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2012-02

天使の楽園・悪魔の詩 25 - 2012.02.28 Tue

ベルとアーシュ99
25、
 ルゥが還ってからのアーシュの焦燥は誰が見ても酷い有様で、彼を抱き、一時の快楽でも紛らわせてやりたいと何度思ったかわかりはしなかった。
 だが、アーシュがルゥを一途に想う姿は、俺にとって苦痛でありながら、一方で神聖な憧憬でもあった。
 苦しみながら胸を焦がす…この奇妙な胸の痛みは俺にも不可解でありながら、アーシュへの執着が大部分を占めている。
 俺はアーシュを愛し続けることで、自分の不幸を賛美しているのかもしれない。

 ひと月後、戻ってこないルゥに痺れを切らしたアーシュは、俺に抱いてくれと泣きついた。
 俺は今までアーシュに対し肉欲が無かったことは一度も無いと、告白した。
 全部さらけ出したとしても、彼が俺を避けることはない。
 今、アーシュに必要なのは俺だと言う事を、俺自身が一番知っていた。
 孤独に耐えかね、弱りきったアーシュを、俺は抱いた。

 泣きながら震える肩を温め、頬を濡らす涙を啜った。身体のひとつひとつに丹念にキスを落とした。
 彼自身を口に含み、啜り泣く声が喘ぎに変わるまで、慈しんだ。
 アーシュの白く滑らかな肌がじっとりと汗を掻き、俺の肌に吸いついたまま離れない。
 ああ、この身体にどれほど恋焦がれていただろう。
 想像を遥かに超えた…官能を味わう。
 どれ程恋焦がれていても、この身体は俺のものではない。
 ならば今だけの快楽に溺れるしかないではないか。
「ああ、ベル…すごく、いい」
 涙を溜めた濃紺の宇宙が俺を縛りつける。
 逃れられないのは俺なのだ。
 俺はアーシュの生贄でしかないのではないのか?
 彼の思惑どおり、俺もルゥも…捧げられているとしか…
 それも「愛」なのだろうか…
 
 「天の王」学園内で、俺とアーシュが公認の仲として知れ渡る頃になると、誰もルゥの事を口にしなくなった。人の記憶というものはこうも曖昧で、目の前にないものを自覚出来ないと知ると簡単に忘れ去るものだろうか。まるでルゥという存在がひと月だけの転校生のように、友人たちは「ああ、そういう奴もいたね」と、話を締めくくるのだ。
 今まで一緒に暮した毎日の軌跡が、俺とアーシュにはこんなにも輝き、今でも二人の会話の中でルゥの話題が出ないことはないというのに。
 
 

 俺達は中等科を卒業し、無事高等科へ進学した。
 夏季休暇は二人揃ってスタンリー家の屋敷へ遊びに行った。
 しかし、以前のように終日エドワードが俺達の相手をしてくれるわけではなかった。
 彼はサマシティでは一端の企業家として認められ、毎日休日さえも返上して仕事に勤しんでいたのだ。

 屋敷内は相変わらず貴族主義で、レトロな調度品に囲まれていたが、今回気になったのは、ホールの中央を仕切る赤絨毯が敷かれた階段の踊り場の壁にあの絵画が飾られていたことだ。
 「レヴィ・アスタロト」と題されたアーシュそっくりのモデルを描いた絵画は、俺の母親が祖母から受け継いだとされる代物で、大切に保管されていた。それを、何故、今頃になって人の目に晒すことにしたのかと、エドワードに聞いた。
「あの絵について色々調べてみるけれどまるっきりわからないんだよ。だから敢えて他人の目に入りやすい場所に置く事にした。今はこの屋敷も人の出入りが多いのでね。何か情報が入るかもしれないだろう?」と、言う。
 なるほど、毎週末、屋敷で行われるお茶会や夜会は昔から催されていたが、来る客人の資質が全く違っている。
 昔は遊興に耽ける没落貴族ばかりだったのに、今は街の政治家や名の知れた企業家が多く、エドワードが本当にマトモになったのだと、こちらも変な感銘を受けてしまう。
 そんな俺たちも、お世話になっているお返しにと、屋敷の滞在中はできるだけ客のホストを買って出た。
 俺もアーシュもまだ子供扱いをされたけれど、学園でもそれなりに礼節は習っていたから、恥を掻く事もなかく、アーシュなどはその容貌から、マダムやその道の紳士らにえらく気に入られていた。

アスタロト肖像画

 休暇も終わる頃…その夜は俺の父が来客として招待されていると聞いていたから、俺は変に緊張していた。今でも父と会う機会は滅多になく、顔を会わせるのは魔術師カルキ・アムルの話を聞いた二年前以来となる。

 エントランスホールで訪問客を待つ間、隣りに立つエドワードに何気なく聞いてみた。
「母も一緒なの?」
「ナタリーは来ないと思う」
「どうして?」
「…姉は僕とスチュワートが一同する場所は居心地が悪いんだそうだ」
「…そうなんだ」
 母は父を嫌いなのだろうか?俺にはそうは思えなかった。
 確かに父はあの調子だし、ふたりの間に夫婦的愛情があるとは思えないが、別段特別な嫌悪感を抱くこともない。問題は母のエドワードへの想いじゃないのか?
 母の最愛の人がエドワードであれば、両方に対しバツが悪かろうし、何より…彼らが一緒にいる姿など見たくはないだろう。
 自分で蒔いた種だ。俺は彼女が可哀想だとは思わないが、彼女の気持ちはわかる気がする。

 父がカルキ・アムルを伴って、姿を見せた。
 それまで自分で驚くほど緊張していたんだが、カルキの安穏な顔を見て、なんだかホッとした。
 父がエドワードと挨拶をしている間、俺はホールの隅にカルキを呼んで久しぶりに話をする。
「今夜はクリスがいらっしゃると聞いて、スチュワートさまに是非に連れて行ってくださいと頼んだのです。クリスとわずかでも共有できる時間を持ててとても嬉しいです」
「僕もだよ、カルキ・アムル。…そうだ、紹介するよ。前に話したことがあっただろう。こちらが僕の友人のアーシュだ」
 俺は後ろに控えるアーシュを呼んだ。 
 アーシュはすっかり板に付いたホスト顔でカルキに挨拶をする。
「初めまして、カルキ・アムル。クリストファーの友人でアーシュと言います。夏季休暇なのでずうずうしいと思いながらもこちらにお世話になっています。今夜はごゆっくりお寛ぎくださいね」
「…」
 アーシュの丁寧な挨拶にも返事はなく、カルキはただ呆然とアーシュを見ていた。

「…あなたが…アーシュ」
「そうです…何か僕の顔、変ですか?」
「い、いえ、そんなことはないです…ただあんまり、凄すぎて…」
「え?何が?」
「いえ、何もありませんよ。気になさらないでください」
「こいつはなあ、おまえが薄気味悪いって言ってるんだよ」
「お父さん」
 いつの間にかカルキの傍に父が立っていた。
「クリストファーの恋人っておまえか?」
「…はい、そうですよ。お父さん」
 いきなり機嫌を損ねられたアーシュは、すごい形相で父を睨んでいる。
「おまえにお父さんって呼ばれる筋合いはないから、スチュワートでいい」
「じゃあ、スチュワート。なんで俺が薄気味悪いんだよ」
「…おまえ、人間じゃないだろ?片っ端から人間を魅了しまくって魂を奪っていく気満々のツラ構えって事だよ」
「お父さん、アーシュは俺の大切な友達なんだから、讒言はやめてください」
「讒言だと?…おまえ、よく平気でこいつと寝ていられるな。こんな恐ろしい奴と。そっちの方が感服するよ」
「息子さんが誰と寝ようと、あなたには関係ないだろう」
「関係あるね」
「ス、スチュワートさま。おやめください」
「うるせえ、黙ってろ。…いいか、こいつは俺の後を継ぐただひとりの息子だ。クリストファーが誰と付き合おうが、誰と変態的なセックスをしようが俺が知ったことじゃない。けれど、付き合うのがおまえみたいな人外だとしたら別の話だよ。俺も色んな魔法使いと付き合ってきたが、おまえみたいな奴は初めてだ」
「だから?息子さんに近づくなって言うの?」
「…別に。言っただろ。おまえと付き合うクリストファーに感服するって。おまえは人外の力を持っているが、邪悪ではない。人ではないものが『悪』と言う観念が間違っているのだからな。だが、気をつけろと息子に言って何が悪い。息子におまえをただの綺麗でこましゃくれた只のガキと思って付き合うじゃないと言っているんだよ」
「なんだよ。ベルに全然構ってやったこともねえ放任親父のクセに、こんな時だけ親父面するなっ!俺は…人間だよ。この顔は持って生まれた美貌なんだから仕方ねえだろーがっ!このバカ親父っ!」
「なんだとっ!顔がいいだけのクソガキのくせに。大人に向かって言う言葉かっ!こいつ、ぶん殴ってやる」
「ちょ…待て」
「やめてください、スチュワートっ!」

 今にも取っつかみあいそうなふたりを俺とカルキでなんとか抑えた。
 ふたりともなんて喧嘩早いんだ。
 呆れて言葉も出ない。玄関の方でエドワードの客人との話声がなんとなく大きくなっている。
 きっと呆れていることだろう。
 大体…なんでアーシュの顔が原因で喧嘩になるんだ。

「いい加減にしろよ、二人とも。アーシュ、俺達はホスト役だろ?こんなところで喧嘩してどうする。お父さんも初めて会ったのに俺の友人に失礼はやめていただきたい。今夜はエドワード主催の夜会でしょう」
「…ゴメン」
「俺は仕事以外では本当の事しか言わない。この子が人外の力を持っているのは本当だ。…あの絵を見ろ」
 スチュワートは階段の絵を指差す。
「あれはおまえだろ?」
 そう言い残してスチュワートはカルキに急かされながら、広間へ消えた。
「アーシュ、父が失礼なことを言って、ごめん」
 俺の謝罪も耳に入らぬ風のアーシュは、階段の「レヴィ・アスタロト」を見つめていた。


 その晩、アーシュは俺を求めてきた。
 いつもは喜んで応じる俺も、エドワードや父と同じ屋根の下で交わるのには抵抗があった。それを見越してのアーシュの誘いだったのだろう。
「ベルは叔父さんやお父さんの前では紳士でいたいの?」
「そんなことはない」
「じゃあ、抱いてよ。俺、ベルの親父に酷いこと言われたからね。傷ついているんだ。その責任は息子の君が負うんだよねえ」
「アーシュ…」
 俺はアーシュを恐ろしい程美しいと思っても、アーシュ自体を恐ろしいとは思ったことはなかった。だが父の言葉に揺らいでいる自分が確かにいるのだ。
「ベル、好きだよ…もっと、もっと頂戴よ…」
 この腕の中で悦楽を求めている恋人は…本当に人…なのだろうか…

 エドワードの屋敷から学園に戻った俺たちは、新学期を向えた。
 日も経たずにカルキ・アムルから手紙が来た。
 その文章には、夜会での父の言葉の意味が暗喩を込めて書かれていた。
 「すべては『天の王』学園の学長であるトゥエ・イェタルが知るものと感じています。クリストファーが真実を知る必然性を求めるのなら、彼にお聞きになるのが宜しかろう」と、閉めてあった。
 俺はその手紙を持って、学長に会う為に学長室へ向かった。
 学長は部屋にはおらず、秘書は聖堂かも知れないと教えてくれた。
 俺は学園の中央に座する聖堂へ足を運んだ。
 正門の階段を昇り、重い扉を開ける。
 幾人かの生徒達の礼拝する後ろ姿が見えた。それを横目にしながら、壁に沿って中央の祭壇へ向かう。
 天上の光が集まる場所に金色に輝くサークルがある。
 解読できない魔法陣が描かれたそれは誰がどんな呪文を唱えても反応することは無いと言う。
 だが、アーシュはここから誰かの声を聞いたと、言う。
 俺はその声の主を探したかった。もしかしたらアーシュの本当の姿がわかるかもしれない。
 それを知ったところで、俺に何が出来るのかはわからないけれど…

「ベル?」と、俺を呼ぶ声の方を向いた。学長が立って俺を手招いていた。
 俺はすぐに彼の元へ行き、話したいことがあると言った。
 トゥエは微笑み、そして聖堂の奥の部屋へ俺を案内した。
 
「私に何を尋ねたいのですか?ベル」
「アーシュの事です。彼を最初に見つけたのが学長ならば、彼の正体が何かはご存知でしょう?俺は…ある魔術師からあなたならすべて知っていると告げられた。俺は…アーシュが何者なのか知りたいんです」
「君にそれを知る勇気がありますか?」
「俺は…アーシュを愛している。アーシュは俺にとって生きる根源の大部分を占めている。彼が何者であろうとも俺は受け止める覚悟がある。だから、教えてください。彼は何者なんですか?」
「…アーシュが何者なのか…そうだね、人間ではあるまい。彼は私が召喚した人ではない者…なのだから」
「…」
「昔の話だ。16年前の冬の日、私は私の理想の悲願の為に、力のある者を召喚した。彼の名は『アスタロト』。神であり魔王であり統治する者であり、偉大なる魔術師だと言った。私は彼にこの地上の平和を願った。彼は私の願いを嗤った。そしてそれを叶える為に自分自身を産みなおし、私の願う者に育てろと言ったのだ。魔王にするも神にするも私の手に委ねると…そう言い残して私の目の前でアスタロトは自らを生まれたばかりの赤子にしてしまった…」
「それが…アーシュ…なのですか?」
「そうだよ、ベル。アーシュは『アスタロト』自身なのだ。私は赤子の彼をどうするべきなのか悩んだ。誰も知らない場所で秘密裏に人間の汚さも何も知らぬままに育てようか、それとも聖主として崇め奉り、慈悲深き選ばれし子として育てようか…幾つもの選択の中で、私は彼を一人の人間として育てることを選んだ。特別扱いなどせず、多くの孤児と一緒に保育所で育てた。彼の魔力が心配でもあったが、アーシュの人としての情緒に何ひとつ問題はなかった。…実際のところ、私が望むよりも彼は素晴らしい人間として育っている。私はね、ベル。自分の愚かさを嘆いているんだよ。魔力で美しい世界を創ろうなどと…教育者として魔術師として恥ずかしい限りだ。だからアーシュがどのような人間に育ったとしても、彼にこの世界をどうこうして欲しいとか、願う気は全くない。彼も時期大人になる。彼の人生は彼のものだ。彼が『アスタロト』であることを望めばそれも構うまい。自由なる『アスタロト』もまた興味深いだろうね」
「俺は…どうすればいいのでしょうか。このまま彼を愛し続けて構わない?」
「君の意思でしかない。真の愛ならばこそ、誰も口を挟める資格はない。だけどね、アーシュの養父として私は君に感謝しています。アーシュが人間らしい愛情を覚えたのは、君達が彼を愛してくれたからです。君達がアーシュを支えているんだよ。だから…これからもアーシュをよろしく頼むと…頭を下げてお願いします」
「学長…」
「父親の気分を味わえるのもあの『アスタロト』のおかげかと思うと、彼に感謝せずにはおられませんよ。私は幸せ者です」
「俺も感謝します。アーシュを育ててくれた学長に。ありがとうございます」
「私にできることはそう多くはないでしょう。これからアーシュに何が起こるにしても、彼を見捨てないで欲しい。そして…彼が何を選択するのか…君が見定める者になってくれますか?」
「…わかりました。トゥエ。あなたの期待に応えることを誓います」

 トゥエは左手に嵌めていた指輪を外し、俺に渡した。
「役に立つ時がくるかもしれませんから」
 金の輪に紫水晶(アメジスト)が嵌めこまれた指輪を俺の中指に嵌めた。宝石の奥に紫の炎はちらちらと燃え始めた。
 俺の中の波動がそれに呼応している。何かの使命を帯びている気がした。

 寄宿舎に帰ると、部屋でアーシュが待っていた。
「どこへ行っていたんだよ。学食でずっと待っていたんだぜ」
「悪い。ちょっと野暮用」
 アーシュは俺に近づき、迷いもせず俺の左手を掴んだ。
「魔力の指輪。…トゥエのしていたものだ。彼からもらったんだな」
「…そうだよ。なにか…問題ある?」
「…別に…」
 アーシュは意味深な笑みを浮かべると、俺の顎を人差し指で撫でた。
「君を信じているから、君が何をしても俺は構わない…けどね」
「俺だってアーシュを、信じているよ」
「俺が魔者でも?」
「…」
「君の親父が言ってたろ?俺は人外だって」
「まだ気にしていたのかい?」
「別に…俺が何者でも俺は俺でしかないもの。ただ、ベルに嫌われるのが嫌なだけだよ」
 アーシュはベッドに座る俺の腰に跨り、俺に甘える。

「でもさ…君の親父が言うのはまんざらではないと思うよ。ベルにまで去られたら、俺はきっと堕ちるしかないだろうからねえ…残虐な魔王になってもいいや」
「バカ…おまえを魔王にさせるものか…」
 俺はいつもと同じようにアーシュを抱きしめ、口づけた。アーシュは微笑みながら眼鏡を外した。
 人ならざる深遠の宇宙の目が俺を統べるのだ。
 アーシュが望むままに俺はすべてを差し出す。
「アーシュ、愛している。だから…」
 どこへも行くな。

 君をこの世界に留めておけるのなら、俺は君の奴隷になっても構わない。


「天使の楽園・悪魔の詩」 終



アーシュとベルひとみ33



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天使の楽園・悪魔の詩 24 - 2012.02.24 Fri

三人

24.

