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2013-05

スバル 6 - 2013.05.31 Fri

6

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スバルひとり1-2



6、

机に置いた、空のラムネ瓶を揺らす。
カランカランと、ビー玉の転がる音がする。
まるで、真夏の夜の夢を忘れるな、とでも、言うように…


夏祭りの夜から雨日が続く。
スバルの祖母は「日照りが続いていたから、ちょうどいい塩梅に田んぼが潤う。きっとお祭りのご利益だろうよ」と、珍しく嬉しそうに呟いた。
だがスバルはつまらない。
伸弥に会えないからだ。

あの夜、ふたりは蛍を追って、河原まで降りていった。
暗闇に足を取られたりはしたけれど、伸弥と繋いだ手は力強く、伸弥の声はスバルを勇気づけた。

『伸弥さんとなら、どこまでだって、どんな危険なところだって、僕は一緒に行けるんだ』

いつのまにか、追っていた蛍は闇に消え、見失ってしまった。
仕方なくふたりは河原の岩に腰をかけ、星空を見上げた。

「スバル。君の名前の由来は知ってる?」
「うん、星の名前って…昔、チェトリじいが教えてくれたことがあるよ」
「そうだ。外国ではプレアデス星団っていう星の集まりを、和名では須波流…と呼ぶんだ。とても美しい響きだね。僕は大好きだよ」
「…」
伸弥の言葉にスバルは繋いだ手が熱くなるのを感じた。
嬉しくてたまらなくて、スバルは伸弥の肩に寄り掛かった。

「なに?寒いの?」
「ううん。なんか…伸弥さんにくっつきたくなった…僕、今までこんな風に…人に甘えたりしたこと、ないんだけど…変だね」
「スバルはまだ甘えてもおかしくない年頃だからね…今まで我慢していたんだよ。これからは僕が傍に居るからね」
「うん…僕も伸弥さんの傍にいたい…」
伸弥はスバルの細くて幼い身体をしっかりと抱き寄せた。

「須波流星はね、おうし座の近くにあるんだけど、残念だが今の季節では夜は見えないんだ。ああ、そうだ。寒くなったらまた一緒に空を見上げようか。そして、ひとつひとつ空の星を指差して、星の名前を呼び合うんだ…」
「…うん」

伸弥に抱かれ、そのぬくもりを感じながらスバルは声を堪えて泣いてしまった。
流れる涙の意味はわからなかったけれど…。

翌日、スバルは祖母に昨夜、伸弥がスバルを弟にしたいと話したことを打ち明けた。
それは単にスバルが嬉しくて仕方ないからと、伸弥の弟になれば、祖母にも迷惑をかけなくてもよくなるから、喜んでくれるだろうと、幼い心の表れだったのだ。

祖母はスバルの話をひととおり聞くと、にべもなく淡々と述べた。
「そんな話、本気になんかするんじゃない」
「だって…伸弥さんは…」
「伸弥坊ちゃんはお優しい方だ。おまえを憐れんで、助けたいとお思いになったんだろうけれど、いくら坊ちゃんがおまえを弟にしたいと言っても、仁科家が許すわけがないだろう。そりゃあ…おまえは伸弥坊ちゃんの言うとおり、鈴子嬢ちゃんにどことなく似ているけれど、だからって家族になれるわけもないだろう」
「…」
「とにかく、弟になりたいなんて…大それたことを本気にするんじゃない。いいかい、気に入られているからって、いい気になって坊ちゃんに我儘を言うんじゃないよ」
「…」

スバルは祖母に打ち明けたことを後悔した。
翌日から、祖母はスバルにいつもよりもより多くの仕事を言いつけるようになり、スバルは伸弥に会う暇を持てなくなってしまったのだ。

あの河原で伸弥がスバルを待っているかもしれないと、考え始めると、言いつけられた仕事さえスムーズに終わらず、ついには陽が落ちてしまう始末。

そうしているうちに、盂蘭盆を迎えた。

その日、祖母はスバルに使いを頼んだ。
今年は仁科家の娘の鈴子の初盆だ。
地主の初盆には多くの村人がお参りに行く。
スバルの家でも、仁科家の贈り物に祖母の手作りの白い盆提灯を用意した。
「玄関からじゃなく、勝手口から手伝い人にそっと手渡すだけでいいからね。それが終わったらさっさと帰ってくるんだよ、いいね、スバル」
「わかった」

スバルは明るい声で答えた。
伸弥に会えなくても伸弥の近くに少しでも近づける喜びに震えた。
スバルは畳んだ盆提灯を包んだ風呂敷を両手で抱え、飛び跳ねるように仁科家を目指して走った。

