくじを引いたってこと?」
「…どっちもだわね」
弾けるように笑う母につられて、俺も声を出して笑った。


夜、帰宅した父と久しぶりに一家で夕食を楽しみ、その後、マンションへ帰ることにした。
「母さん、晩飯ごちそうさまでした。美味しかったよ、お世辞じゃなくね」
「近いんだから、いつでも食べにきなさい。それと…二週間は持つから、ゆっくり食べてね」と、母は無理やりフルーツケーキの入った箱を俺に押し付け、「また気が向いたら、あなたのチェロを聴かせてね」と、言う。
「ああ、しばらく気を入れて練習してみるよ。弾きたい曲があるから」
「楽しみにしているわ」
「じゃあ、父さんにも宜しくって伝えといて。まあ、親父とはたまに会社で会うからいいんだけど…」
「お父さんは何も言わないけど、あなたの仕事ぶりには感心しているのよ。うちにいらっしゃるお客様に自慢しているもの」
「あはは、親ばかの典型」
「親ばかの特権よ。じゃあ、元気でね。いいひとを射止めたら、お母さんに一番に会わせてね」
「…了解」

何気に言われた「いいひと」の言葉にまた「能見響」の顔が浮かんだ俺は…どっかおかしいんじゃないのか。
別に彼の部屋に泊まっただけだ。何も…ないだろ?

ハンドルを握り、アクセルを踏みながら、あの「能見響」を思い浮かべた。
彼の整った横顔や、穏やかに笑う表情、ふと見せる影や作りめいた愛想笑い。なによりも彼の奏でる澄み切った音色の調べ…
あの音と重なり合いたい。

はは、まさかね…
重なり合いたいのは、俺の弾くチェロの音であって…お、俺はゲイじゃないぞ!

でも、あの人がもしゲイで、俺のことを少しでも好きでいてくれるなら…

重なり合ってもいい…かな…
なんてね。


三日後、俺は「バイロン」で「能見響」のピアノを聴いていた。
彼のピアノを充分に堪能し、閉店まで粘り、その後、裏の出入り口で彼を待った。
スターを追っかけるファンとはこういう気分なのだろうか。緊張感に変な汗が出る。
従業員専用の出入り口が開き、「能見響」の姿が見えた。
俺の姿に気づいた彼は、ぺこりとお辞儀をする。

「この間はお世話になりました。今日はお礼伺いにきました」
「わざわざすみません。神森さん」
「聡良(あきら)って呼んでください」
「…聡良さん」
「これ、フルーツケーキです」
差し出した紙袋を「能見響」はじっと見つめた。
「…フルーツケーキ…僕の大好物って…知っていたの?」
「え?そうなの?…いや、あ、これ、有名店のじゃなくて…母の手作りなのでお口に合うかどうか…」
洒落のつもりで持ってきたのに、好きとか言われるとさすがに怖気づく。それなのに彼は嬉しそうな顔で俺から紙袋を受け取った。
「ええ?聡良さんのお母さんの手作りなの?すごいじゃないですか!」
「あ…味は保証しませんよ。いや多分大丈夫だと…思いますけど…」
「では今から一緒に食べましょう。勿論僕のうちで」
「は?」
「構いませんか?」
「も、ちろんですよ、響さん」


その夜、俺は「能見響」と寝た。
つまり「重なり合った」わけだ。

「奏でる」とまではいかず、一方的な指南役は、彼の方だったのだが…




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輪舞曲4…「セレナーデ 第三曲」 - 2013.02.28 Thu

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聡良と響

セレナーデ 第三曲

俺の胸に寄り添う「能見響(のうみなる)」の寝顔を眺めたまま、俺はなかなか寝付けないでいた。

そもそも男とやるのは初体験だったし、興奮冷めやらぬ状態なのだ。
甘い言葉に誘われ、彼とベッドインした後も一方的にリードされ、いかんせん気持ちよくいってしまい、恥ずかしい思いをした。
「初めは誰だってそうですよ。気にしないで」と、言われたけれど、高校生でもない、いい歳した社会人なんだから慰めにはならない。
終わった後の「初めてにしては聡良さん、上手いよ」と、要らぬお世辞を言われたのにも腹が立つ。