 俺の家の猫をどうしても見たいというルゥを連れて、週末帰省した。
「かわいい~っ!」を連呼しながら、子猫と遊ぶルゥの方が、俺には猫よりもよっぽどかわいくて、こちらも笑みが絶えない。
「アーシュも来れば良かったのにね」
「うん、でも具合悪そうだったからね」
「アーシュにしてはめずらしいよね」
「…うん」
 アーシュが何を考えているのか、何となくわかる気がする。
 彼は…ルゥとの別れを決意しながら、それを言い出せなくて苦しんでいるんじゃないのか。
 
 ルゥと別れる…こんなに愛らしく無邪気な、大切な親友と離れ離れになるのは…俺だって嫌だ。
 第一、ルゥはアーシュと別れられるのか?
 いくら親元に帰れるとは言え、今の生活にルゥは満足している。
 アーシュに愛される、アーシュを愛す喜びを感じながら生きているルゥに、アーシュは別れを言えるのか?

 翌日、寄宿舎に戻ってみると、アーシュはいきなり本題を切り出した。
 アーシュは魔力を使いルゥを両親の元に還すと言う。
 それまで足りなかった自身の魔力を、アーシュは手にしたのだろうか。
 彼の言葉に迷いは感じられなかった。
 ルゥは泣く。
 当たり前だ。全幅の愛情で信頼しているアーシュ自ら別れを告げ、そして絶対に否定できない強引さでそれを押し付けているのだから。
 だからと言ってアーシュが何も傷ついていないとは思わない。彼は傷つきながらも選択したのだ。
 彼が導いたこの選択は、ルゥにとって絶対必要な道なのだから。
 
 それでも…直視できないほどに項垂れるルゥが可哀想で…可哀想で仕方が無い。
 俺は震えるルゥの肩を抱きしめた。彼は堰を切ったように泣き崩れた。
「ルゥ…泣かないで、ね。アーシュが恋しくなったら、すぐに戻ってくればいいのさ」
「…うん」
 可哀想なルゥ…

 その日の深夜、ルゥは独り、自分の枕を抱えて俺の部屋を尋ねてきた。
「どうしたの?」
「…眠れないから…ベルと一緒に寝ちゃだめ?」
「いいよ」
 ルゥには俺に出来うる限りの事をなんでもしてやりたかった。俺はすぐにルゥを部屋へ招き入れた。

「ココアでも飲む?」
「ううん、ベッドに横になりたい。眠たいのに寝れないって変だね」
「今日は色んなことがあったから、興奮しているんだろう。どう?少しは落ち着いた?」
「うん…少しはね」
 ベッドに寝るルゥの隣りに俺も寄り添って寝る。
 丸くなりながら俺にくっついてくるルゥは、まるでうちの猫たちみたいで、可愛くて仕方ない。

「アーシュは意地悪だ。あんな奴よりベルを好きになる方が何倍もマシだったよ」
「それ、何十回も聞いたし、俺の答えも同じだよ。君が一番必要としているのは俺じゃなくてアーシュだよ」
「…わかってる」
 ルゥは俺に沿うように全身の身体を這わせ、そして誘うように俺の口唇にキスをする。彼の身体の輪郭が俺の肌を刺激する。だが、こんな風にされても俺の身体はルゥに対して欲情する気配を持たなかった。
 俺にとってルゥは性を持たない天使みたいなのかもしれない。

「ベルってさあ…」
「なんだよ」
「僕には全然欲情しないんだよね~。安心するけど…ちょっと自信なくすよ。僕って色気足りないのかなあって」
「君と同じ事考えてたよ。何故俺はルゥを性の対象にできないのか…君は天使なんだろうね。天使は性別がないだろう?だからさすがの俺も勃たない」
「そうか~。僕はベルの天使か~。じゃあ、しょうがないね。別れる前に一回ぐらいはベルともセックスしたいなって思ってたのに」
「バーカ。アーシュに殴られるのは嫌だよ」
 俺たちは声をクスクスと笑いあった。
 ルゥは寄せた肌を少し離して、俺の顔をじっと見つめる。

「ベル、お願いがあるんだ。君にしか頼めないから…」
「何?」
「僕がここから居なくなったらね、アーシュはきっと落ち込むと思うんだ。ああ見えて僕よりもずっと寂しがりで甘えん坊なんだよ。だから…ベルに僕の代わりをお願いしたいの」
「勿論心配しなくても親友としてアーシュは俺が支えるつもりだけど、君だっていつまでも親に甘えてばかりじゃなくて、早く戻ってくるんだよ」
「違う、そういう意味じゃないよ、ベル。…アーシュはさあ、僕が居なくなったら寂しさを紛らわせる為に絶対節操なく誰とでも寝ちゃうと思うんだよ。あいつセックスに関しては貞操観念薄いから」
「俺も人の事は言えないけれど…」
「ベルはいいの。遊びだから。でもアーシュはね、本気で浮気するから嫌なんだ。僕が居ない間、メルがアーシュを本当の恋人にしちゃうかもしれないと思ったら、凄く腹が立つ。気分良くアーシュと別れられない。でもね、僕…ベルだったら許してもいいかなあ~って、思えるんだよね」
「ルゥ…」
「ね、頼むよ、ベル。君にアーシュの恋人になって欲しい」
 ルゥの言葉が胸に突き刺さった。
 彼は言葉に出来ない俺の心を読んだのではないだろうか。俺がアーシュを心底欲しがっていると、彼は知っているのでは…ないだろうか。
 もし、そうなら俺は…

「ルゥ、俺は…そんなことできないよ。君の代わりはできない」
「ベルにしかできないから頼んでいるんだ。僕の事を好いてくれているのなら。僕が安心して旅立てるように、ベル、了解してよ」
 ルゥは真剣だった。誤魔化す事を一切許さないと、アイスブルーの眼差しが俺に迫っている。
 心が痛い。
 アーシュの為に心を下す純真なルゥの前で、俺はどんな顔をしている?
 化けの皮を剥いて、アーシュをやっと俺のものにできると…豪語できるはずもない… 
 ルゥの言葉が俺の中に楔を打ち込む。
 俺は重い十字架を背負わされた気がした。
 それがルゥの思惑通りでも…俺はこの「業」を受け止めなければならない。
 アーシュを守ると誓ったのは、俺自身の切なる願いだったはずだ。

「…わかったよ、ルゥ。俺はアーシュを誰にも渡さないよ」
「ホント?…良かった。これで安心してゆっくり眠れるよ」
 ルゥは安堵したかのように、大きく深呼吸を二回繰り返し、そして俺の胸の中で静かに目を閉じた。
「おやすみ、ルゥ」
「うん、おやすみ…ありがとう、ベル」
「…」
 俺の胸の中で眠るルゥの背中を抱きながら、俺は一睡もできないまま夜が過ぎるのを待った。

 
 今年4回目の月食の深夜、ふたりは14歳の誕生日を迎えた。
 ルゥを両親の元へ還す為の儀式は、あの鉄塔の屋上で行われる。
 アーシュが言うには、あの場所こそ、次元を超える出口となる場所らしい。
 「聖堂の魔法陣は使えないのか?」と、問うと、「あれは普通の人間が入れる魔法陣じゃないよ」と、そっけなく答えた。
 アーシュが床に魔法陣を描いている間、ルゥは身を切るような空気と遊ぶように、はあ~と白くなる息を何度も吐きながら楽しんでいた。
 それでも緊張しているのだろう。アーシュのしていた赤いマフラーを奪い、それを首に巻いて祈るように両手を重なり合わせている。
「ルゥ、大丈夫?」
「うん、ありがと、ベル。心配はしていないよ。アーシュは上手くやるし、もうすぐ両親に会えるんだからね…大丈夫だよ」
 心配させまいと健気に笑うルゥは、こちらが心打たれるほどに強い。

 アーシュは膝を付き、自分で書いた魔法陣に触れ、呪文を唱え続けた。
 それは俺には理解できない…把握できない言の葉であり、もはや旋律と言って良かった。
 アーシュの端正な顔は厳かに満ち、また得も言われぬほど妖艶であり、この世に生を受けた人間ではありえないほどに…魔性の存在だった。
 俺はその姿に見惚れていた。
 彼が何者であろうと、俺は彼を愛しつづけるだろう。
 地獄にさえ彼となら、共に行くだろう。

 にわかに魔法陣が黄金の光を放ち、輝きを増す。
 風が巻き起こり、アーシュの緩い黒髪が流れ、マントが大きく巻き上げられた。

魔法陣11


 アーシュはルゥを招き、その魔法陣の中心に立たせた。
 ふたりの別れの言葉をひとつひとつ刻み込で、俺はふたりを見守った。
 ルゥの身体が金色を帯び、ゆっくりと空中へ浮かんでいく。

「笑ってくれ、セキレイ。そして、言って。また会おうって」 
「うん…絶対…また…会お…う…」

 精一杯の無邪気な笑顔を残し、ルゥの身体はこの次元から、消えた。

 魔法陣の光が次第に薄れ、あたりは尖塔に灯る仄暗いランプの光だけになった。
 
 アーシュはその場に座り込んだまま泣いていた。
 先程までの人間とは思えない魔性の者だったアーシュの姿はなにひとつ無く、今は14歳の痩せた儚げな少年の背中だった。
 声を押し殺して泣くアーシュの背中をそっと、撫でた。
 崩れるようにアーシュの身体が俺に倒れこむ。
「行ってしまった…セキレイ…行ってしまったんだ…」
「アーシュ…」

 ルゥ…君を想って泣き続けるアーシュがここに居るよ。
 アーシュの涙はすべて君のものだ。
 君以上にアーシュが誰かを愛することは…求めることは決してないだろう。
 だけど、アーシュを愛し続ける俺を、許してくれ。

 アーシュは俺のものではなく、俺がアーシュのものになるのだから…




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Private Kingdom 26 - 2012.02.21 Tue

ashsyosinn.jpg

26、
 セキレイを送り返した後、俺たちはその足で学長のトゥエへ報告に行った。と、言うより、俺は一歩も動けないほどに落ち込んでいたから、後はほとんどベルがやってくれた。
 翌日、セキレイは親の急用で学園をしばらく休学することになった、と、学校側は生徒に報告した。
 しょぼくれる俺に友人たちはさすがに迂闊には茶化しようもなかったのだろう。
 哀れみと同情で慰めてくれた。それに反発する気力さえ起きない俺は、薄ら笑いで受け流するしかなかった。
 
 夜が怖かった。
 セキレイの居ない時間が怖かった。
 ひとりでは寝つけない日々が続いた。
 ベルの部屋へ向かう。
 俺はベルしかいない。
 俺を抱いてくれとベルに頼み込んだ。
 勿論ベルは嫌がった。

 ベルは真夜中にパジャマ姿で部屋に押しかけた俺に、落ち着くようにとアップルティーを勧めた。
「アーシュはルゥが居なくなって心が弱くなっているだけだ。寂しいのなら一緒に寝てあげる。だけど…君を抱く事は…できないよ」
「何故?セキレイに対して罪悪感を感じるの?」
「…それだけじゃない。今、君を抱いてしまったら、俺は後悔しそうで、怖いんだ」
 ベルは俺と少し距離を置くように離れて座る。俺はその意味がなんとなくわかる気がした。

「前に君に言ったことがあったね。ベル、君は俺の中で一番美しい場所に住む親友だと…今でもそう思っているよ。でも…そうだね、俺の中でひとつの観念が変わってしまったのかもしれないね…」
 俺は温かいカップを持った自分の手を、見つめた。
 セキレイを抱いた手は、こんなに頼りないものだったのか…
「…俺は…セキレイやベルが思うより…遥かに弱い人間なんだよ。自分で還した恋人なのに、自分で傷ついて、堪えられなくて、君に慰められたいと懇願する…軽蔑していいよ」
「アーシュ…」
「でも一方で俺は考える。寂しいからって誰かを求めるのは罪なの?セックスは汚いもの?ベルと身体を繋ぐのがセキレイに対して悪いことなの?…それで言うなら、俺はもう当の昔からセキレイ以外の奴とも寝ているし、それに対しての罪悪感もない。もし君が俺と寝る事でそれを感じるのなら、俺がすべて引き受ける。だから、ベル、寝てくれ」
「君だけの罪じゃないよ。…今まで言えなかったけれど…告白するよ。俺は…アーシュに欲情していた。ずっと前から君が欲しくて…仕方なかった。セキレイの手前、言えなかっただけ…俺は君に欲望を持っていながら、君達の前で清廉潔白な親友のフリをしていたんだ…」
「いいじゃないか、その想いに嘘はない。ベルは俺を本気で愛してくれている。セキレイに対しても君は一度だって裏切ってはいない。俺は知っているもの、君の誠意を。だから、もし、ベルが俺を今も抱きたいって思ってくれるなら…大いに愛してくれよ。俺ね…愛されたいんだ。…他の奴じゃダメなんだ。セキレイを愛している君じゃなきゃ…ね、慰めてくれよ。もう、セキレイは居ないんだから…」
「ルゥはきっと、すぐに帰ってくるよ」
「いいや…帰ってこないさ」
「どうして?」
「俺はセキレイの家族を見た。彼らはセキレイを愛しているんだ。やっと自分の元に帰ってきた子供を親が簡単に返すと思う?セキレイだってこの10年間の想いがある。簡単には帰れないさ」
「アーシュはそれをわかっていたの?」
「うん…だから、辛かった…でもね、すぐに戻ってくるんじゃないかって…少しは願っていたんだよ。でももう、彼が還ってひと月だもの…セキレイは戻らない」
「…」
「俺は…セキレイが羨ましくて…妬んでいるんだ。あんなに素敵な両親がいることを。彼の幸せを祈りながら、両親と幸せに暮すセキレイが…憎くてたまらなくなる。…俺はこの世で独りきりだって…打ちひしがれる。すがりたくなる。誰かに愛して欲しくなる…俺は…どうしようも、ない…」
「アーシュ…泣かないでくれ。お願いだから…泣かないで…」

