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2009-02

水川青弥 「出会い」 4 - 2009.02.18 Wed


「ちょっと雨宿りさせてくれよ」
 こんな寂れた温室に人がいることに驚きもせず、宿禰はそう言った。
 不思議だった。
 普段からこの裏庭は人影が少ない。おそらくここに温室があることを知っている生徒はほとんどいないのではないかと思う。しかも、わざわざ温室の中に足を踏み入れる物好きな人間なんて、おれの知ってる限りでは藤内先生とおれぐらいのものだ。
 この男は裏庭でなにをしていたんだろう。こんな所で雨宿りだなんて。
 返事がないことをたいして気に留めるふうもなく、宿禰は奥にいるおれに近づいてきた。
 おれは思わず身構えた。
「水川はここでなにしてんの?」
 名前を呼ばれてびっくりする。
「おれの名前……」
「ああ、知ってるよ。入学試験を首席で通過した秀才だって有名だもん。俺のことは知ってる?」
 おれは首を横に振った。本当は知っていたけど嘘をついた。
「おかしいな。時々目が合うような気がしてたんだけど」
 見透かされている。おれは手のひらに汗をかき始めた。
「まあ、いいや。俺は文系クラスの宿禰凛一。以後よろしく」
 差し出された手を、おれは握らなかった。
 宿禰はちょっぴり苦笑して、おれの手元を覗き込んできた。
「なに? 水川って絵を描く人なの?」
 身体が触れるか触れないかという距離に宿禰が立つ。おれは全神経でそばにある体温を意識した。けれど、表面的には平静を装う。
「まだ、なにも……」
 鉛筆を削り終えて、これから描こうとしていたときに宿禰が飛び込んできたのだ。スケッチブックはまだ真っ白だった。
 その白い紙に、ぽたりと水滴が落ちた。
 顔を上げると、宿禰の肩まである長い髪から滴ったのだとわかった。
 雨に濡れた宿禰の髪は、まるで烏の羽のように艶やかで複雑な黒色をしていた。見惚れていると、再び髪先から雫が落ちた。
 それに気づいた宿禰が「あっ、悪い」といって身を引いた。
 おれは鞄の中からハンドタオルを取り出し、宿禰に差し出す。
「これで拭けよ」
 一瞬、躊躇したものの、宿禰は礼を言ってハンドタオルを受け取った。そして、隅に避けてあったもうひとつの木箱を持ってきて、少し離れたところに腰を下ろした。ハンドタオルを頭の上に乗せたまま、ろくに拭きもせず両手で制服の胸やズボンのポケットを探る。取り出したのは煙草の箱だった。
 箱を振って煙草の頭が少し飛び出したところを、器用に1本だけ口で咥えて抜く。それからライターに火を点す。この一連の手馴れた動作が、彼が喫煙の常習者だということを物語っていた。
 けれど、この雨で湿気てしまったのか、なかなか煙草に火がつかない。
「畜生っ」
 おれは苛立つ宿禰の指先をじっと見つめていた。長くて形のいい指をしているなと思っていたら、睨まれているのだと勘違いしたらしい宿禰が慌てて煙草をしまった。
「あ、煙草はよくないよな」
 言われておれも思い出す。
「一応、ここで煙草は吸うなって言われてるから」
「誰に?」
「藤内先生」
「……水川って藤内と仲いいの?」
 教師と仲がいいのかなんて、変なことを訊くやつだと思った。
「べつにそういうわけじゃない。たまたまここで顔を合わせただけだ」
「ふうん」
 なにをどう納得したのか、宿禰はそれ以上質問してこなかった。代わりに違うことを訊いてくる。
「なあ、描いてるとこ見てていい?」
 本当はよくなかった。誰かに見られながら絵を描いたことなんて、今まで一度もなかったから、多分、緊張で手が震える。だからといって、見るなと言うのも自意識過剰な感じがして恥ずかしい。
 おれは了承の意味を込めて、宿禰の見ている前でスケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。
 心配することはなかった。一旦、絵を描くことに集中してしまえば、宿禰の存在はさほど気にならなかった。いつもの通りに手が動く。葉の1枚1枚、葉脈の1本1本を描きながら、おれは自分の意識が外界から乖離していくのを感じた。それはおれにとって快感に近い感覚だった。
 不意に、首になにかが触れた。
 ぞくりと背筋が震え、おれは反射的に身を引いた。
「なっ、なに?」
 それは宿禰の手だった。
「首、大丈夫だったか?」
 宿禰は手を下ろしながら訊ねた。
「首……?」
 一瞬、なんのことだかわからなかった。
「あんなやつ、適当にはぐらかして逃げればいいのに、水川って頭がいいわりに要領悪いよな」
 おれはようやく、宿禰があの朝の出来事のことを言っているのだと気づいた。ずれてもいない眼鏡に手をやって、彼の視線から逃れる。
「おまえには、関係ない」
 腹を立てたわけではない。やっぱりあのとき宿禰に一部始終を見られていたのだと思うと気まずくて、つい棘のある言い方になってしまう。
「あ、雨あがったみたいだ」
 その声に誘われて外を見ると、すでに雲の切れ間から光が差し込んでいた。
 宿禰は急に立ち上がり、頭に乗せたままだったハンドタオルを手に取った。
「これ、洗濯して返すから」
「いいよ、そんな……」
「いいから。じゃあ、邪魔して悪かったな」
 そう言うなり、宿禰は来たときと同じ唐突さで去っていった。
 おれは閉まったドアを呆然と見つめた。
 妙な男だと思った。
 宿禰と口をきいたのはこれが初めてだった。入学したばかりの頃から彼の存在は知っていたけど、今までこれほど接近したことはなかった。
 それなのに、彼はごく自然におれのテリトリーに侵入してきた。どちらかというとおれはイヤなものはイヤとはっきり言うタイプだけど、なぜだか彼には拒みがたい雰囲気があるというか、するすると入り込まれてしまった。
 迂闊だった。
 気をつけなくちゃいけない。
 ああいう手合いは深入りすると厄介だ。
 それでもしばらくの間、あの黒髪が、あの指が、瞼の裏に焼きついて離れなかった。
 おれはいつか、あの男を描くかもしれない。
 それは、真夏のアスファルトに出現した逃げ水のように不確かな予感だった。



                                           text by sakuta

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