それにしても…彼のあまりの手際の良さと巧さに「能見響」という奴が単なるピアニストではないというのは理解できた。
男と寝ることも彼には当たり前な日常であり、セックスで相手をもてなすことなど慣れたものなのだろう。
それが現実だと無理矢理自分に納得させようとしても、相当のショックは隠しきれない…

なんつうか、俺もガキだなあ~。
音楽家だからって、美しい音を奏でるピアニストだからって、品行を求めても仕方のない話なのにさ…
大体、歴史の名だたる音楽家どもを眺めてみろ。
肖像画では偉人らしい顔をしてはいるが、清廉潔白な奴は稀で、大方が節操なしの好色で、色恋沙汰のオンパレードの人生だ。
あいつらを見習えとは言わないけれど、モラルに縛り付けられた音楽家なんて、センスのない詩人と同じで、パッションなどを与えられるものか。

なんにしろ…
こうやって俺の腕の中に存在する「能見響」は、俺にとって確かに愛おしい存在ではないか。
彼が何者であっても…

俺は「能見響」の美しい額に口唇を押し付けた。


翌朝、「能見響」の声で目が覚めた。
朝飯はあのフルーツケーキとコーヒーだ。
会話のネタにと音楽のことを話題にした。俺と彼を繋ぐものはそれしかないからかもしれないが…
「そう、聡良(あきら)さんも音大を卒業しているんですか。道理でシューベルトをリクエストしたわけだ。専攻は?」
「チェロです。これでもプロを目指してて、一度はコンクールでセミファイナルまで行ったこともあるんですよ、国内の、だけど。あはは」
「…すごいじゃないですか」
「でも、プロにはなれませんでした。アマチュアとプロの差がどこなのか…その頃の俺にはわからなかった。なぜ俺のチェロでは駄目なのか。こんなに努力を積み重ね、ミスもなく、作曲家の意図も理解し、弾きこなしているのに…でも、本当はわかっていた。俺には天からの恵みは無かったんだ。…響さん、あなたは俺に言いましたね。感動は人それぞれだって。それはそうかもしれない。だけどあなたの奏でる音楽は普遍的なんです。それはあなたの努力や感性だけではない天性ですよ」
「聡良さんは雄弁な評論家なんですね。でも評論家って偏執狂が多いそうですよ」
「じゃあ、響さんの偏執狂になりますよ。俺はあなたの奏でる音楽にも…あなた自身にも惹かれている」
俺の告白に、「能見響」は困った顔を見せ、それからそっぽを向いた。
だから俺は追撃した。
少し子供じみてはいたけれど、言わずにはいられなかったからだ。

「響さん、あなたを本気で好きになってもいいですか?」
彼は困り顔をしかめ面に変え、俺の方を向いた。
「一度寝たぐらいで、そんなことを真顔で言われても困ります」
「あなたを好きになったら、困るんですか?」
「…時に愛は必要ですが、永遠の愛は望みません。…本気の愛も恋も僕には重荷でしかありませんよ。感情は穏やかに流れる方が心地いい。留まらず、目の前を流れる方が楽ですから。だから…どうか本気にはならないで下さい。その方があなたも僕も傷つかなくて済むじゃないですか。」

「じゃあ、どうして俺を誘ったんだ」と、胸倉を掴んで響を責めたかったが、それを言ったら終わりのような気がした。

しばらくの沈黙を破ったのは響の方だった。
「つまらない話はもういいじゃないですか。それよりも機会があったら聡良さんのチェロを聴かせてください。良かったら一緒に合奏しましょう」
懸命な告白を「つまらない」と片づける響は気に入らないけれど、合奏したいのは山々である。
俺は二つ返事で頭を下げた。

その日の午後、響のピアノの練習にも利用しているという『バイロン』へ行く。もちろんまだ閉店したままであり、裏口から鍵を開けて誰もいない店内へ入るのだ。
「いいんですか?勝手に使っても」
「この店はマスターの河原さんと死んだ僕の父が建てた店なんですよ。今は…オーナーのものになっているんですけど…」
「…」
なんとなくだが、気がついてしまった。