 震えて泣く俺を、ベルが抱かないわけがない。
 ベルの純粋な好意に付け入る自分が潜んでいるのを、俺は知っていた。
 俺はたぶん…悪魔なのだろう。
 知らぬうちに魔力を使い、魅了させ、引き摺り込んでしまうのだ。
 こんな俺が、ジョシュアのことを責める資格があるものか…

 優しいベルは、俺が満足するまで何度でも与えてくれる。
 彼は俺が望むものを与えようと懸命に俺を抱く。
 それがどんなに官能的であり快楽を得ても、俺はもう「senso」を使う気にならなかった。
 「魔力」が人の行く道を変える「力」ならば、未熟な俺はまだ、身の程を知らなさ過ぎる。
 身体に疼く官能の「魔力」が本物だとしても、俺はまだ…「人」でありたいと、願う。

 俺は捨てられた時から身に付けていたとトゥエから渡された「指輪」を、外した。


 
 
 トゥエ学長の家に着いた時には、外套に薄っすらと雪が舞い降りたままに残っていた。
「寒かっただろう。さあ、お入りなさい」
 玄関で外套を脱ぎ、暖炉のある部屋へ案内された。
 暖炉で薪をくべている後姿に見覚えがある。
「あ、キリハラ先生」
「やあ、ご両人。お先に失礼しています」
「なんであんたがここにいるの?」
「え?だってアーシュの誕生日パーティだろう?私も君をお祝いしたいからね」
「…嘘つき」
「私がキリハラ先生にお願いしたんだ。執事が体調を崩してね。暫くで実家で静養するように薦めたんだ。私もここには休日しか帰らないから、家の中も散乱しているし、君達を誘ったものの、あまり気の利いたもてなしもできそうもないから、キリハラ先生にも手伝ってもらうことにしたんだ」
「学長宅とは目と鼻の先ですし、私も暇なので、喜んでお邪魔している…と、いうわけです」
「はいはい、そうですか…何でもいいや。美味いもんにありつけるならさ」
「シェフも雇っていないから、私の手作りの料理になりますが…」
「ええーっ?」
「安心なさい。味はキリハラ先生の保証つきです」
「学長オリジナルビーフシチューは、サマシティ一ですよ」
「キリハラの舌じゃ信用できかねるんだけど」
「まあ、味わってみなさい。ところで君達。私に付いてきてください。台所まで」
「「え?」」
「料理の助手を勉強させてあげるから」
 俺とベルはお互いを見合わせて肩をすぼめさせた。
 こりゃ、エプロンがけで働かなきゃ、今夜中に食い物にありつけるかどうかわかったもんじゃない。

 晩餐の用意は思ったよりも手早く終わり、俺達は望みどおり美味い食事にありつけた。
「リリとスバルが私用で来られなかったのは残念だったね」
「あいつらが俺の誕生祝をしたがるとも思えないから、来ないのは当たり前でしょう」
 リリとスバルは同じ学年の「ホーリー」だ。
 ふたりとも学長に誘われていながら、リリは実家へ帰省したし、スバルは…相変わらず部屋に引きこもっている。

「だが、君達五人の『ホーリー』が出た後の学年は、一向に『真の名』を受け継ぐ者がいない。これは一体どういうことだろうね」
「変なの。大体『真の名』を与えるトゥエの口からそれを言うの?すべてあなたが決めることではないの?」
「私は『天の声』に従っているだけだよ。私の意志ではない」
「嘘だ。あなたは知ってて、それを選択している。違う?」
「…」
「アーシュ、あまり学長を苛めないで欲しい。何かを選択するということは、それに対して責任を負うということでもある。突き詰めれば、選択続ける覚悟が学長にはおありになるという事だよ。…君だってわかっているだろう。その重みを…」
 キリハラがセキレイの事を言っているのは、わかった。
 俺が選択したあの子の運命は、俺は一生背負わなきゃならないものだ。

「そう言えば、ルゥはどうしているんでしょう。もう三年になりますが、卒業までにこの『天の王』へ戻ってくる気があるのでしょうかねえ。上手く卒業証書をもらえれば宜しいんだけど…」
 それを暢気に言うキリハラは意地が悪い。
「戻ってくるさ。戻ってこなきゃ…俺が迎えにいく。そんでみんな一緒に…この『天の王』から自由になってやるんだ」
「そう、願いたいね」
「キリハラ先生、あまり生徒を苛めないでください。あなたは贔屓にする生徒を揶揄いすぎるきらいがある。アーシュ、先生は君とルゥの事を心配なさっているのだよ」
「…わかってます」
 わかっていた。
 セキレイ…ルゥと別れて三年経った。
 17歳になった俺はもう子供とは呼べまい。
 「魔力」で彼を呼び戻せることも出来る。だが、二度と同じあやまちはしたくない。
 「俺を呼べ」とも、俺は要求してはいけない。
 俺はルゥに対する自分の中の欲求を抑え、彼の呼ぶ声だけを待った。
 ずっと待ち続けている。
 夢にさえも出てこない君を…

「君達の夢はなにかね?」
 暖炉の火の灯りに映えたトゥエ学長の影が、聞く。
 ベルは食後の紅茶を掻き混ぜながら、自分に問うように答えた。
「俺は…父を尊敬しています。ここを卒業し、大学で基礎を勉強して父の後を継ぎたいと思っています。それに母方の侯爵家としての義務も果たさなきゃならない。俺ひとりですべてを荷うことは出来ません。まわりの手を借りながら、この社会に対しての責任と義務を果たしたいと思う…面白みに欠けますけれど…」
「いや、何ひとつ補うことがない未来図だよ。ただ理想は理想だし、簡単には自分の思うようにはいかない。私もそうだったし、誰でも失敗に打ちひしがれる時もある。困難こそが人間を成長させるスパイスになろう」
「俺、辛いの苦手だよ」
「アーシュは甘党だしね」
 目の前のケーキを一口頬張った。
 味付けは…俺の担当だったが、砂糖の加減は適当だった所為か、少々甘すぎるかもしれなかった。

「楽して生きるのが成長しないわけではない。人というのは自分の口に合うものを探すだろう?でも好物でも食べ続けるのは段々と苦痛になってしまう。我儘ではない。それが真理なのだよ。人はとどまることを嫌うのだ。常に変化を求める。だが求める絵を想像しただけでそれを手にする努力に長けてはいない。困難な崖を自ら昇ろうとはしないんだ。だから『理想』というものは、我々の手には遠いものだろう」
「手にしてしまったら…どうなるの?人が立ち止まれないのなら、『理想』は『理想』のままで、手の届かないところで夢見ていたほうが、幸せではないの?」
「『理想』の『国』は…誰のものか…と、言う精神論だね。私は教育者として、君達生徒のひとりひとりが自分の『理想の国』を掲げて、それに邁進してもらいたいと願う。どんなに小さな理想でも個人的なものであっても、それは君達の『private kingdom』になるのだから…」

 「pivate kingdom」
 …そうだな。
 俺だけの国を創って、俺が神にでもなれば、すべては俺のもので…俺の好き勝手な理想の国に仕立てて、このデザートと同じように甘いものだけを与えて…
 平穏に、幸せに、延々と続く…
 
 ――― くたばってしまえ、そんなもの。

 俺は自分でデコレートしたチョコレートケーキを、フォークでぐちゃぐちゃに壊してやった。
 



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Private Kingdom 25 - 2012.02.18 Sat

ashruu56.jpg

25、

「君は…帰らなくちゃならないんだよ」
「何故、君が勝手に決める。僕が…いつ君に帰りたいなんて言った?」
「言わなくたってわかる。君はいつも両親の夢を見ているじゃないか」
「…それは」
「それに、ついこの間、俺たちはあの場所に立ったよね。『senso』の力を借りて、幼い君が居た場所に。君のお父さんとお母さんと一緒に暮していた家を君も見ただろう?君は覚えていないと言った。頭の中で描く自分の幻想だといった。だけど幻想じゃない。『senso』は真実しか映し出さないことは、君も知りすぎているはずだ」
「…だからって…あの場所が僕の居た場所だからって、今でも僕の両親が僕を待っているとは限らないし、もう…居ないかもしれないじゃないか」
「だから、それを君が見極めなきゃならないって言っているんだよ、セキレイ」
「どうしてさ…どうして今更、アーシュはそんなことを言うの?…僕と別れたいだけじゃないの?僕に飽きて邪魔になっただけじゃないの?」
「そんなこと…君は信じるのか?俺の心は君が一番知っているくせに」
 セキレイは俺の目を見て、黙り込んだ。

 セキレイがここまで反発するとは思っていなかった。
 俺は充分考えたはずだ。考えるすぎるぐらい考えて、この話を切り出した。セキレイを両親の元へ還すことは、絶対間違ってはいない。なのに、何故、セキレイは嫌がる。
 どうすれば快く受け入れてくれるんだ。

 気を利かしてか、ベルは温かいココアを俺とセキレイを挟むテーブルへ置いてくれた。
 彼は何も言わず、俺を見つめ、肩に手を置いた。
 『落ち着け。大丈夫だよ』と、ベルの声が聞こえた。
 それだけで勇気をもらえる。

「聞いてくれ、セキレイ。この話は思いつきなんかじゃない。ずっと君を帰さなきゃって思っていた」
「…」
「俺があの日、あの川辺で凍える君を見つけ、そして君をこの『天の王』に引き入れた。…この意味は重い。それまで君は両親と幸せに暮していた。その生活を、俺が奪ってしまった。君も俺もまだ4歳だった。何がいけないのか、良いのか道徳心さえ整ってはいなかった…にしろ、君を君の両親から奪った咎(とが)が俺にある」
「そんなこと…4歳のアーシュにそれだけの魔力があるわけないじゃないか。どうやって君が僕を親から引き離したって証明するんだよ」
「俺が欲しがったからだよ。…ひとりでは寂しかった。誰でもいい。何でもいい。俺は…自分だけの宝物が欲しかった。俺は…自分に気づかない魔力(ちから)で、君を…誘拐したんだ」
「それが事実であっても…僕は、不幸だって思ったことは一度もない。君と一緒で楽しかった。両親の記憶が無くても、少しも寂しくなかったよ。今ここに居る事を、僕は悔やんだりしない」
「俺だって、そうさ。俺は君を『セキレイ』と名づけた。トゥエは初めから君の名を知っていたんだ。だから『ルゥ』と、名づけた。それでも俺はその名を呼ばなかった。…決して君を『ルゥ』とは呼ばなかった。何故?…君が記憶を取り戻すのが怖かったからだ。君を俺に縛り付けていたかったからだ。本当の名前なんか呼んだら、君はいずれ、自分を知り、自分の場所へ還ってしまう…そう思っていたんだよ」
「アーシュ…」
「今更こんなことを言うのは道理じゃないってわかっている。――― 本当に今更なんだ。今まで一緒に暮してきた君を何故、今、還そうと決めた。勝手すぎるのはわかっている。…ねえ、セキレイ。俺には両親の記憶はない。だから両親への思いはわからないさ。でもね、俺にだって憧憬はあるよ。俺を産んでくれた人達がどんな姿でどんな人だったのか。俺を愛してくれていたのか。何故捨てられなければならなかったのか…君と一緒に見たあの情景…セキレイは両親に本当に愛されていたんだ。素晴らしい事実だよ。失った記憶はきっと取り戻せる。俺が願うんだからね。君を還す力を、やっと今、俺は持つことが出来たんだ。だから…」
 胸にしまっていた思いを言葉にして、伝えることは難しい。
 魔法でテレパシーにしてしまえば良かったのかな…それでも、きっとすべてを理解することはできない。
 俺自身さえ、こんなに複雑で整理が尽くどころじゃないんだもの。

 セキレイは椅子から立ち上がり、俺の前で跪き、俺の両手を掴んだ。
「アーシュ、君の気持ちは理解した。僕だって、今まで何も考えていなかったわけじゃない。両親のこともいずれは確かめる時が来るのだと思っていた。だけど、それは今じゃなきゃダメなの?君や、ベルや…この学園の大好きなものと天秤を掛けても、今、両親を確かめることが大事なの?」
「少なくとも俺らは魔法を使える。この力をもって、未来をどう生きるからはそれぞれだろう。だけど、自分の過去を知らない魔術師なんて、深淵を見たとは言えないよ。思春期の今だからこそ、自分を知ることは必要だ。それに…別れるったって、君が望めばすぐに帰ってくればいいのさ」
「え?…本当に?帰れるの?」
「一度、君を引き入れた俺に、出来ない技じゃないと思うよ。君が心から俺を呼んでくれれば、俺はそれに応える」
「本当…だね。アーシュはすぐに都合のいい噓をつくから信用ならない」
「だったらベルに誓ってもらう。ベル、君からも言ってくれよ。セキレイが望めば、いつだってここに帰って、また三人で悪さができるってさ」

 俺たちの様子を見守っていたベルが、跪いたセキレイの隣りに座り込み、セキレイの肩を抱いた。
「ベルは知ってたんだね、アーシュが僕を還したいって目論んでいたって」
「…アーシュがルゥの事を考えてこの提案を俺に話してくれた時、俺も反対したよ。俺も今更って思った。こうして俺たちが学園の生活を楽しんでいるのに、ルゥを還すなんて…言葉はいいけれど、ルゥには辛すぎるだろうって…。でも、アーシュも辛いんだよ。君を引きずり込んだ責任を今も感じている。だからその重荷を取り外さなきゃならない時が来るって…ルゥだって、嫌だろ?アーシュは君を愛しているが、その愛情の中に、君への負い目があるって気づく日が来るかもしれないじゃないか」
「ベル…」
「アーシュの言うとおり、君の両親に会って、そしてアーシュが恋しくなったら帰ってくればいいのさ。どんな次元に居たって、アーシュなら、君を連れ戻す事ぐらいわけないんだから。彼は俺らの魔王だからね」
「…うん」
 セキレイは涙ぐみ、身体ごとベルに寄りかかった。
「…ベル?」
「なあに?」
「僕はアーシュのことを愛しているけれど、同じぐらい君の事が好きなんだからね」
「うん」
「だから、僕の事を忘れないでよ…」
「忘れるわけないだろ。俺もずっとルゥを想っているから」
 泣きじゃくるセキレイの身体を、ベルは優しく抱きしめた。
 ベルの癒しこそが、今のセキレイには必要なのだ。

 魔力の強さに、人の価値を当てはめることはできない。
 俺ではできないことを、ベルやセキレイはきっとやりとげる。
 万能な魔術師などになろうとは思わない。
 神になどなるつもりはないのだから。



 セキレイとの別れの前夜、俺たちはお互いの肌の温もりを忘れないように、ただ抱きしめあっていた。
 「senso」も使わず、今ある時間だけを共に感じていた。
 言いたいことを言い、愛を確かめ、別れを悲しんだ。
 「結局のところ、人は独りなのだ」と言うと、「だから独りではいられないんじゃない」と言う。
 「絶対、戻ってくるから。待っててね、アーシュ」
 「うん、ここで君を待つ。君の呼ぶ声を聞き逃さない。だから早く戻っておいでね。寂しいから」
 「なんだよ、君が帰れって言ったくせに」
 「これこそが二律背反だよ。論理的にね」
 「僕に言わせれば、勝手な言い草でしかないって論法だ」
 「…確かに言える」