仁科の家は見上げるほど大きく、迷うほどに広かったけれど、通りかかった小間使いに勝手口の案内を聞き、スバルは無事、届け物を渡すことが出来た。
「せっかくだから、団子を食べていきなさい」と、気の良い女中がスバルに蜜をかけた団子を勧める。
スバルはお礼を言い、土間の階段に腰を下ろして団子を食べた。
甘くて柔らかい団子はスバルにとってはご馳走なはずだったが、頭の中は伸弥のことで一杯で、味が良くわからない。

『ああ、伸弥さんにひと目だけでも会えたらいいのだけれど…河原に行けなかったことを謝りたいもの…』

食べ終えた皿を見つめ、もう帰るしかないと諦めかけたスバルは、後ろからちょんちょんと肩を叩かれ、慌てて振り向いた。
そこには指を口に押し当て「シィー」と、言う仕草をする伸弥がいる。

「そのまま草履を脱いで僕の後についておいで。静かにね」
「うん!」
一瞬の驚きが喜びに変わる。スバルは伸弥の言うとおり、足音も立てずに土間から上がり、伸弥の後を追って、長い廊下を歩いていく。
初盆の客のもてなしに、世話人たちが忙しそうに廊下を行き来している。
忙しさの為か、伸弥の後ろを見知らぬスバルが歩いていても、誰も気に留めない。
階段を昇り、廊下の突き当たりにある伸弥の部屋に、スバルは迎えられた。

「僕の部屋には滅多に人は来ないから、安心して長居をするといいよ」
「でも…ばあちゃんがすぐに帰って来い…って」
「スバルは早く帰りたいのかい?」
伸弥の言葉にスバルは思い切り頭を横に振った。
「じゃあ、一緒に居よう。おばあさんには後で使いをやらせるよ。スバルが怒られないように」
「ホント?」
「ああ、だから…後で僕の言うことを聞いてくれる?」
「うん、伸弥さんの言う事ならなんでも…なんでもするよ」
「…いい子だね、スバルは」
優しく微笑む伸弥に頭を撫でられるだけで、スバルは伸弥のためになら死んでもかまわない…と本気で思い、満ち足りた自己犠牲の幸福に酔いしれるのだ。

それからしばらくスバルは伸弥と幸せな時を過ごした。
聞き上手の伸弥は、スバルのつらい部分までも言葉にさせてしまう。
誰にも話せずにいた辛い日々も、口にして伸弥に話し出すと、少しずつ苦しみが消えていくように思えた。
だが、スバルはたったひとつ、伸弥に打ち明けていない秘密がある。
スバルが魔法使いだという事だ。

スバルはまだ「魔法使い」がどんな意味を持つのか、世間にどう思われているのか、よくわからなかった。
スバルの周りには魔法を使う者はいなかったし、それを見た事もない。と、言うことは魔法を使えるスバルは、異端ということになりはしないだろうか。
その存在は「悪い事」なのだろうか…

スバルが魔法使いだと知ったら、伸弥はどう思うだろうか…。
今まで通りの優しい眼差しを向けてくれるだろうか…と、考えると、スバルは真実を語る勇気が持てなかった。

「ね、スバル。さっきの頼まれごとだけど…これを着てくれないか?」
伸弥がクローゼットから出した服は、女物のワンピースだった。
柔らかいピンクのシルクの光沢が、窓から差し込んだ光に映えて美しい。襟元は白いベッチンの優雅な曲線を描き、硝子のクルミ釦が綺麗に並んでいる。スカートのギャザーもふんだんに取られ、スバルが身に着けると誂えたように、身体に合った。

「驚いた…鈴子の服がこんなに似合うなんて…」
「…おか、しく、ない?」
「ごめんね、スバルは男の子なのにさ…こんな恰好させて。でも今日だけは許してくれないか。今日は…鈴子の魂が帰ってくる日だから…さ…」
鈴子の服を着たスバルを見つめる伸弥は、苦しそうな顔をした。それだけでスバルは十分だった。
「大丈夫だよ、伸弥さん。僕、なんだってやるって決めたんだから。伸弥さんが言うんだったら、鈴子さんになれるように頑張るから」
「スバル…」
伸弥はスバルの両腕を掴んで、その身体を引き寄せ、抱きしめた。