「響さんはそのオーナーと…付き合っているわけですね。この店の為に」
「…さすがですね。そうですよ。僕はオーナーの愛人です。だから…あなたの告白を受けるわけにはいきません」
「響さん…」
「変な同情はしないでください。経営が成り立たなくなったこの店を引き受けてくれるというオーナーに、愛人を申し出たのは僕の方だし、それでこの店が続けられるのなら…身体をどう使われようが大したことではない」

「大したことではない」と、呟く「能見響」の顔が一瞬強張った。
この人は嘘つきなのだ、と、俺は悟った。

「聡良さん、ピアニストにとって一番大切なものは何だと思いますか?」
「…感性…としか言えません」
「人それぞれに違いはあるでしょうが、僕にとって渇望する精神ですよ。あなたから頂いたフルーツケーキは美味しかった。恵まれた家族や資産、眩しいぐらい聡良さんは正しい人だ。僕はあなたに嫉妬した。だから…あなたと寝たいと思った。僕の音楽の為に」
「そう…ですか。響さんの役に立ったのなら…それでいいと俺も割り切れますよ。これでも大人ですからね」
「理解が早い人は好きですよ。じゃあ、僕の渇望を満たしてくれたお礼に…」

響はスタインウェイ製のグランドピアノを開け、その前に優雅に座り、指を鍵盤に置いた。
そして、美しい音律を奏で始めた。
シューベルトの歌曲からソナタまで、こちらが驚くほどの完成度で、弾きこなしていく。
シューベルト独特の孤独さと計算され尽くした精密な和音の展開…しめやかなノスタルジーと崇高なロマンチズム。

彼の渇望の魂はこんなにも繊細で透明な景色を見せるのに…

「能見響」の優しさと冷酷さは、俺を本気にさせた。
その日から俺は一層チェロの練習を励んだ。
音楽を奏でることが、「能見響」の本心に近づく術であること。そして、俺の心を理解してもらうための唯一の道である気がしたからだ。


『聡良さん、いつ来るの?チェロを聴かせるって約束したでしょ?』と、あれから何度も母から強請られる。
仕方がないので休日、実家へ帰った。
休暇でロスから帰省していた妹夫婦の歓迎と赤ちゃんの誕生祝の為でもある。
祖父母や義弟の家族も集まり、にぎやかな懇談の中、俺はチェロを演奏した。
練習した甲斐もあり、思ったより恥ずかしくない出来で満足していた俺に、母は無茶なことを言いだした。
「やっぱり生の演奏はいいわね~。あれから二か月しか経っていないのに、聡良さん、すごく上手くなってるわ。これからこういう場を作って聡良さんに演奏してもらおうかしら」
「ええっ!何言ってんの!俺は素人。アマチュアだよ」
「それ、いい考えだわ、お母さん。聡良兄さんだけじゃなく、楽器を弾ける方を招いてサロン形式にするの。色んな場が広がるし、素敵じゃない」
「宮子まで適当なことを言うなよ。やるんならちゃんとしたプロに頼めよ~」
「あら、アマチュアだからいいのよ。聡良さんみたいに音大に行ってもプロじゃない音楽家の方も沢山いらっしゃるでしょ?趣味で続けてる方たちに演奏してもらう場を提供させて頂くの。もちろん演奏する側も聴く側もお金はいただかないわ。音楽好きの方が集まって楽しむのよ」
「…あのねえ、母さん」
「そういう場がある方が聡良さんも練習のやりがいがあっていいでしょ?あなたも大学時代のお友だちを誘ってみてね」
「…」

なんだろ、この一方的な威圧感。
普段優しくて、父には従順で古式ゆかしい奥様顔なのに…なぜ今ここでこんな展開に…しかもかわいい初孫に目じりを下げっぱなしの親父も孫を抱いてニコニコ顔で「聡良、笑われないように練習を積んでおけよ。何事にも精魂込めてもてなしの心を忘れずに、だ!」などと言う。
あんた、会社では絶対に笑わない鬼社長って言われてるんだぞ。
しかし…
思いがけない状況だが、これは「能見響」を誘い出すチャンスかもしれない。