 俺たちは笑った。
 ずっと昔からこうして笑いあった。
 ずっとずっと一緒に笑いあって、生きていけるって…
 信じているから。
 だから、君は君の道を選ぶ為に、行っておいで。

ashtorulu.jpg


 ―――― 天上の月が赤く染まる月食の夜。
 深夜、寄宿舎抜け出し、セキレイとベル、三人で森へ向かった。目的の場所はついこの間まで「イルミナティ・バビロン」が占領していた、あの鉄塔だ。
 あの場所がこの「天の王」の敷地での魔力の放出が適うのなら、俺たちの目的を達成できる。

 零時を過ぎれば、俺とセキレイの14歳の誕生日だ。
 鉄塔の門を開け、エレベーターを起動させる。
 鉄塔の屋上まで昇る間、俺たちは「天の王」の夜の灯りと  少しずつ欠ける月を眺めていた。
「着いた」
 12月になったばかりとは言え、さすがに初冬とは言えず、屋上はキンと凍る空気にさらされていた。
「寒いね」
「さすがに、ね」
 防寒対策は万端だとほざいていた俺が一番に羽織ったマントをきつく身体に巻きつけた。
「空は晴れているから、雪は降らないと思うけれど…月食を見ながら旅立てるのも、素敵じゃないか」
「あの血の月を見ながら旅立つなんて、あまり気分が良くないけどさ。アーシュの能天気には、あの赤い月も呆れて見放すしかないんだろうね」
「月食は真の力を魔に変える。大丈夫、俺は巧くやるから、大船に乗ったつもりでいろよ」
「穴が開いていないことを祈るよ」

 床に染み付いていた魔方陣を再度呼び起こす為、俺は複雑な紋様と文字と数字を石灰石で丁寧に描き直した。

「元気で、セキレイ。故郷へ帰る旅に出かけるって思えばいいのさ。親なんて一度甘えりゃ、お互いすぐに厭きるものさ。向こうから君を解放してくれるよ」
「本当?」
「そう俺が望んでいる」
「ふふ…アーシュは最後までアーシュだ」
「最後って言うな。これを最後にするもんか」
「気をつけてルゥ。これ、ノアとミライの写真だよ」
「うん…ありがと、ベル。大事にする。こっちに帰ってくる時は、この子猫たちもきっと大きくなっているね」
「不細工なデブ猫にでもなって、君を幻滅させるだろうね。早く戻っておいで、ルゥ」
「ありがと…ありがとう。絶対戻ってくるから、待っててね」

 俺は指に嵌めた指輪に祈りをこめて、魔の言の葉を唱える。
 魔法陣が赤く輝き始める。
 初等科、中等科、高等科、保育所の天上に置いたそれぞれの宝石が光る。
 輝きながら直線になり、この塔に繋がり、空間に五芒星(ペンタグラム)を描く。 
 魔法陣が天上に光を放つ。天の空間が少しずつ丸い光の円を膨らませながら、形どる。

kakikake.jpg

「さあ、セキレイ。円陣の中央へ立って」
 俺の手を掴み、彼は躊躇いながら足を踏み入れる。
「…」
 たなびくマントが床の光を受け、虹色に輝く。
「怖くないよ。俺が手を繋いでいるから」
「君を信じてないわけじゃないけれど…臆病な僕を笑わないでね」
 光は彼の身体全体を包み、そして彼を虹色に染めていく。
「君を臆病とは思わないが、笑わせておくれよ。笑顔で送りたいから…」
「アーシュ…」
 彼の身体がゆっくり…ゆっくりと空中に浮かんでいく。
 見つめ合った目は決して逸らさない。
 伸びきっても離さないお互い手、お互いの指、
 そしてその先が…
「笑ってくれ、セキレイ。そして、言って。また会おうって」 
「うん…絶対…また…会お…う…」
 
 泣きそうな、それでも精一杯の笑顔で、彼は天上の光に消えた。


 ――― 行ってしまった…
 本当に行ってしまったんだ…

 段々と薄まる光の粒を見上げ、見つめ続けた。
 光は静まり、赤い月だけが天上に残った。

 俺はさっきまで彼の手を掴んでいた自分の右手を見つめた。
 まだ彼のぬくもりが残っている。
 まだ…

 突然、凄まじい喪失感が身体に襲い掛かった。
 まるで…この世の闇が俺を押しつぶすような絶望。
 俺はその場に座り込んだ。
 自分が選んだ運命だ。
 誰の所為でもなく、誰に命じられたわけでもなく、ただ俺が為すままにやってしまった現実だった。

「セキレイ…」
 俺の選んだものは…正しかったのだろうか…

 泣き続ける俺を、ベルはただ黙って抱きしめた。
 その広く温かい胸の中で、俺はいつまでも泣いていた。

 

アーシュセキレイ表紙

アーシュ編はあと一回。それからイールとアスタロトの長い話になるだろう。

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Private Kingdom 24 - 2012.02.16 Thu

ルうとアーシュ3

24、

 俺とセキレイがトリップする場所は、決まって「秘密の楽園」で、俺たちは宇宙に存在する無数の星々を眺めながら、その無限の光景にただ酔いしれるのだった。
 ひとつの星の輝きに多くの生命があるとしたら、その中にこの一瞬に生きている同志がいるとしたら、俺たちと同じ形を成したヒトがいるとしたら…その仲間たちと関わりあいたいと思うのは、この次元に漂っているからだろうか…
 俺の身体に寄り添うセキレイは「今まで僕はアーシュと一緒なら、どんな場所でも怖くないし、寂しくなんかなんか感じたりしないって思っていたけれど…こんなに広い宇宙にふたりきりじゃ…こころもとないね」と、言う。
 そうだね、ふたりきりじゃ…どんなに愛しあってもつまらないよ。
 
 ある夜、いつものようにセキレイとふたり抱き合い、「senso」を確かめ合っていた。
 その夜は不思議なことにあの宇宙に浮かぶ空間ではなく、どこかの次元の森へ迷い込んだらしい。
 森はさほど深くなく、ふたりしっかりと手を繋ぎ陽の光を目指して歩いていたら、広々とした草原へ開かれた。
 淡い若草が揺らぐ海波。さわさわと気持ち良さ気に風に靡く音。すべてが心地良い。
 水平線に萌黄色の清楚な家が見えた。羽を形どった風速計がパタパタと軽やかに回っている。
 近寄って白木の低い塀に手を掛けて覗き見た。
 それ程広くないが、ひとつひとつ手を入れた庭の草花が微風にそよいでいる。
 俺とセキレイはその庭へそっと忍び込み、窓から家の中を覗いた。
 …誰も居ない。
「留守なのかなあ」と、お互いの顔を見合わせていたら、玄関のドアが開いた。
 その家の住人と思われる三つの影が玄関の白いレンガに映った。
 愛らしい子供の声が響く。
 父と母と幼い子供…もつれ合い、はしゃぎあいながら、仲むつまじい親子の姿が現れた。
 俺たちは木の陰に隠れ、その様子を眺めた。

「ほら、父さんの言ったとおり、晴れただろう?神様はいい子にはちゃんと加護をくださるのだよ。坊やは、この間みたいに間違えたりしてはいけないよ」
「今日はちゃんと歌えるよ。もう間違わないもん」
「そうね、沢山練習したから、大丈夫よ。でも間違えても一生懸命に心で歌えば、神様も褒めてくれるのよ」
「ほんとに?」
「ええ、本当よ、ルシファー」
 
 俺たちは息を呑んだ。何故って…そのルシファーと呼ばれた子供は、まぎれもないセキレイの幼い頃の姿だったんだ。
「うそだ…」
 抱きしめたセキレイの身体が震えた。
「あれが…僕のお父さん、お母さんなの?」と、呟くセキレイに、なんと言葉をかけていいのか…わからない。
 三人は家を後にして、草原へ続く小道を和気藹々と歩いていく。
 確かめるべきなのか?あの三人を追いかければいいのか?そして、あなた方の息子がここに居ると言えばいいのか?
 違う。これは過去の空間だ。今の俺たちが居るべき場所ではない。 
 だが…セキレイが欲しかったものが、この空間ならば、俺はセキレイをここへ連れて行かなければならない。

 俺はセキレイを手放す時が来たのだと、自分に言い聞かせるのだった。 


 11月の晦日だった。
 その日は休日でセキレイはベルの実家、セイヴァリ家へ出かけて行った。
 前々から願っていた、ベルの父親が飼っているネコと遊びたくて、ベルの帰省の際に一緒に出かけたのだ。
 俺も誘われたが、その時は頭が重くてどうしても一緒に行く気になれず、二人を見送ったのだ。
 ベッドで休んでいても、何かしら胸のざわめきが収まらない。
 セキレイを送る準備が、俺自身に整っていない不安なのだろうか…。
 俺は部屋にじっとしていられず、何がしかの天啓を求めて、「天の王」の中心である聖堂へ足を運んだ。
 学校行事や祭事以外は滅多に入れない聖堂の大門は勿論固く閉ざされている。
 裏口へまわり、誰も知らないはずのダイヤル式の鍵を本能で開け、その重い扉を開けた。

 厳かに秘蹟に包まれた空間は、人智を超え、静謐に佇む。
 この世界のあらゆる大地に、数多くの救世主が生まれ、それぞれの宗教が蔓延る。それを信仰する人々の数だけ、罪と贖罪が積み重ねられるとするならば、永遠に人の業(カルマ)というものは消えないものだろう。
 この空間が人の業を赦される業にするのなら、何物からも救われるのだろうか…
 
 俺は聖堂の中央、黄玉の円が描かれた空間に近づいた。
 高窓(クリアストーリ)のステンド硝子の光線がその床を照らし、ゆらゆらと揺らめいている。
 そして、光は一点に集まり、黄玉の床に複雑な紋様を描き出していく。
「魔法陣?」
 いや、見たこともないほどの多重の鎖が絡み合い、光を紡ぎ合わせている。
 俺はその様子に見惚れていた。
 その時、その魔法陣の中から、微かな声が聞こえてきたのだ。
 聞き取れないほどに微かに…だが、確かに「アスタロト…」と、呼んだ。
 ゆっくりと、何度も、繰り返し…俺を呼ぶ。
 俺の記憶にない声音だ。
 誰なのだろうか?
 俺は自分を呼ぶ声の主を知りたいと思った。いつものように高まる好奇心に従順であろうとしただけだ。
「誰?。俺を呼ぶのは、誰なんだ?」
 陽炎のように立ち込める光の中へ、踏み入れようと足を出す…。

「アーシュっ!」
 俺を呼ぶ激しい声に、俺は歩みを止めた。
「アーシュっ!それに近寄ってはいけないっ!」
「…トゥエ…」
 「天の王学園」の学長トゥエが、俺に走り寄ってくるのが見えた。
「どうしたんです?そんなに急いで」
「アーシュ…」 
 彼は何も言わず、俺の身体を抱き寄せた。
 トゥエは震えていた。俺は今までこんなトゥエを見たこともなかった
「…トゥエ…どうしたの?」
「君が…行ってしまうのが…見えたんだ。私は…」
 トゥエはそれきり何も言わず、魔法陣の光が消えるまで、俺を離さなかった。

 しばらくして、聖堂はまた元の静かな空間へ戻った。
 トゥエは抱きしめた俺を離し、いつもの穏やかな顔を見せた。
「…突然悪かったね、アーシュ」
「…俺、力が欲しかったんです。ここに来れば、何かを得られるかと思って…忍び込みました。ごめんなさい」
「それはいいんだ」
「あの黄玉の床が突然光りだして、魔法陣を描き始めて…それで、誰かわからないけれど『アスタロト』って、呼ぶんだ…だから…」
「…」
「トゥエ、あれは近づいてはいけないものだったの?」
「…わからないよ、アーシュ。私にもわからないんだ。だけど、今、君を失いたくなかったのは…私のエゴなのかもしれない。君を…行かせたくなかった」
「トゥエ…」
「私は脆弱な人間だよ」
「そんなこと…」
「いや、事実だ。…年月がそうさせるのかもしれないね。年を追うごとに弱くなる。ひとりで生きるのが辛くなるんだ。…君達若者を引き止める意義を持たない私に、力は無いのだけれど…」
「そんなことないよ。トゥエは俺の大事な家族だよ。そうだろ?トゥエが俺を拾ってくれたんだ。育ててくれたんだ」
「そうだね。君は私の大事な家族だよ。アーシュ、君は…ルゥを還そうと決めたんだね…ねえ、ルゥとの別れを決心した君を、私は誇りに思うよ」
「知ってたの?」
「別れは辛いものだ。でも『その時』は必ず来る。君は間違っていない」
「俺は…巧くセキレイを還せるだろうか。その魔力が今の俺に整っている?」
「こちらへおいで」
 トゥエは聖堂の奥の壁へ俺を連れていく。
 幾つかの鍵穴があり、トゥエはそのひとつに鍵を差し込んだ。
 瀟洒な引き出しから絹に包まれた小さな包みを取り出したトゥエは、それを俺に手渡した。
 透明な薄青の宝石の付いた金の指輪だった。

「君がここに捨てられた時、君の指に嵌められていた指輪だよ。石はアクアマリンに似ているが、この地上のものではない鉱物のようだ」
「俺の…ものなの?」
「強い魔力が秘められている。使い方を選ぶけれど、持ち主は充分に権利を得ていよう。…アスタロト・レヴィ・クレメント、これは君の宝具だ」
 俺は手の平に置かれた水色のクリスタの石を撫でた。僅かだが中から藍い光が放たれる。
 俺は迷う事無く、右手の人差し指にその指輪を嵌めた。
 一瞬、身体中の血が逆流するかと思うほどの刺激が走ったが、俺は自分の意思でそれを押さえ込んだ。魔力の暴走は担い手の精神力で荷うものだ。
 これが俺のものならば、俺は絶対に従わせてやる。

「トゥエ学長。セキレイを…ルシファー・レーゼ・シメオンを、彼の故郷へ還すことを許してくださいますか?」
「…君の望むままに」
 トゥエは俺を息子のように愛してきた。セキレイもまた、トゥエにとっての家族だろう。
 セキレイとの別れの辛さが、俺だけでないことを、俺は刻み込まなければならない。


 翌日、セキレイとベルは寄宿舎へ帰ってきた。
「でね、ホントめっちゃかわいいんだよ~、ベルん宅の子猫たち。これ見て~」
 セキレイはネコを写真を俺に見せる。
「このノアって黒いネコはやんちゃでね。ベルの言うとおりアーシュにそっくりだ。抱こうとしても逃げまわるんだもの」
「ついでに引っかかれただろ?」
「うん、そうなの。でもかわいいから許せる~。それにね、カルキって魔術師にも会ったの。ちょっと変わった魔術師さんだったけど、かわいかったよね~」
「ああ見えてカルキ・アムルの魔法力は凄いんだよ。そうだ。アーシュにも是非会いたいって言ってた」
「今度はアーシュも一緒に行こうよ」
「セキレイ」
「…なに?」
「君に大事な話がある」
「え?…なに?」
「俺、席を外そうか?」
「いや、ベルにも居て欲しい」

「…怖いよ、アーシュ。一体なんの話?」
「俺は…君を両親の元へ還したい」
「…何の話だよ…」

 セキレイの薄青の瞳が切なげに揺らめいていた。



アーシュ旅立ち11

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天使の楽園・悪魔の詩 23 - 2012.02.10 Fri

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23、

「その日から、わたしはただひたすらに、スチュワート様にお使えする幸福の日々を生きております」
 カルキ・アムルの声が耳に届いた。
 俺は顔を上げ、目の前の穏やかな微笑みを讃えた魔術師を見つめた。

 ああ、この人は本当に幸福を手に入れたのだろう。
 でも…なぜそこまで親父を信じれるのだろう。
「あなたが父を信頼する…源って何なのか?教えてくれませんか?」
「え?…そうですね。確かにスチュワートさまは私達アルトへの強制力が生まれついて非常に強いお方です」
 カルキ・アムルは冷たくなった俺のカップを引き寄せ、新しく入れた温かい紅茶を差し出した。
「あの方か求めれば、大方のアルトはあの方に平伏すでしょう。でも、あの方は本当に自分を守るためだけに自分の魔術師を求めたのでしょうか。…私はスチュワートさまをお守りする魔術師でありたいと願っています。でも…守られているのは私のような気がするのです。…いつの時も力をくれるのはスチュワートなのです」
「どういう意味?」
「私達は共通の魂…と呼ぶのでしょうか…それを持っている気がします。『愛』とはなんでしょうか?恋、肉欲、求めあうもの、いやもっと普遍なもの…すべてだ。だが、もっと奥深く秘める惹きつける愛の形がある…私達はそれを『senso』と、呼ぶのです。…その愛の形が一体どこから来るものなのか…まだ説明できません。私達魔術師が永遠に探求すべきもののひとつである事は確かです…だけど…そうですね。早々に生きる価値を知ってしまうのはつまらないとも思う。私は一生、探求者であり続けたい」
「むずかしいね」
「クリスさまはまだ14でいらっしゃるから。ですが私の14に比べれば上等ですよ。私は…本当にバカでしたし…」
 頭の中に直接見せられた先程の映像を思い出し、思わず微笑んだ。
「ね?バカでしょ?」
「いや…カルは純粋だよ。純粋に親父を愛したからこそ、魔力も親父の愛情も手に入れたのかもしれない。俺は…不純なんだ。恋人がいるのに…アーシュを欲しいと望んでいる。そして俺を信頼している事を良い事に、アーシュをものにしようといつも姑息な手を考えているんだ。…良い魔術師になんて…遠いよ」
「クリスのアーシュへの想いが純粋だから、欲しいと願う。当たり前の『恋』ではありませんか。クリスの想いはきっと魔力になる。相手を欲しがる。…相手を愛おしいと想う。その裏返しの想いは一枚なのですから、間違っていない。すべてがあなたの想いなら、好きな人の幸福を祈るはずだ。それがあなたの幸福となるのだから…ね」
 カルキ・アムルの言葉が、心にストンと入り込んだ。
 俺のアーシュへの想いが、アーシュを幸福にさせる。
 俺に笑いかけるアーシュの顔が浮かんだ。
 …ああ、そうだ。アーシュが笑ってくれるだけで、俺は幸福を手に入れることができる。

 簡単なからくりだった。俺は自分自身の迷路に入りすぎてしまったのかもしれない。

「大丈夫ですか?クリス」
 心配気に覗き込むカルキに、俺は涙を拭いて微笑んだ。
「うん、ありがとう、カル。君は本当に良い魔術師だ」
「ありがとうございます」
「ねえ、聞きたかったんだけどさ」
「はい?」
「親父と誓い合った後、どうなったの?カルが求めるものを親父は与えてくれたの?」
「クリスったら…」
「いいじゃない。それ大事なことでしょ?カルが一番欲しがっていたものじゃない」
 真っ赤にした顔を両手で隠しながらも、カルキは口元を緩ませて嬉しそうに喋った。
「…スチュワートの魔術師の誓いをした書斎の隣りには休憩室がありました。そこには簡易ベッドがあったのですが…私はスチュワートと朝まで過ごしました。スチュワートは…素敵でした。私は嬉しくて嬉しくて…何度も死ぬかと思ったぐらい。あんまり激しかったので…朝にはベッドが壊れてしまったのです」
「…はあ」
 聞くんじゃなかったかも知れない…と、後悔したその時、
 ドンと激しい音を立てて談話室の扉が開いた。

 振り向いたそこには…
「ス、スチュワートさまっ!」
 親父だった。

スチュワート・セイヴァリ1

 コートを着たまま、親父はズカズカと大股で歩み寄り、驚いて立ち上がったカルキ・アムルの頭を拳骨で叩いた。凄い音がした…
「い、いたーいっ!」
「バカ者っ!おまえ、何べらべらとしょーもねえこと喋っているんだよっ!このどアホっ!」
「ご、ごめんなさい。なんか嬉しくなっちゃって…」
「嬉しくなっちゃって…じゃねえよっ。おまえの話しているイメージがこっちの頭に見えているんだよ。…ったく、いい年しやがって…貴様、契約を解除してやろうか?」
「嫌です~」
 親父の怒りが収まらないのはわかる気がする。けれど、半べそ掻いている魔術師を黙って見捨てるわけにはいかない。だって、無理矢理俺が言わせたんだから。

「あの、お父さん」
「あん?」
 親父がこちらを振り向いた。顔を直接というか、目を合わせるのは何年ぶりだろうか?
 この状況からしても…かなり恐ろしい。
「今晩は、クリストファーです」
 今度は俺に向かってズカズカと歩み寄り、俺より少し高い目線で親父は俺を見下した。
「おまえ、幾つになった?」
「14…です」
「気に入らない。14のクセに背が高すぎる」
「もうすぐお父さんを追いぬくかも知れませんね」
「ふざけるな」
 半分冗句のつもりだったのに、親父は俺の頭をカルキと同じように拳固で殴った。
「痛えーっ!」
「父親の背を抜いたら、跡継ぎにさせないからな」
「ス、スチュワートさま。クリストファーさまは…」
「五月蝿い、お前は黙ってろ」
 親父は痛がる俺の顔を片手で掴んで、顔を上げさせた。
 親父の顔をこんな間近で見たのは、生まれて初めてだった。

「これ程端正な顔に生まれつき、セイヴァリ家の財産とスタンリー家の地位、そしてアルトの力を生まれ持った幸いな奴…この上温かい家庭なんぞ持ったらロクな人間になるものか。なあ、クリストファー。人は愛から生まれる。だが本物の愛を探し出すのは苦しみの中でしか見つからないものさ。おまえが選ばれた者なら、その価値を見出せ」
「…わ、かりました。お父さん」
「おまえは…スタンリー家の血筋だと思ったが…良く見ると、俺の兄貴のネイサンの目元にそっくりだよ。良かったな。兄貴は家族一番のモテ男だったんだぜ」
 そう言って、親父は微笑った。
 たったそれだけの言葉なのに、心が温かかくなる。拳固の痛みがなんだか嬉しい。
 何もわかっていないのは俺の方だったんだな…
「いくぞ、カルキ。俺はもう眠いんだ」
「は、はいっ!」
 脱いだコートをカルキ・アムルに投げ捨て、親父は部屋を出て行こうとしている。
 
「おい、ネコはどこだ?遊んでやるから連れて来い」
「ノアとミライはもう寝てます」
「起せよ」
「そんな無茶な…」
「俺が拾ってきたんだ。俺のネコだ。俺が遊びたい時に遊ぶのは道理だ。いいから連れて来い」
 そう言い残して、親父は部屋から出て行った。
 カルキは急いで執事を呼び、コートを預け、眠っていた猫を両手に抱え、俺に頭を下げた。
「ではクリストファーさま。お先にお暇させていただきます」
「本当にありがとう、カルキ・アムル。素晴らしい夜だった。心からを感謝します。俺も自分の大事なものを幸せにする為に頑張るよ」
「ええ、いつでもクリスの幸福を祈っています。スチュワートと共に」
 
 魔術師カルキ・アムルの幸福が、父、スチュワートであるのは、必然だろうか…違う。彼らはそう願い、手に入れたのだ。
 では、俺の幸福はアーシュと共にあるのだろうか…
 アーシュを手に入れたい思いが純粋ならば、俺は…

 

 学園の危険分子「イルミナティ・バビロン」の壊滅の為、近頃のアーシュの日課は森を棲家にする鴉達の餌付けだ。 
 鴉を使って、一網打尽を狙っている。…らしいといえばらしいけれど、どうもあいつはケンカ相手を見縊る癖があるから心配だ。

 実行の日が来た。
 アーシュがマリオンって女生徒に森の奥の鉄塔へ連れて行かれるのをルゥとふたり確認した。
 アーシュを追って、その塔の門を開け、中へ入ってみたが、エレベーターは停止したままで、動く気配がなかった。
 非常階段もないこんな高い塔では、アーシュが助けを呼んでも、行けないじゃないか。
「ルゥ、君、魔法で飛ぶことができる?」
「そんなの無理に決まってるじゃないか」
 ふたりとも高位魔術師の「真の名」は戴いていても、飛ぶことすらできない未熟なアルトなのだと、情けなくお互いを笑った。
「アーシュを信じるしかないね」
「うん…」
 何も役に立てない…こんなに惨めで辛いものはない。
 俺とルゥは真っ直ぐに突き抜ける天に届きそうな鉄塔を、見上げるしかなかった。

 陽が沈み始め、空が刻々と色を変え始めた。
 アーシュの呼び寄せた鴉の大群が、鉄塔の周りに集まり、ゆっくり回っている。次第に一箇所へ集まり…そして激しく鳴きながら一斉に塔に向かって飛んでいく姿を、俺とルゥは見上げていた。
「アーシュ、大丈夫だろうか…」
 そうルゥが呟いた時、塔のてっぺんから落ちてくる影が見えた。

「ああ…あれ、ア、アーシュッ!」
 ルゥの悲鳴が響く。
 落ちてくる影はアーシュと気づくのに時間はかからなかった。が、その姿を捉え、アーシュだと知った瞬間、あまりの恐怖に、俺は声が出なかった。
 
「セキレイッ!俺を受け止めてっ!」
 この状況を楽しむかのような気楽さで、アーシュがルゥを呼ぶ。
 ルゥは真っ青になりながら、アーシュの言葉に従って、両足を踏ん張り、両手を広げた。
 自分の意思で塔から飛び降りたアーシュは己の魔力で無事にルゥに抱きとめられ、大地に降りた。
 ふざけあっているかのように、枯れ葉の中に転がるふたりを、俺は身の縮む思いで見つめていた。
 
 猛スピードで落下するアーシュを見た時、俺は本当に我を失った。
 自分が魔法を使えるとか…どうにかしなきゃとか、そんなことすら思い浮かばなかった。
 けれどルゥは、落ちてくるアーシュを、受け止めれるかどうかなど少しも恐れず、ただ己の本能で受け止めることを決めていた。あの細い身体で、本気でアーシュを救おうとしていた。
 俺はその姿を見て、適わないかも知れない、と、一瞬思った。 
 同時にルゥに嫉妬すら沸かない自分が居ることも本当だった。
 
 俺はアーシュの顔を見た。
 殴られたのだろうか。頬が腫れ、口唇も切れていた。
「アーシュ、あまり心配させるなよ」
 俺はアーシュの頬をそっと手の平で包んだ。
「うん」
 少しうつむいた瞳が「ゴメン」と、囁いていた。
 愛おしい、ただ、守りたい者。
 アーシュ、俺が君にできることは、なんだって…
 ねえ、俺は君に幸せを与えることができるだろうか…

 アーシュの頬と触れた自分の両手の境界が無くなり、俺の想いがアーシュの細胞に吸収されていく。
 形を崩したものを、癒し、再生させる力が溢れてくる。
 ああ、これが…俺の魔法なのだ…
 
「ありがとう、ベル」と、アーシュは言った。
「どういたしまして」と、俺は応えた。

 言葉は想いよりも、遥かに心には遠いものかもしれない。

 俺の心に「ベル、俺、本当に幸せだよ」と、アーシュの声がはっきりと聞こえたのだから。



アーシュpo


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天使の楽園・悪魔の詩 22 - 2012.02.07 Tue

スチュワートとカルキ
22.
 スチュワートの居る甲板までは、飛んでもいかない限り届きそうにもない。常識で考えるなら、当たり前に諦めなきゃならない距離だ。
 だけどその時のおれには、どれだけ離れていようが、おれに捧げられたスチュワートの腕(かいな)に飛び込んでやるとしか考えられなかった。
 諦めなきゃならない、いや諦められない…などすら、頭の片隅に思い浮かばなかったのだ。
 おれは桟橋の端ぎりぎりまで突っ走り、そして、自分に出来うる限りの力で思い切り高く飛び上がった。

 いつも見ていた。空を舞う隼のように…
 翼を広げ、風に舞い、天に向かって飛び続ける。
 おれの前に広がるのは、果てしない未来。
 今まで生きた自分の足跡を無駄にしない為にも、おれは未来へと飛ぶ。
 
「スチュワートっ!」
 そして、これからずっと、おれの生きる意味を見つけさせてくれるのは、スチュワート…あなただ。

 広げたスチュワートの腕にもう少しで届く…そう思った瞬間だった。
 スチュワートはさっと身を引いた。
「えええっ!」
 おれはスチュワートを傍をすり抜け…
 甲板に直撃した。
「い、痛った~いっ!」
 厳密に言えば甲板に積んであった浮き輪とロープ置き場に頭から突っ込んだ。
 幸い怪我はなかったけれど…無茶苦茶痛い。
 スチュワートは無様なおれを見て、声をあげて笑っている。

「ひ、どいよ~。受け止めてくれるって思ったのに…」
「バカか。来いとは言ったが受け止めるとはひと言も言ってない。第一、俺は怪我人だ。空から降ってくる奴を受け止められるかよ」
 もっともだ、と、思いなおした。スチュワートは腹を刺されたばかりだったんだ。
 途端に不安になる。
「ス、スチュワート、怪我は?怪我はもういいの?」
「いいからこうしておまえの目の前に立っているんだろ」
 ホッと胸を撫で下ろしたおれに、スチュワートの影が映る。
「カルキ」
 見たことない真剣な顔をしたスチュワートが、おれの名を呼んだ。
「はい…」
 おれの目の前に手が差し伸べられる。
「良く来たな…とは、言わない。おまえは覚悟はしているんだろうな。この手を取ったからは元へは戻れない。俺はおまえを魔術師として酷使することを躊躇わない。その手が身体が血に塗れようと、おれはそれを拭ったりしない…その覚悟があるのなら、この手を取れ」
 おれは迷わずにスチュワートの手をしっかりと掴んだ。


 その後、船は西の大陸へ向かった。
 地中海の国へ降り、そこからすぐに南の端の街に連れられた。スチュワートはすでにおれの傍にはいなかった。何もわからないことに不安がなかったとは言うまい。
 スチュワートが居ないこと事態心細くて仕方なかったのだから。
 けれどおれにはスチュワートを疑う意味すら自分の中に浮かんでこない自信があった。
 おれは連れて行かれたクルゼートという古い街で、魔術師の導師ハサードの指導を三年間受ける事になった。
 スチュワートとは離れ離れの生活が始まる。
 今のおれではスチュワートの助けにはならないことは自覚していた。だから早く一人前の魔術師になり、スチュワートの傍にいられるよう、俺は文字通り毎日を必死に生きた。
 魔術だけじゃない。
 11歳までしか基礎学習をしていないおれには、山ほどの学ぶ課題があった。寝る時間が勿体無いぐらいに一日があっという間に過ぎていく。
 それでもおれは一日の終わりに必ずスチュワートへ、手紙を書くことにしていた。
 なんてことはない。今日一日あったこと、学んだ事を報告するためだ。
 文章の最初に必ず「愛するスチュワートへ。」と、書き始めるのが、何より嬉しかった。
 勿論、スチュワートからは一通も返事は来なかった。
 