翌日、俺は二か月ぶりに「バイロン」へ足を運んだ。
ピアノを弾いていた「能見響」は俺をすぐに見つけ、そして走り寄ってきた。
「もう…来てくれないかと思っていました…」
暗闇で響の表情はよくわからなかったが、僅かに震えていたその声に、俺は他の客の目も気にせずに、その場で響の身体を抱きしめていた。



pianisut1.jpg


次は響の過去編かな~
申しわけないですが、遅筆なので一週間待ってくださいね~


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輪舞曲4…「セレナーデ 第四曲」 - 2013.03.08 Fri

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能見響

セレナーデ 第四曲

たった一度、身体を交わしただけなのに…
別にあの人とのセックスが他の人と比べて、格段に良かったとか…そんなんじゃないのに…
二か月間、一度足りとも顔を見せてはくれなかった。
なんて薄情なのだと、こちらの身分も考えず、憎く思ったこともある。
会えなかった時間の分だけ、想いが募るということなのだろうか。
明らかに僕は神森聡良という男を、他の誰よりも「愛しい」と、思うようになっていた。

だから、店で聡良さんの顔を見つけた時、僕は弾いていたピアノを適当に終らせ(ジャズなのでどうにでもなる)一目散に彼の元へ駆け寄ってしまったんだ。
彼の真摯な告白を「本気にならないでくれ」と、無下に断ったのはこちらの方なのに。
真正面から聡良さんに見つめられ、初めて自分の身勝手さを恥じ、俯いてしまった。
それなのに…
聡良さんは僕を抱きしめてくれた。
その力強さに僕は涙が出る程、嬉しくてたまらなかった…


僕はピアニストの父、能見昭雄と声楽家の母、能見麻由美の一人息子として生まれた。
生まれた時から両親の奏でる音楽を聴いて育ち、古典的なクラシックからジャズクラシックまで、それらは自然と僕の身体に染み渡っていった。
父も母も音楽の楽しさと厳しさを僕に与え、音楽の道へ導いてくれようとしていた。
だが、僕が十二歳の時、イタリア人の声楽家と愛し合うようになった母は、父と別れ、僕を父の元に置いて、イタリアへ行ってしまった。
その時の父の衝撃はこちらが気の毒になるほどで、母が去った悲しみよりも、僕がしっかり父を支えなければ、と子供なりに懸命に父を慰める毎日だった。
その甲斐もあってか、なんとか父も立ち直り、一年後には音楽家仲間との演奏旅行まで出来るようになった。
旅行先は主に外国だったから、父のいない間は、僕は父の友人である河原夫妻宅へ預けられた。
河原のおじさんもおばさんも良い人だった。子供のいないふたりは、僕を本当の子供のように可愛がってくれた。
特に美那子おばさんは気短で神経質な母とは違い、病弱ではあったが朗らかで安穏に僕を包み込んでくれ、両親のいざこざで尖ったところがあった僕を癒してくれた。
僕は河原のおじさんと美那子おばさんのおかげで大して反抗期も感じずに、平穏な日々を過ごしていった。

自分が周りの少年たちと違う趣向の持ち主だと知ったのは、高校一年の時だった。
その年の夏休み、父はアメリカでの演奏旅行に僕を誘ってくれた。
僕は有頂天で喜び、父と楽団の仲間と一緒にアメリカ縦断演奏ツアーに、旅行気分で付いて行ったのだ。
楽団は十人ほどの構成で、時折演奏者が変わったりするけれど、みんなプロ意識の高いミュージシャンだった。
国や人種も様々で、おぼつかない英語のやりとりに戸惑った事もあったけれど、何よりも音楽が世界共通であることの素晴らしさを教えてもらった。
教えられたのは音楽だけではなく、彼らとのセックスだった。
当時僕は十六。
薄々自分の趣向に勘づいてはいたが、経験はなかった。
こちらは好奇心は増す一方、彼らは大人でジェントルに僕を扱ってくれる。
誘われついでに、肉体を解放できる快感を味わうことは、音楽に生きると決めた僕にとって、決して悪い経験ではないと思い、彼らの欲しがるままに与え、時には僕も求めた。
だが、まずいことに彼らとの最中に、父に見つかってしまった。
父はそういう人種ではない。
父は僕を強く叱責し、両頬を二度殴り、二度と彼らに近づくなと命じた。
しぶしぶながら、それは守られた。