 とても変だ。
 スチュワートとは肌も交わしていないし、キスさえしたこともないのに…こんなにはっきりと、スチュワートへの想いがこの胸に感じられる。ここにあると断言できる。
 何度も想いを重ねても天に届く事もなれけば、飽きる事もない。
 ただ自分の中にいつまでも降り続ける。

 愛するスチュワートへ。
 この頃、おれ、おかしいんだ。
 前は夢のなかでスチュワートと出会うことが多かったんだけど、近頃は時折、起きていても、勉強中でも、スチュワートの姿を垣間見ることがある。
 これって、おれがあんまりスチュワートと会いたいって思うから、魔術で作り上げた幻影なのかなあと、思ったりする。導師(グル)は「カルキの魔力が強くなった所為じゃよ」と、笑いながらおっしゃるだけなんだ。

 愛するスチュワートへ。
 スチュワート、聞いて!今日導師(グル)に褒められたんだ。何をって。おれ、風を捉えて空を飛んだんだよ。街の中腹の丘の上から走って、地面を蹴るの。そしたら身体がふわって宙に舞ったんだ。半刻ぐらい凧みたいにグルグル飛んでいたよ。導師は「渡り鳥にでもなるつもりかい?」と、お笑いになるけど、そうだね。渡り鳥になってスチュワートに会いにいけば、船賃も列車代もかからなくていいね。
 
 愛するスチュワートへ。
 今日の朝はとても冷えて、身震いがするほどでした。住んでいたアグン島は一年中暑かったから、こんなに空気が冷たくなることが不思議です。 
 寒いと外で息を吐いたら白くなるんだね。スチュワートの居る街はもっと北だから、ここよりもずっと寒いんでしょうね。
 どうぞ、風邪等引きませんように。僕、ずっと祈っているからね、スチュワート。

 愛するスチュワートへ。
 今日、初めて雪が降るのを見ました。積もりはしませんでしたが、美しかった。
 僕は我慢できずに、外に行って、空から降ってくる雪を何度も舐めてみました。
 人々は魔法は便利で不思議で素晴らしいと言うけれど、この降る雪の不思議さ、素晴らしさ、そしてこんなにも胸を打つ光景を見せてくれる自然の力に、自分の魔法など微々たるものなのだと、少し自惚れていた自分を諌めました。

 愛するスチュワートへ。
 今日、あなたの波動を感じました。
 言いにくいことですが、何か身近で大変な出来事があったのではと…心配でなりません。
 スチュワートの心の揺れが、僕の胸に響いて切なくなるよ。涙が溢れて止まらなくなるんだ。
 きっとあなたは何も言わないんだろうけれど。
 あなたの傍に居たいよ、スチュワート。


 三年間の修行を急遽二年で終わらせ、おれはスチュワートの第一の魔術師になった。
 まだ勉強するべきことは多かったが、スチュワートもそれは同じだと知った。
 半年前、スチュワートの父上が亡くなられた。事故死だったと言うが、本当のところはわからない。
 乗っていた列車がエンジンブレーキの故障で陸橋から、列車ごと落ちたのだ。
 多くの乗客が亡くなったと聞く。
 そして、父上の後継者として仕事を継いでいたスチュワートは、直ちに会社の代表取締役に就任した。
 
 スチュワートの仕事への執念は凄まじく、まず初めに父を殺した組織を家族もろとも徹底的に潰した。それから各国のトップ、連帯する企業と手を組み、ほとんどの武器商人をあぶりだし、組織を解体させ、二度と蔓延ることがないように監視させ続けた。
 これまでに4年を要した。
 軍事産業を制するスチュワートの企業は揺るがない地位を築く。
 
 25歳になったスチュワート・セイヴァリは、今までの財力と自分の仕事を、信頼する社員達にすべて受け渡し、幾人かの魔術師と共に旅にでた。あの黒船と共に。
 一年後、ようやく辿り着いた街は、次元の狭間にあるサマシティだった。
 彼はこの港に寄航し、この街の不可解さを知り、興味を抱き、この街に住む事にしたのだ。
 だが、その話はまだまだ先のことだし、私が語るものでもない。

 私はスチュワートの傍にいつも居た。
 それを幸福という言葉以外では表せないだろう。

 幸福は自分で得るものだろうか。それとも、天から、誰かから、与えられるものだろうか…
 私は幸福を掴む為に精一杯の努力をしたし、また認められるよう自分を磨いたつもりだった。
 だが、私の幸せはスチュワートから与えられたのだと知っている。
 彼が選ばなければ、私は幸せにはなれなかったのだ。

 スチュワートと生きてきた時間、幸福だけではなかったことも多い。苦しみ、悲しみ、絶望は目の当たりに広がり、自分の力の無さをいつも悔やんでばかりだ。
 だが、私はそこから立ち上がり、スチュワートと歩き続けることを幸福と呼ぶことにしている。
 私に生きる力を与えてくれるのはスチュワートの存在だと知っているからだ。
 
 あの日、あの人がくれた幸福以上のものを、私は一生かけて返していくつもりなのだから。


 その時、重い木製の扉が開いた時、おれの正面にはスチュワートが立っていた。
 彼は仕事中で、大きな机を囲んで何人もの人達と難しい話をしていた。
 おれは開けた扉を静かに閉め、扉の前に立ち、スチュワートの姿を見つめていた。
 二年ぶりにこの眼に見るスチュワートを、まばたきをするのさえ惜しくて、じっと見つめていた。
 部屋に来る前から激しかった鼓動は、スチュワートを見て安心したのだろうか、思ったより落ち着いている。
 こうなると、おれには新たな不安が襲ってきた。
 スチュワートは二年経ったおれの姿に失望してはいないか。魔力はそこそこ身に付いたとはいえ、おれはスチュワートが気に入るように成長しているのだろうか。
 おれは彼に愛されるその対象に適うのだろうか…

 二年前はセックスの対象にさえならないガキだって散々言われて、スチュワートは一切おれに手をつけなかったもの。
 おれもこの二年間、誰とも寝ていないし…でもやっぱりスチュワートとしたいって思ったし、何度も妄想しっぱなしだったし…スチュワートは一度ぐらいおれを欲しいって思ったりしたのかな…相手にしてくれるかな…でもおれどんな事して喜ばせてやれるのか…なんだか全部忘れてしまって自信ないな…
 などと、思いにふけっていると、スチュワートがこちらを振り返る。
 「ぎゃっ…」と、心で叫んだ。
「バカか、おまえはっ!」と、怒号が聞こえた。
 スチュワートがおれの方を向いて、怒った顔を見せた。
 瞬間、おれは理解した。おれのくだらない考えをスチュワートは読み、それでそれを詰ったのだ。
 おれは恥ずかしくてその部屋には居られず、扉を開けて出ようとした。
「バカっ!おまえ、どこに行く気だ!」
「ああ…ご、ごめんなさい。お仕事が忙がしそうだし…出直してきます」
 おれはおずおずと扉を閉めようと試みたが、スチュワートはそれを許さなかった。
「そのドアを閉めたら、俺の魔術師失格だぞ、カルキ」
「えええっ?い、嫌です」
 おれは慌てて部屋へ戻った。

「こっちへ来い」と、スチュワートは手招きする。
 バツが悪くてもじもじしながらスチュワートに近づくおれの脇を、今まで部屋に居た方々がクスクスと笑いながら通り過ぎ、部屋から出て行った。
 
 机の端に座ったスチュワートが、不機嫌そうにおれを見つめる。
 何て言っていいのかわからず、一応謝っておこうと「ごめんなさい」と、言うと、スチュワートは吹き出して笑った。
「カルキ、おまえ、二年前から成長してないのか?ガキは嫌いだって言ったはずだが」
「ち、違うよ。おれ…じゃなかった僕はちゃんと大人になりました。魔法も使えるし、スチュワート…さまを充分助けることも出来る魔術師に…なったと…思う、います」
「変な喋り方はやめろ。耳障りだ。自分に見合った喋りでいいし、ふたりの時は『さま』はいらない」
「ほんと?良かった。なんか慣れてなくて…でもちゃんと身に付くように頑張ります」
「当たり前だ。それより…さっさと誓いを立てようぜ。おまえは俺の魔術師になる為にここに来たんだろ?」
「はい」
「俺にはすでに四人の魔術師と契約している。報酬を求めている奴。仕事が生きがいの奴。俺の身体を欲しがっている奴。毛色は違うが、どれも役に立つ魔術師だ。おまえも信頼していい」
「…うん」
 さっきの威圧感のある人達が、スチュワートの魔術師たちなんだろうか…それより、スチュワートの身体目的なんて…なんか、ムカつく。けど…そういう事もひっくるめておれはこの人と歩きたいって願っているのもわかっている。

「おまえがこの二年間、どんな生活をしているのかは、おまえのくれた手紙ですべて知り尽くしている。だからおまえの魔術師としての才能や力を俺は信用しているし、俺を助けてくれるのだと信頼しているが…どうだ?自信はあるか?魔術師カルキ・アムル」
「…はい、あります。己の力と命を捧げ、スチュワートを守る。スチュワートを未来を導く糧になる。僕をスチュワートの魔術師として、使ってください」
「では、誓おう。ほら、これ」
 机の引き出しから小さな箱を取り出したスチュワートは箱を開け、誓いのリングをおれに見せた。
「宝石はトパーズを加工してものだ。まあ、石自体に意味はないのさ。おまえの瞳の色に似ていたから作らせた。この指輪をおまえが俺の指に嵌め、誓えばこの指輪が魔力を得ることになる。誓約文は知っているのか?」
「はい、しっかり覚えました」
「だがそんなもん、俺とおまえの間で必要あるのか?…それこそが無意味だ。おまえが俺に見せた想いを俺は受け止めている。だから、おまえを俺の第一の魔術師に決めた」
 スチュワートは自分の左手の指を差し出した。
 彼の指にはすでに四つの指輪が嵌められていた。
 そして唯一残った指は薬指だった。
 その意味がどういうものか、おれにはわかっていた。
 スチュワートはおれの為に一番心臓に近い薬指を残してくれた。
 第一魔術師としておれを認め、おれと誓うために、今日まで待ってくれたのだ。
 その指輪を取り、その重みを知り、震える手で、スチュワートの薬指に誓いの指輪を嵌めた。そして、魔術師としてスチュワートに従うことを誓いながら、その指輪に口づける。
 嬉しさのあまりずっと泣き通しで、スチュワートは「またか」と、呆れながら、自分のハンカチをくれた。おれも持っていたけど、やっぱりスチュワートのハンカチの方がありがたいと思ってそれをもらい、自分のハンカチで涙を拭いた。
 スチュワートは「なんというか…おまえに俺の仕事が勤まるのか、心配で仕方ないな」と、苦笑した。
「絶対、絶対に失望させません。おれ、頑張るもの」
「…信じてるよ」
 スチュワートはおれの手を取り、おれを抱き寄せた。
「誓約に従い、キスぐらいはしてやる。いいか。目を瞑るなよ、カルキ」

 そして、スチュワートは初めておれの口唇に触れてくれたんだ。



ステュワートとkaruki

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天使の楽園・悪魔の詩 21 - 2012.02.03 Fri

横顔1-2

21、
 起きた時、柱の時計は昼を回っていた。
 とりあえずおれは血の付いた身体を風呂場で洗った。
 ブラッドリーさんが宿の主人に大枚を払ったらしく、寝ているうちにシーツも床もきれいになっていた。血で汚れたおれのシャツとズボンの代わりにと新しい服も用意されていた。
 それから、ルームサービスで運ばれたスープとパンを腹に入れ、おれは港へ向かった。
 停泊しているスチュワートの船の桟橋へ行くと、見計らったようにブラッドリーさんが船から姿を見せた。

「元気になったようですね、カルキ・アムル」
「はい。あの…色々気を使ってもらって…ありがとうございます。服も…新しくて嬉しいです」
 こんなにも親切にされるのは慣れていないから、どうお礼を言っていいのかわからない。
 もじもじしていたら、大事な事を思い出した。
「あ、そう、そうだった!スチュワートの具合は?」
「大丈夫ですよ。もう部屋の中を歩き回っています。しかし、下船するのは控えていただきました。正当防衛とは言え、四人もの人間を死なせたんですから、静かにしてませんとね。警察も五月蝿いですしね…」
「あの…どうしてスチュワートは…狙われたんですか?」
「我々の世界では別段珍しくもない日常です…が、こんな田舎の島にまで、わざわざ仕掛けてくるなんて…こちらも迂闊でした。どうもこの島の人間ではなく、外部から雇われたチンピラのようです。大した殺し屋ではないでしょうが…この島の住人がやったように見せかけるためにナイフを使っていたのであれだけで済みました。銃の応戦だったら、もっと酷い事になっていたかもしれない…」
「…こんなのが、日常…なの?」
 平然と話すブラッドリーさんの言葉が、おれには恐ろしくて…だめだ。昨晩会ったすべてがおれには恐ろしすぎて、思い出しただけで、震えが止まらない。

「少し、あちらで話しましょうか?」
 おれの背中に手を置く、ブラッドリーさんの手は暖かかった。だから少し安心して、ブラッドリーさんの言うとおりにした。港の入り口までくると、ふたり階段に並んで腰掛けた。
 ブラッドリーさんは屋台からレモン水を買っておれにくれた。
 乾いた喉にレモン水のさっぱりした味が喉を潤してくれた。
「落ち着いたかい?」
「すみません…おれ、血とか人が死ぬのとか…苦手で…」
「誰だって苦手だよ」
「…はい」
「君は…スチュワートの事を、どう思っているの?」
「え?…好きです」
「それで?」
「スチュワートと出会ったのは…二日前です。おれ、スチュワートの事を何も知らない。だけど…どうしてもあの人に惹かれてしまう。スチュワートの事を考えると身体が熱くなる。心臓が高鳴る。胸が苦しくて、スチュワートの事しか考えられなくなる…これって…恋でしょうか?本当にスチュワートを愛してしまったんでしょうか?教えてください。ブラッドリーさん」
「間違いなく、恋の御業…だろうね」
 ブラッドリーさんは優しく笑い返してくれた。それだけで泣きたくなってしまう。
「でも…おれはスチュワートには相応しくない。だって男娼でガキだし…力のないサティだし…」
「数時間前、君は君の魔力で、スチュワートを救ったじゃないか」
「あれは…偶然なんです。スチュワートが導いてくれたからやれたんだ。おれはスチュワートの言うとおりにやっただけ…。だって今まで一度だって魔力を使った試しがないんだもの」
「そう、じゃあ、魔法使い見習いってことかな?大丈夫。一度はできたんだからね。魔力は想いの強さに比例する。スチュワートをマスターとして、君が心を捧げる気でいるのなら…本気で彼の為に生きるというのなら、私は君を魔法使いとして認めるけどね」
「…でも…おれは自信がない。だって…スチュワートは自分も自分の父親も色んな戦争の一旦を担ってて、その所為で沢山の人達が死んでいく。その罪があるって…それを抱えて生きているって言っていた。おれ、そんな覚悟なんか…持てない」
「彼がそんなことを言ったの?」
「うん、武器を作って売って、それで皆が戦争して死ぬって」
「全くあの人は…プライドが高すぎて、逆に自虐体質になるお方だ」
「え?」
「逆だよ。…スチュワートの父であり、私のマスター、セオドア・セイヴァリはこの世界の均衡を保つ為に、商人として世界を駆け回っている。確かに武器も作るし売りもするけれど、あくまでも戦争を縮小させる為の取引なんだよ。闇取引で高値で売られる武器を、私達はできるだけ多く買い求め、戦地へ赴く人間を減らそうとしている。武器は船や列車に変えて、戦地にレールを敷く。それだけでどれだけの人間の命が助かるかわからない。僻地であればあるほど、子供たちの教育環境は酷い有様だ。君のように身体を売る者や、幼くして戦争へ借り出される者がどれほど悲惨な生活を強いられているか。それをすべて救えると思い上がっているわけではないよ。セイヴァリの企業は決して善行を目的とはしていない。けれど、後ろ暗さはないと言って良い仕事だよ」
「…そうなの?」
「でもね、命の保証はできない。武器商人の旨味を私達が横取りするわけだから、敵も多いんだ。マスターもスチュワートも…大切な家族を失った。スチュワートは自分の家族の話を君にしたかい?」
「いいえ。スチュワートは自分の話はあまりしませんでした」
「そう…彼にはネイサンとヘンリーと言うふたりの兄がいたんだ。ふたりとも末っ子のスチュワートをとてもかわいがり、スチュワートも甘えっ子でね。ご両親は共働きで忙しかったから、尚更だったのだろう。見ているこちらが幸せになるぐらいに、素直で明るくて、いい子達だった」
 …あの時、小さいスチュワートが言っていた「ネイト」と「ハリー」って、お兄さんの事だったのか。