夏休みが終わり、日本に帰りついた後、しばらくの間、父とふたりの生活が続いた。
父は僕にあらゆる音楽の技術と精神を教えてくれた。
僕は父に応えようと必死で腕を磨いた。
だが、夏に覚えた快感への欲望は増すばかりだった。
僕は父に隠れ、色々な男たちと寝てみた。しかし面白いことにセックスの快感というものは一時的なものであり、音楽を奏で、戯れながらトランス状態になるあの感覚には到底及ばない程のものだと思うようになった。
それは自分自身の技術や音楽に対する理解が深くなるにつれて、鮮明になってくる。

いくつかの国内コンクールで良い成績を残すようになり、国立の音楽大学を目指す頃になると、僕の生活は音楽一辺倒になった。
父もそんな息子を見て、安心したのだろうか。
海外での仕事は止め、河原のおじさんとジャズクラブを経営することになった。
勿論、メインは父の生演奏だ。
決して順風満帆とは言えない経営状態だったけれど、父と河原さんは懸命に頑張り続けていた。

大学三年の秋、父は交通事故であっけなく死んでしまった。
路肩を歩いていた父は、居眠り運転で暴走したトラックに跳ねられたのだ。
その頃、僕は世界的に権威のある国際コンクール出場への選抜に懸命になっていた。
大学の推薦により、出場できるかもしれなかったのだ。
だが、父の突然の死により、動揺してしまった僕は、教授たちの前で良い演奏はできず、コンクールへの出場は叶わなかった。
悪いことは重なる。
その冬には入院生活が続いていた美那子おばさんまでが亡くなってしまい、僕はピアノに没頭することができなくなっていた。

途端に僕の生活は荒れ、酒とセックスに溺れた。
数少ない友人たちの励ましや忠告すら邪険にし、未来など知るものかとただ荒んでいた。
だが、僕は帰ってこなければならなかった。
…帰る場所は決まっていた。
僕には音楽しかなかったのだ。
だから、父と河原のおじさんのジャズクラブ「バイロン」と、父の残したピアノを守る為に生きていくことを決めたんだ。

大学を卒業した僕は懸命に働いた。「バイロン」での演奏は勿論のこと、誘いあれば伴奏の仕事も請け負った。
だが、景気の低迷により、店の売り上げも底を打ち、「バイロン」は売却寸前だった。
僕は店に来たお客の中で、金を持った男好きのパトロンを探した。
それが今のオーナーの芳井さんだ。
僕は「バイロン」の営業を続けさせてもらうことを条件に、彼の愛人になった。


愛人関係に愛などはいらない。
オーナーも僕もお互いにそれを理解しているから、どんなことを要求されても我慢できた。
「愛」なんていらない。
僕には音楽がある。ピアノがある。
ピアノを弾いている時は、僕は誰にも縛られず、自由に舞い上がれる。


聡良さんにシューベルトをリクエストされた時、なんだか嬉しかった。
ジャズクラブだから、音楽に詳しく、何かと煩い客も多い。クラシックを弾くことだってたまにある。
だけど彼は「あなたのシューベルトが聴きたい」と、言ってくれた。
僕は彼のリクエストに応えた。

その晩、桜散る土手に座り、ひとり夜空を見上げている聡良さんを見た。
大人になっても、まだ夢を信じているような…横顔に、僕は惹かれた。
深く考えもせず、彼を部屋へ誘った。


彼に愛して欲しい…


愛することを怖れる僕は、欲しがるだけの我儘な子供のようだ。



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輪舞曲4…「セレナーデ 第五曲」 - 2013.03.15 Fri

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響ひとり



セレナーデ 第五曲


酔った神森聡良を、僕の部屋へと連れ込み、そのままベッドに寝かしつけた後、僕は彼の仕立ての良い背広から名刺入れを探し当てた。
彼の名前と彼の勤める会社を知り、パソコンのネットワークで調べ、勤め先の「嶌谷不動産」が大富豪である嶌谷財閥グループだと知った。
「嶌谷不動産」の社長は聡良さんの父親であり、母親は嶌谷財閥のトップである嶌谷宗二朗氏とは従姉弟同士らしい。
言うなれば…彼はブルジョアジー側の人間なのだ。

確かに、彼の生きる世界は僕とは遥かに違う。
素直で灰汁の無い親しみやすさや、洗練された身のこなし。嫌みのない上品さは陰のない日の当たる道を歩んできた証拠だろう。
また彼の家族も豊かだ。
彼のお母さんが作ったというフルーツケーキは、食べたこともない程高級な材料を仕込んであるのがわかるけれど、とても優しい味がしたし、父親が社長であっても、聡良さん自身の仕事の才覚は十分備わっているようだ。
それに、聡良さんは長年チェロを趣味にしていたと言う。
資産家のたしなみ程度に思っているのだろうか。
僕は生きていくためにピアノを弾き続け、これしか術がないからこそ逃げ場さえ見つからないというのに…

彼の意を汲んで、合奏しようとは言ってみたものの、僕は聡良さんのチェロの腕前には興味がない。
ただ、彼の財力はこのままあっさりとは諦めきれない。

…彼の財力が僕を救ってくれるかもしれない。
父の残した店の借金を払い、僕を愛人という汚い身分から救いだしてくれるかもしれない。もし神森聡良の愛人になることになっても、今よりは随分マシではないだろうか。
…お金目当てに寝たのだと言ったら、聡良さんは僕を軽蔑するだろうか。
それとも…
彼のような気高い人と恋仲気取りなど、釣り合わぬ妄想は捨て、お金の為に身を売り続ける、賤しいピアニストとして生きていくしかないのだろうか…


二か月ぶりに会えた嬉しさに、汚い計算が上乗せされ、僕はその夜、聡良さんを再び僕の部屋へ招き入れた。
彼は素直に僕に従い、僕を愛してくれた。
優しく傷つかぬように、淑女を扱うように僕を抱く聡良さんがたまらない。
その純真さに、泣きそうになる。
僕はこんなに汚いのに…
嗚咽する僕に「ごめん。どこか無理させた?」と、すまなそうに気を使う聡良さんに、僕はしがみつく。

…ごめんなさい、僕はあなたを騙そうとしている悪い男だ。僕はあなたに愛される資格などないんだ…


「ね、俺と合奏してもいいって言ってくれたでしょ?」
「うん」
翌朝、聡良さんと朝食を取った後、彼はバックからおずおずと一冊の楽譜を僕の前に置いた。
「これを響(なる)さんと一緒に弾きたいんだけど…」
「…アルペジョーネ・ソナタ」
「そう」

シューベルト作曲のアルペジョーネ・ソナタイ短調は、当時チェロを小ぶりにした六弦の弦楽器、「アルペジョーネ」の為に書かれたものだ。
アルペジョーネ自体は現代では使われることもなく、時代と共に消えていった楽器だが、シューベルトの残したソナタは、ヴィオラやチェロで代用され、今も世界中で演奏されている名曲だ。

「俺は一応暗譜したから、あとは君の都合に合わせるよ」
「へえ、ソルフェージュもアナリーゼもパーフェクトってわけだね」
「皮肉かい?俺はね、プロになり損ねたただのアマチュアだよ。すべてを生まれ持った君の才能が羨ましくたまらないよ。本当は憎々しくさえある。でもね、それを超えて、君の演奏に陶酔してしまう。だから俺との合奏を願うのは、恐れ多い気がするよ」
「…そんなこと、ないですよ。…聡良さんのお役に立てるなら…これくらいなんでもないです」
僕は受け取った楽譜を握りしめた。
嘘を吐くのには慣れているはずなのに…後ろめたさに聡良さんの顔をまともに見れずにいる。
それでいて、僕は彼を繋ぎとめようと必死になっている。