「だが、ネイサンは17で殺し屋に射殺され、翌年、ヘンリーも誘拐されそのまま殺された。スチュワートも何度も誘拐され殺されそうになった。12の頃、母親マリアと一緒に誘拐されたことがあった。マリアさまはスチュワートを逃がす為に自分が盾になり…スチュワートの目の前で銃に撃たれ、亡くなった。…それからスチュワートは、変わった」
「どうして…守れなかったの?あなた達魔術師や警備の人もいたんでしょう?」
「私達だって必死で彼らを守ってはいるが、どうしても行き届かないこともある。誘拐犯は強力な魔術師が多い。だが不思議なことが起きるんだ。奴らはスチュワートを誘拐しても、犯人の魔術師同士が相打ちになったり、彼を逃がしてやったり…スチュワートは傷ひとつなく帰ってくる。…いや、傷は負っていないとは言えまいが…セイヴァリ家にとって、スチュワートはたったひとつ、残された希望と言って良かった。彼もその重要性をわかっている。けれど…彼はどこか達観してしまっているところがある。自分の命を他人のように眺めてしまうんだ。感情も豊かで、人当たりも良く、私たちにも親しく接してはくれるけれど…決して本心を見せてはくれない。それでいて自分の運命に抗おうとはしない。父親であるセオドアさまはスチュワートを心配なさり、高位の魔術師を付け、常に彼を守るように命じている。そうでなくても、魔術師にとって、スチュワートはこの上なく魅力的で、知らぬ間に惹きつけられてしまう存在なんだ。彼はアルトを従わせる強い力を持っているんだよ。多くの魔術師がスチュワートにすべてを捧げ、彼だけの魔術師として契約したがっている。だが、スチュワートはマスターになりたがらない。彼は…自我の深いところで自分を守ろうとはしていないのかもしれない…一番の不安はそれなんだ」
 ブラッドリーさんの話はおれには半分ぐらいしか理解できない。
 何度も誘拐されるスチュワートの環境っていうのが怖すぎて想像できないし、家族を…殺されるって…スチュワートの気持ちを考えただけで涙が込み上げてしまう。おれの家族は遠く離れて一緒には暮らしていないけれど、元気に生きている。そう思うことでおれも、頑張れるって思えるのに…
 スチュワートが可哀想でならない。
 ひとつだけはっきりとわかったことがある。
 スチュワートを誘拐犯や暗殺者から守るためには、ブラッドリーさんのような強い魔術師じゃないとダメだってことだ、おれなんかが傍にいたら足手まといになるのは必定だ。
 もっと大人になって強い魔術師にならなくちゃ…スチュワートを守るなんてできっこない。

「ブラッドリーさんは…スチュワートのことが好きなんだね。だって、それだけ理解しているのは愛があるからでしょう?」
「勿論愛していますよ。私のマスターの次に」
「…そ、そうでしたね。お父さんがマスターなんですよね」
 バカな事を聞いたと反省した。魔術師が誓い合ったマスターへの愛は一生続くと言われている。
「ともかくスチュワートには強い魔術師が必要です。魔術師に愛されるだけではなく、スチュワートが愛する魔術師が…」
「…」
「だからね、私は君に期待してしまうのだよ、カルキ・アムル」
「え?…む、無理ですよ。スチュワートはおれをからかってはバカにしてるし、…いつも怒らせているし…バカアホまぬけって…頭叩くし…」
「それを惚気と言わずして何と言うのか…教えて欲しいんだが?」
「…ええ?」
「まあ、いいですよ。君も相当な天然みたいですからね、良い組み合わせでしょう」
「ええっ?」
 ブラッドリーさんは立ち上がり、ポケットから紙切れをおれに差し出した。
 
「なんですか?」
「身請けの証文です」
「え?」
「スチュワートさまのご命令で君を雇っている元締めから君を身請けしました」
「スチュワートが?」
「今から君は自由な道を歩いていける。だが自由とは実はやっかいなものです、生きる目標を自分で探す事から始めないと一歩も歩けないしね」
「おれ…」
「スチュワートさまが…あのモノを欲しがらない人が、ここまで執着しているんですよ、君に。しかし…この先からは君の自由です。もちろんこのままこの島に残るのもいいし、国元へ帰るのも結構。いいかい。運命を選択するのはマスターではなく、自分自身であるということ。踏み出すのは君の足であることを常に忘れないように」
「…はい」
 おれはその紙切れを受け取った。この紙切れがおれの身請け金の重みなのかと思ったら、何だか変な気持ちになる。
 黙ったままその証文を見つめていたら、ブラッドリーさんの大きな溜息が聞こえたから、顔を上げて彼を見つめた。
「君はなんとも、困った子だね」
「え?」
「憎めないって言っているんだよ。…これでもね…相当のジェラシーを抑えてこの役を遂行しているんだ。君は子供だからわからないだろうがね」
「…すいません」
 本当にブラッドリーさんの言うことがわからなかったから謝るしかなかった。

「私達は今日の夕暮れには出航しますので、ご注意を。では、ごきげんよう。カルキ・アムル。また会い…ま、いいか」
 ブラッドリーさんは一度だけ手を振って、スチュワートの船へ帰った。
 
 
 自分の部屋へ帰ったおれは、証文を目の前に、本当に彼の言うとおりにした方がいいのかどうか、迷っていた。
 仕事を辞めることも島から出るのも嬉しいと思う。けれど本当にスチュワートの役に立てるのだろうか。
 おれは自分の手の平を見つめた。
 確かに昨晩はスチュワートに導かれ、魔力というものがどんなものか、なんとなく感じた。でもだからって…今までの自分とどこが違うのかと問われたら…なにひとつ変わっていないじゃないか。こんなにも不安でガキで、何もわかっていない。こんな気持ちで魔法使いとして役に立つ事ができるのだろうか。もし、この先なんの力も得ないまま、スチュワートを失望させることになってしまったら…
 おれはスチュワートに無視されるのが怖い。昨晩、「俺の前から消えろ」と、詰ったスチュワートの顔が忘れられない。おれを巻き込ませない為にあんな態度を取ったのだと、今ならわかる。でも、あれが本気だったのなら…おれは立ち直れない…
 傷つくのがわかっているのなら、選ばない選択だって…
 選ばない…スチュワートに…もう、会えない。そんなの嫌だ…嫌に決まっているじゃないか…
 涙が溢れて部屋の中がぼやけてしょうがない。いいさ、ここは自分の部屋だもの。スチュワートにも怒られないもの…

「カル…なに泣いてるの?」
 テーブルに突っ伏して泣いてるおれの頭を撫でる手が優しかった。見なくてもわかっているからそのまま泣き続けた。
「話は元締めから聞いたよ。やっと…こんなごみ溜めから抜け出せるんじゃないか。何を泣くのさ、カル」
「だって、リシュ…おれは、自分が愛される自信がないよ。もしスチュワートが気まぐれでおれを愛してくれても、飽きてしまったら?捨てられるの?アッタみたいになるの?…どこに居てもおれらはゴミみたいなもんじゃないか。ならこのごみ溜めにいる方が楽じゃないのか?」
「バカだね、カルは…」
 リシュはおれを抱きしめ、背中を撫でてくれた。
「思いがけない幸運の前には誰だって、戸惑うしブルーになるんだよ。だけどそんなのおまえに似合わない。明るくて能天気でお人よしで頑張り屋のカルキ・アムルが、幸運を手にするのはわかっていたことなんだから」
「リシュ…」
「あれこれ先の事を気に病むのはわかるけれどね、踏み出さなきゃわからないし、壁があるのなら乗り越える努力をすればいい。天はおまえを見ているからね。きっと懸命なおまえを応援してくれる。勿論僕もカルが前を向いて歩けるように祈っているよ。幸せかどうかは自身の問題ってことは、わかるね?」
「…う、ん」
「さあ、もう泣かないで。日が落ちるまでには出向してしまうんだろ?間に合わなくなるよ。僕はね、君を送り出せることが本当に嬉しいんだよ。…良い魔術師になってね、カル…」
 リシュは泣いていた。あの冷静でいつだって静かな微笑みを絶やした事のないリシュがおれの為に泣いてくれたいた。おれ達は抱き合い、なんどもキスを交わした。
「リシュ、ありがとう…ありがとう、リシュ」
「カル…愛しているよ。元気で…」
 自分の為だけではない、誰かが自分を見ている。期待を寄せてくれている。それがどんなに生きる支えになるのか、今わかった気がした。

 おれは部屋を後にした。何も持たずに、港へ向かった。
 夕陽が世界を赤く染めていた。
 黒く光るスチュワートの船が…汽笛を鳴らした。
 おれは走る。
 船の回りには大勢の見送る人々が溢れ、手を振っている。
 人々を掻き分け桟橋に着いた時、橋げたは上げられた後だった。
 船はゆっくりと桟橋から離れていく。

「待ってっ!お、おれも乗せてって!」
 汽笛がおれの声をかき消した。
 黒い船体を呆然と眺めた。
 間に合わなかった…もう…もうスチュワートに会えない…のか?嫌…いやだよ、そんなの…
 後方の甲板の端に、佇んだ影をみつけた。潮風にあおられ黒いコートがはためく。
「スチュワートっ!」
 おれはありったけの声を張り上げた。
「スチュワートっ!おれ、スチュワートの魔術師になるっ!絶対、なるからっ!おれも連れてってっ!」
 
 その影がゆっくり両手を広げた。
 スチュワートの声が聞こえた。
「ならば、来いっ!」

 どんな魔力よりも惹きつける声で、おれを呼んだ。
 


スチュワートとカルキ抱く



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天使の楽園・悪魔の詩 20 - 2012.02.02 Thu

kalkihane.jpg

20.

 今にも消えそうなガス灯が、細い路地を薄暗く照らしていた。
 幾人かの人影にぶつかりながら、路地の奥の騒がしい酒場の喧騒の間をすり抜けていく。
 あの叫び声にも誰も気づかないはずはないのに、誰一人として変わった様子はない。
 誰にも聞こえていない?
 おれの耳にしか届かなかったのか?

 路地を抜け、壁に仕切られた狭い井戸端へぶつかった。
 わずかに照らしていたガス灯がゆっくりと消えた。月の光が影を作った。
 目を凝らしてみると石畳に人が倒れている。 それも一人ではない。…ふたり、三人…いや四人だ…
 壁沿いの階段に壁にもたれ、うずくまる影があった。その影がスチュワートだと直感した。
 おれは急いで近づき、跪いた。
「スチュワート…」
 尋常ではない事はマヌケなおれでもわかっていたから、小声でささやく。
 俯いたスチュワートは僅かに顔を上げ、おれを見た。
「バカか…消えろって言っただろ…」
 声が震えている。スチュワートに何かあったんだ。
「なにがあったの?どこか…痛いの?」
「…腹を刺された。…かなり深い…」
 腹を押さえているスチュワートの両手が薄暗くても赤黒く汚れているのが見えた。 
「…血…」
 血塗れのスチュワートを見て、思わず後ずさりした。
 血の気が引いた。足元がおぼつかない。ガクガクと膝が崩れる。
 ざまあねえ…と、笑うにも引き攣って笑えない。
 怖気づいて何をどうしていいのか…判断できない。

「ス、スチュワート。おれ、どうしたらいい。病院?…病院の先生を呼べばいいの?」
「バカ…ヤロー…奴らを見ただろ?殺ったのは俺だ。警察も医者も呼ぶな」
「じゃあ、どうすれば…あ、あの魔術師さん、ブラッドリーさんを呼べばいいんだね」
「無理だ…間に合わない…」
「…スチュワート」
「近くに、休むところはないか…」
「休むところ?」
 おれは辺りをうかがった。
 そうだ。この建物は売春宿だ。男娼のおれなら、中に入ってもお客さんを連れ込んだのだと疑わないだろう。
 考えている暇はない。
 おれは足元がおぼつかないスチュワートに肩を貸し、宿の裏口へ向かう。
 スチュワートの様子は痛々しいってもんじゃなかった。
 苦痛に顔を歪ませ、吐き息も荒い。脂汗で雫が落ちる。滴る血を必死でコートで押さえ、宿の主人を誤魔化し、なんとか部屋へ連れて行く。ドアを開け、部屋の灯りを点けた。
 ベッドに倒れこんだスチュワートの身体には太いナイフが刺さっていた。
 それを見た時、おれは腰をぬかし、そのまま床にへたり込んでしまった。

 おれだってそれなりの修羅場は何度か経験している。だけど、…こんな血塗れになった人間を目の当たりにしたのは初めてだった。
 血の気の引いた土色の顔に口唇だけが赤い。吐く息も苦しげにスチュワートは薄目を開けておれを見る。
「カル…キ。そこに、居るのか?」
 名前を呼ばれておれはなんとか立ち上がり、ベッドにすがりつく。
「い、痛い?スチュワート…どうしてこんなことに…こんなにいっぱい血が出てるよ…」
「クソバカ…そんなにギャアギャア泣く位なら、あのまま逃げてりゃ良かったのに…」
「ごめんなさい。もっとおれが気をつけていれば…」
「…るせえ…よ。泣く奴は、嫌いだ…」
 スチュワートの言うとおりだ。泣いてたってスチュワートの傷が治るわけでもない。

 おれは涙を拭いて、スチュワートの腕を掴んだ。
「スチュワート…どうしたら、いい?おれは何をすればいい?」
「俺を…助けたいか?」
「うん」
「このままだと俺は…死ぬかもしれない」
「い、嫌だ!そんなの絶対に、嫌だっ!」
「だったら…俺を救え」
「え?…どうやって?」
「おまえの魔力で、俺の傷を、治すんだ」
 スチュワートは自分の腹に突き刺さったナイフの取っ手を持ち、ゆっくりと抜き始めた。
 苦痛に呻きながらも、彼の手は怯まなかった。
 ナイフを取り出した傷跡から、大量の血飛沫があたりに舞った。