「聡良さんと一緒に演奏できるのが楽しみです。一週間ほど時間を下さい。僕も暗譜しますから。手始めに『バイロン』の店でお手並み拝見、ということにしませんか?」
「ちょっと怖いな…お手柔らかにたのむよ。では、一週間後」

こうして、僕は聡良さんの為に、「アルペジョーネ・ソナタ」を弾くことにした。


練習の所為であやうくオーナーの芳井さんとの約束に遅れ、僕は急いで彼とのあいびきのホテルへ向かった。
すでに部屋には芳井さんがソファにくつろぎ、ブランデーを飲んでいた。
僕は遅刻したことを謝った。
「響が時間に遅れるなんて珍しいね」
「ついピアノの練習に夢中に…」
アルペジョーネ・ソナタの暗譜に没頭していた…とは、言えない。

「そうかい。実はね、君の店のマスターから相談を受けたんだが、君は聞いていないのかい?」
「え?河原さんが?…何の話でしょうか?」
「そろそろ店をたたみたいそうだ」
「…『バイロン』を?」
「…要するに店を売るから、響を自由にさせてやってくれと、頼みにきたんだよ」
「…」
「河原くんは私が無理矢理、君をあの店の抵当にしていると思っているらしいね。だが、私は一度だって君を束縛した覚えはない。君が私に頭を下げて頼んできたのだからね」
「…すみません。オーナーのおっしゃる通りです」
「どうするかね?」
「マスターには僕が話して、店を続けるように頼んでみます」
「響の父親の大切な形見だもんなあ」
「…はい」
「私はどちらでも構わないさ。あの店を売って金にするも、響とこうやって楽しむのも…決めるのは響だからね」
「わかってます」
「では、さっさと服を脱いでこちらへ来なさい、響」
「…はい」

芳井さんの玩具になるのは構わない。
だが芳井さんが僕に飽きたら、捨てるのも躊躇わないだろう。その時、僕はどうやって「バイロン」を守ることができるのだろう。

翌日、僕は河原のおじさんの自宅へ行き、オーナーとの話の真相を尋ねることにした。
おじさんの自宅は、街の外れの都市化されていない地域で、家の真向かいには田んぼが広がっている。
中学一年の夏に父に連れられた時は、こんな田舎臭いところなんて…と、思ったものだが、今はこの鄙びた景色が懐かしい。
昔のように南の縁側に案内された僕は、おじさんと肩を並べ、お茶を啜った。

「…響がここに来た時も、ちょうどこんな夏の始まりの頃だったねえ~。田んぼの蛙の声が五月蠅くて寝れないって、毎晩母さんに文句を言ってた」
「そうだったね。美那子おばさんには我儘ばっかり言って、困らせたもんだなあ。ホントに捻くれたガキだったもの。反省してるよ」
「母さんはよく私に言っていた。響が思い通りにならないのは当たり前だ。でも、自分が産んだ愛しい我が子だと思って、響と仲よく暮らしていきたい、って。私も響を息子のように思っていたよ」
「…僕だって…おじさんとおばさんに甘えてばかりで…なにも返してやれなくて…ごめんなさい」
「響が謝る理由なんかひとつもないさ」
「…」
庭先に植えられた小さな野の花たちが夕暮れの風にそよいでいる。
美那子おばさんは手に取って「これがヨメナでこっちがヒメジオン。同じキク科だけどそれぞれに美しさは違うのよ。響さんの音楽と同じね」
「そうかな?」
「そうよ。響さんが奏でる一曲一曲も、色もリズムも美しさもそれぞれに違うでしょ?私は響さんの奏でる色とりどりの繊細で爽やかな音色がとっても好きよ」
そう言って、笑ってくれる穏やかな笑顔に、僕はなんども救われた。

「響、今日は店のことで来たんだろ?」
「…うん。オーナーからおじさんが店をたたみたいって聞いたんだけど…本気なの?」
「ああ、そうしようと思う。…いや、もう決めているよ」
「おじさん」
「母さんは、響は言葉にしないけれど、心の優しい子だから、私たちが気を配ってあげなきゃね…って。そういつも言っていたのに。…もっと早く決断するべきだったよ。能見と母さんが死んだ後、響を守れるのは私だけだったのにね。響の苦労を見て見ぬふりをしていた。私は…父親役失格だよ」
「おじさんっ!」
「いつまでも『バイロン』を隠れ蓑にしちゃいけないよ、響。あの店は君の父親と私が建てたものだが、君が背負うものではないんだ。響は自由にならなくちゃならない」
「僕は…別に…。『バイロン』を守りたいって決めたのは僕だし、おじさんが責任を感じることなんか何もないんだ」
「息子を身売りさせてまで店を続ける親はいないよ、響。君が続けたいと思っても、今のままじゃだめだ。それに君も父親と母親のくびきから放たれてもいい年だ。これからは多少苦労はしても、自分の道を切り開いて歩いていくべきだと思う」
「…あの店を捨てて、僕はどこでピアノを弾けばいいの?」
「能見の残したピアノだけが、君の弾くピアノじゃない。それに…響には心に決めた人がいるのだろう?」
「え?」
「神森聡良…さん。あの人が店に来るようになって、私には響の弾くピアノの音が明るく透んだ音色に聴こえるんだよ」
「そんなこと…ない」
「自覚のない恋も、芸術家には似合いだね、響」
「…」
「もっと自信を持ちなさい。努力するのは当然だが、君のピアニストとしての才能は私が保証するよ」
「…おじさん」
「君の父親にプロの道を薦めたのは、私だってことは…あいつは言わなかったのかい?」
「…ありがとう、おじさん。…ありがとうございます」

震える僕の肩を、河原のおじさんはしっかり抱きしめてくれた。
父よりも母よりも暖かい腕で…


聡良さんとの約束の日、「バイロン」の裏口から足を踏み入れた途端、ピアノの音が聞こえた。
急いで店内へ回ると、聡良さんが父のピアノを弾いていた。
揺るぎない旋律、甘く切ない…シューベルトの「セレナーデ」だ。

父の奏でるピアノに合わせ、アリアを歌う母の美しい声…
遠い昔…
うっとりと母を見つめる父の眼差し。
満ち足りたようにその視線に応える母の姿。
…幼い僕が見た光景。

Leise flehen meine Lieder
Durch Nacht zu dir;
In die stillen Hain hernieder,
Liebchen, komm zu mir!

(僕の歌は夜の中を抜け
あなたへひっそりとこう訴えかける。
静かな森の中へと降りておいで、
恋人よ、僕のもとへ!)


ピアノを弾く聡良さんの姿が、あの光景と重なり、そして、涙で滲んでいく。

(おとうさん、おかあさん、僕はいつまでも寄り添うふたりを眺めていたかったんだ…)

聡良さんが立ち上がり、僕に駆け寄り、そして優しく僕の髪を撫でた。
僕は涙でぼやけてよく見えないままに、正面の彼の顔を見つめた。

「どうしたの?響さん。どこか具合悪い?」
「…」
「そんなに泣いて…ねえ、大丈夫かい?」
「…聡良さんが好きだ」
「え?」
「あなたが好きなんだ」
「…ありがとう、響さん」
「僕は…本当はあなたに好かれる資格のない人間なんだ。だからあなたは本気にならなくてもいい。いつだって僕を捨ててくれてもいいんだ」
「そんなことは絶対にしない。俺は響さんを泣かせたりしたくない」
「…信じてもいいの?」
「俺は…能見響を一生守ると誓うよ」
「…ありがとう」

聡良さんの言葉が嘘でも本当でも、そんなことはどうでもいいんだ。
聡良さんは僕の欲しかったものをくれた。
それだけで僕は…


「…響は、思ったよりもずっと泣き虫なんだなあ~」
困ったように聡良さんが言う。

僕を泣かすのは、いつだってあなただよ。



響と聡良

4へフィナーレ

次回、最終回は、聡良視点、大団円でお送りします。


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