 …呼吸が止まった。マジで泣いている場合じゃない。
 このままではスチュワートは本当に死んでしまうかもしれない。
 そんなこと、絶対に嫌だ。
 おれは…この人を助けなきゃならない。この人の命を守らなきゃならない。
 その為だったら…おれは自分の命も惜しまない。
 
 スチュワートの血だらけの手が、おれの手首を掴んだ。
 途端におれの頭の中に、スチュワートの意思が流れ込んでいく。
 寝ているスチュワートは喋っては居ない。喋れる状態ではないことは、顔を見ていたらわかる。なのに、スチュワートの声が頭の中に、はっきりと聞こえるのだ。
『カルキ…そのまま指に意識を集中して、俺の腹の中に入れてくれ』
『そんな…スチュワート、ど、どうすればいい?』
『魔力で手術を行うんだ。傷ついた内臓の形成と治癒を同時にやる。俺が導くからおまえは俺を感じていろ』
『…わかった』
 
 おれは導くままに、スチュワートの腹の中で動き回る自分の意識を感じていた。
 身体が熱い。痛い…苦しい。感じているものが自分の身体なのかスチュワートの身体なのか…境界がなくなっていた。
 部屋に居た自分の身体は、いつのまにか違う空間へ飛んでいた。

 目を開けても暗闇で何も見えない。
 おれはスチュワートを必死で呼ぶ。だけど自分の声も何もかも聞こえない。
 怖い…恐ろしい…身体も心も闇に犯されていく。
 
 …真っ黒い空間にぽっと白いものが見えた。
 白い…小さな…手が見える。
 おれは必死でそれを掴もうとした。だが触れようとした瞬間、その手が真っ赤な血で染まっていく。
 おれは震えた。あまりの恐ろしさにその手を掴むのを躊躇った。

 助けて、スチュワート。どうすれば…いいんだよ。どうしていいのか、おれにはわからない。

『ひとりにしないで。誰もいなくならないで。誰も死んじゃ嫌だ…ネイト、ハリー、ママ…僕をひとりにしないで…』
 絶望に泣く子供の声が頭に響く。
 必死に伸ばした血塗れの手の声主なのだろうか…
 この子は…助けを欲しがっている。おれと同じようにひとりぼっちが怖くてたまらないんだ。
 この子を救わなくちゃ…

 おれはその子の手を両手で掴み、精一杯の力で引き寄せた。
 小さな子供の姿が少しずつ現れる。
 何も着ていない。裸の身体が白く輝く。
 亜麻色の髪がゆらゆらと波打つ。
 整った顔、鼻梁、赤い口唇。閉じた目がゆっくりと開き、深い緑色の瞳がおれを見つめた。

『カルキ…』
 おれの名を呼んだ。
 愛らしい顔で、声で呼んでくれた。
『おれのすべては、あなたのものです…マスター』
 子供の姿の彼におれは跪き、血塗れの手にキスをした。

『ガキと泣き虫は嫌いだ』
『え?』
 顔を上げてその子の顔を見た。

 いつの間にか小さな子供は、大人のスチュワートになっていた。

魔術師とマスター

「…キ。大丈夫か?」
 声が聞こえた。おれは目を開ける。目の前にはどこかで見た顔があった。
「あ……ブラッドリー…さん?」
「良かった…やっと気がついてくれた」
 おれは床に倒れていた。少し身体を起こしあたりを見回す。
 2、3人ものスーツ姿の男の人がうろついている。
 おれは自分の手を見た。赤い血糊がついたままだ。

「スチュワートは?」
 慌てて目の前の魔術師に聞いた。
「大丈夫。仲間が船に連れて行きました」
「傷は…スチュワートは助かったんですね」
「ええ、出血はかなり酷かったが、命に別状はありません。君が魔力を使って助けたのだと…スチュワートさまが言われました」
「…」
「本来なら…」
 ブラッドリーさんは渋い顔でおれを見た。

「スチュワートはすぐにでも私達魔術師を呼ぶことができた。あの方をお守りする為に、私達は常に彼の波動を感じているのです。それなのに…あの方が私達を呼んだのはつい先程だったのです。この意味がわかりますか?」
「…いえ、…すいません、わかりません」
 おれはブラッドリーさんが何を言いたいのか、さっぱりわからなかった。
 彼は一瞬おれを睨みつけ、そして呆れたように苦笑した。
「魔術師としてのプライドが傷ついたってことです。本当に…あの方にも困った者ですよ」
「…あの…」
 ブラッドリーさんはおれの身体を、軽々と抱き上げ、スチュワートが寝ていたベッドへ運んでくれた。
「大量の魔力を使った後です。まだしばらくは動けないでしょう。ゆっくり休みなさい。さあ、目を閉じて…そして、目が覚めたら、港へ来なさい…待っていますよ。魔術師カルキ・アムル…」

 疲れていたからだろうか…それともブラッドリーさんが魔法をかけたのだろうか…
 言葉が終わらない内に、おれはもう一度意識を失った。
 
 夢の中でスチュワートを見つけた。
 今度は暗闇ではなく、青い…海の渚に立っていた。

「あなたの傍に居ても…いいの?」
 スチュワートはただ黙っておれを見つめたまま…何も言わなかった。



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天使の楽園・悪魔の詩 19 - 2012.02.01 Wed

カルキ普段
19.

 陽の沈む前にスチュワートと港で別れた。
 その後、腹ごしらえにいつもの居酒屋へと足を運んだ。
 ここは地元の若者が集う店で、漁師や船員、娼婦やおれ達男娼が、仕事の前や後に腹を満たす場所だ。テリトリーごとに衝立を立て、別れているから、お互いの話に首を突っ込むこともなく、揉め事や諍いも少ない。
 
 おれは昼間のスチュワートとの会話をひとつひとつ思い出しながら考え込んできた。
 ガラにもなく色んなことを考えなきゃならないって思ったんだ。
 だけど頭の中がまとまんなくて、目の前の煮込みシチューをスプーンでグルグルしていたら、リシュがやってきた
「カル。昼間、ステキな異国の人と歩いていたのを見たよ。ね、あの人、昨日カルが話してくれた…カルを助けてくれた人じゃない?もしかしたらデートでもしてたの?」
 楽しげにリシュが声をかけ、おれの隣りに座る。
「…うん、そうなんだけど」
 自然と口が重くなる。
「どうしたんだよ」
 おれにとってリシュは誰よりも信用できる友人だ。初めておれがこの島に連れられ、何も知らないまま身体を売る仕事を始めた頃、いつも叱られていたおれを励ましたり庇ってくれたのもリシュだった。
 だから、おれは洗いざらい今日、スチュワートとの間にあったことをリシュに話した。

「カル、良かったじゃないか。その人は、すごくお金持ちで、自由になれる分のお金をくれるって言ってくれたんだろ?その好意に甘えればいいじゃないか。何を悩む必要がある」
「だって…スチュワートはおれなんか必要ないって…。セックスだってガキ過ぎて相手にならない。魔法も使えないサティ(アルト)は必要ないってはっきり言われたんだ。おれはスチュワートの為に何ひとつできない。それなのに、暢気にお金をもらって自由になって…それってずるい気がしない?」
「ずるくてもいいんだよ、今は」
「え?」
「そのスチュワートという人の事を本気で好きなんだろ?」
「…うん」
「だったら、時期がくれば魔力の発動は期待できるし、ガキじゃ相手にならないなら、歳を取ればガキじゃなくなるじゃないか。君は愛される恋人になれるんだよ、カル。自信を持って。君は最大のチャンスを手にしているんだ。もっと貪欲にならなくちゃ」
「そうかな…」
「そうだよ」
 だって…自由になったところで、スチュワートの傍に居られなきゃ意味がないじゃないか。それなら、ここで仕事をしていた方が…

「リシュ、カルキ。ここに居たのか」
「ナーヴァ」
 男娼仲間のナーヴァが怒った顔でおれ達のテーブルに着いた。
「どうしたの?不機嫌な顔して」
「アッタの事、聞いた?」
「知らないよ。アッタがどうかした?」
 アッタはおれと同い年の男娼だった。先月良いマスターを得て、この島を出て行ったんだ。
 離れていく船から手を振るアッタの幸せそうな顔は今でも忘れられない。

「死んだって…」
「え?…どうして?病気でもしたの?」
「自殺さ。奴隷船から海に飛び込んだ…らしい。あいつ…騙されたんだよ。アッタを引き取った男はその道では有名な詐欺師だったらしい。意思の強いパティ(イルト)でさ、相手を惚れさせ、夢中にさせて、逆らうことが出来なくなったら…、別の人買いに高く売りつけるそうだ。そんな手馴れた奴に、俺達が逆らえっこない…アッタは運が悪かったんだ…」
 ナーヴァの声が震え、テーブルにいくつもの涙が落ちていった。
「初めから美味すぎる話だと思ったんだ。アッタが嬉しそうに話すから、俺も強く止められなかった。あの時、必死に反対すりゃ良かった。そしたらアッタは…死ななくても…」
「ナーヴァ…」
 ナーヴァはアッタの一番の親友だった。だから、慰めの言葉なんて簡単には言えなかった。

 この島の男娼窟から出て行った少年達が、幸せになる物語はいくつもある。それと同じ数だけ、不幸になる現実もわかっている。
 だけど、夢見ることまで奪わないで欲しい。
 みんな幸せになりたいんだ。

「パティなんてロクなもんじゃねえよ。あいつら俺達を心の底から愛したりはしないんだ。利用するだけ利用して、飽きたら簡単にゴミみたいに捨てる気なんだ。…リシュも注意しろよ。アッタの二の舞にはなるなよ」
「わかってるよ。だけどナーヴァ。自分の愛したマスターを…信じなきゃ、どうやって信頼を勝ち取ることができる。もし、裏切られても、捨てられることになっても僕は最後まで自分のマスターを信じたいよ。アッタもきっと…」
「だから…悔しいんじゃないか。空しいんじゃないか…どうして俺達サティ(アルト)はパティ(イルト)に逆らうことが出来ない?どうしてさ…」
「ナーヴァ」
 泣きじゃくるナーヴァを慰める言葉が見つからないまま、おれとリシュはテーブルを後にした。
 宵闇が深くなっていた。港へ行かなきゃ。おれ達の仕事が待っている。

「アッタには気の毒だったけど…他人ごとじゃないって事だ」
「リシュ…」
「だからってアッタの話とカルの話は別だ。おまえはそのスチュワートという人を愛しているんだろ?」
「…うん」
「だったら、選ぶんだよ。自分の為に、ここから這い上がるんだ、いいね」
「リシュ…君は心配じゃないの?…恋人の事」
「僕はこう見えても運がいいんだ。僕も僕のマスターも多くを望んでいない。そういう理屈で言えば、よき理解者同士なのさ。ハズレは無い。フラッグも立たない…いいかい、僕は先が見える。君はここから向こうへ行くんだ」
「え?だって港へは逆方向だよ」
「今夜は霧が濃いからね。カルの運命の道はあっちだよ」
 リシュは自信満々に港とは逆方向を指差す。

「後は君次第だ、カルキ・アムル。魔術師のプライドを忘れるな」
 そう言ってリシュは港へ走り去った。
 
 おれはリシュを信じていた。信じられる友人が居ることを誇りに思っていた。
 だからリシュが示した道を急いで歩いた。
 この道がどこに繋がるのか、今のおれには何もわからなかったけれど…



 引き寄せられるように繁華街を抜け、さびれた裏道を抜けていく。
 狭く細い路地が何本も交差する。階段と踊り場が交互に出くわす迷い道。小道の両端の建物はどれも古く汚れ、安酒しか置いていない飲み屋や売春宿が集まる界隈だった。
 少し離れた通りに黒いコートが翻るのが見えた。
 スチュワート?
 おれは急いでその通りに向かった。
 姿は消えていた。
 おれの見間違い?いや、そんなことはない。あの黒いコートはスチュワートの着ていたものだ。
 嗅ぎ分けるようにスチュワートの姿を探し出そうと走りまわった。

 いたっ!
 コートの端が目の前にの壁に消える瞬間を捉えた。息を切らして角を曲がる。
 見つけた!スチュワートだ。
「スチュワートっ!」
 名前を呼ばれたスチュワートは、驚いたように振り返った。

「やっと…見つけた」
 おれは嬉しくて思わずスチュワートのコートにしがみ付いた。
「おい、何でここにいる」
 いつもの不機嫌を通り越して、酷く怒った顔をしたスチュワートは、コートの端を握り締めたおれの手を、邪魔くさそうに払った。
「…あ、の…あ、そうだ。昼間借りてたハンカチ。綺麗に洗って乾かしたよ。ほら」
 会った時にいつでも返せるように、ズボンのポケットに入れておいたハンカチを取り出した。
「あ…」
 せっかく綺麗にたたんでおいたシルクのハンカチはシワだらけになっていた。
「ご、ごめんなさい。ハンカチしわになっちゃってて…」
 差し出したハンカチをスチュワートは、地面に叩き落した。
「そんなもん、いらねえって言っただろっ!いちいち付きまといやがって、気持ち悪いんだよ。…兎に角、早く俺の前から消えろっ!」
「え?」
「ちっ…おまえのボケた顔を見てるとよけいムカつく。さっさとどっかに消えろって言ってるのがわからねえのかっ!」
「スチュワート…」
 思いもしなかった激しい口調におれはすっかり気落ちした。呆然としたまま足が動かなくなった。
 甘い言葉を期待していたわけではなかった。いつものように罵ったり、からかってくれれば充分だったのに。スチュワートの吐いた言葉は、おれを拒絶しただけでなく、恐ろしく冷たいものだった。
 スチュワートは立ち尽くすおれには構わず、足早に去っていく。
 
 地面に落ちたスチュワートのハンカチを拾った。
 惨めさで張り裂けそうになる。泣いちゃだめだと何度も言い聞かせた。それでも我慢ができなかった。
「リシュ…やっぱりおれなんかじゃ、ダメなんだ…。おれは愛される資格のないサティなんだ」
 
 重い足を引きずりながら、おれは来た道を戻り始めた。
 
 スチュワートに嫌われた。
 拒絶された。
 …こんなに、好きなのに…
 違う、スチュワートが悪いわけじゃない。おれが勝手にスチュワートを愛してしまっただけなんだ。
 スチュワートには迷惑なだけだった。そんなの、当たり前じゃないか…
「スチュワート…」
 あきらめろよ、カルキ。おまえはこの島で誰からも愛されず、身体を売っていればいいんだ。

 …おれにはわかっていた。
 スチュワートより好きな人に出会うことは、二度とないのだと…
 嘆くことはないさ。
 愛する人と出会えた喜びが残る。
 今日一日スチュワートと過ごせた幸福な時間を一生忘れなければいいんだ。
 だけど…
 歩こうと前に足を出そうとしても動かなかった。
 『ダメだ。戻らなきゃダメだよ、カルキ。スチュワートが…』
 心のどこかで、自分の声が聞こえる。
 逆らえない声だった。
 おれは踵を返して、さっきの道を目指して走り出した。
 
 スチュワート、スチュワート…頭の中がスチュワートで一杯になる。
 途端に身体中を黒い霧が包んでいくように感じた。
 胸のざわめきが押さえきれない。
 重くのしかかるように…身体中が重い。

 その時、誰かの叫び声が何度も聞こえた。恐怖に引き攣った声だった。
 一瞬、おれの足が凍りついた。
 だが、行かなきゃならないことはわかっていた。
 スチュワートの後ろ姿が頭から消え去ることができなかった。
 怯えながも、早く行かなきゃと己を奮い立たせ、おれはその声のする方へ、走った。

 


スチュワート影



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