スバルは抱きあった伸弥の胸に身体を委ねた。
何をされてもスバルは伸弥に従順するだろう。
それが運命づけられたイルトとアルトの絆なのだから。

「…スバル。僕のかあさんに会ってくれる?」
「…え?」
「君をかあさんに、紹介したいんだ。僕の大切な…スバルを」

スバルは顔を上げ、伸弥を見た。
その顔には、いつもの穏やかな伸弥は見いだせない。

スバルは胸騒ぎを覚えた。
彼の予見の魔力がそれを見させた。
だがそれを止める手立てを、スバルは持たない。

何故なら、伸弥に逆らう術など、スバルの頭には思い浮かぶはずもなかったのだから。




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スバル 5 - 2013.05.23 Thu

5
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スバル 5

その日は朝からなんとなく浮き足だすような雰囲気に包まれてた。
スバルの祖母も僅かなもち米と小豆で赤飯を炊いて、神棚と仏壇にお供えをしている。
何よりも、遠くからお囃子や太鼓の音が一日中ずっと鳴り響いている。
スバルには何が何やらわからないが、どうやら今日は年に一度の村祭りらしい。
村中の人々は今日だけは仕事や農作業も休み、村の安泰と豊作を祈り、酒を酌み交わし、唄や踊りで村の神さまを祝うのだ。。

スバルは昼近くになり、祖母から持たされた小さな赤飯のおにぎりを持って、伸弥の待つ河原へ急いだ。
持ってきたおにぎりを「ばあちゃんから」と、差し出すと、伸弥は気持ちよく食べてくれた。
祖母なりの精一杯の伸弥へのお礼のつもりだったのだろう。
代わりに伸弥は、五目寿司をつめた折箱をスバルに差し出した。
「うちはお祭りの時はいつもこれなんだ。スバルの分を作ってもらったから、全部食べていいよ」
お礼を言い、折箱のふたを開けた途端、スバルの目に飛び込んできたのは、彩りよく飾られた錦糸卵と桜でんぶ、緑つややかなきぬやさと花弁を形どった人参だった。
「うわ…きれい…」
「気に入った?」
「食べるのがもったいないぐらい…」
「きっとスバルはそう言うと思ったよ。外国ではあまり見かけないと思って、スバルに見せたかったんだ」
伸弥の言葉にスバルは折箱から伸弥の顔に視線を移し、しばし見つめてしまった。その穏やかで優しい笑顔に胸がいっぱいになる。

『どうしてこの人はこんなに親切であたたかいのだろう。僕なんかの為に、どうしてこんなにしてくれるのだろう…』

戸惑うスバルに伸弥は「さあ、遠慮せずに食べなさい。僕も自分の分を持ってきたから一緒に食べよう」と、箸を薦めた。
「うん」
スバルは指でそっと花弁の人参をつまみ、そして陽にかざした。
透かした陽の黄金の輝きは、スバルを見守っている気がした。

「スバル、今夜のお祭りに一緒に行かないかい?」
祖母の為にと半分ほど残した五目寿司の折箱を麻の布にしまいこんでいたスバルは、伸弥の言葉に惹きつけられた。
「お祭り?…夜?」
「そうだよ。ほら、この河原を上がった先に神社が見えるだろ?今日は一日中その境内に人が集まって踊ったり歌ったりするんだけれど、夜ともなるともっと賑わうんだよ。それに屋台も出るんだ」
「や、たい?」
「食べ物やゲームの出店が沢山並ぶし、スバルにもきっと楽しめると思うよ。ね、行こうよ」
「でも、僕…夜は家から出られないよ。暗くなったらすぐ寝なきゃならないんだ。うち電気が使えないから…」
「そうか…じゃあ、こうしないか?寝たふりをして、おばあさんが寝てしまったら、スバルはこっそり家から抜け出して、僕と夏祭りを楽しむ。…どうだい?」
「…」
伸弥の魅力的な提案に、スバルはすっかり取りつかれた。

あのたいくつな長い夜を、伸弥と一緒に過ごせると、思うだけで胸が高鳴る…
隣で寝息を立てる祖母を後目に、こっそりと抜け出し、一心不乱に神社の境内を目指して走る。
石の鳥居の前にはスバルを待って佇む伸弥が見える。
スバルは思わず「伸弥さん!」と、叫ぶ。
伸弥はにっこりと笑い、「スバル、ちゃんと約束を守れたね。さあ、一緒に楽しもう」と、スバルの手を取ってくれるのだ…。

陽が沈む時をこんなに心躍る気持ちで待ったことはない。
辺りがすっかり暗くなると、太鼓や笛の音の音が響くも構わず、いつもと同じように祖母は古い麻の蚊帳に入り、枕だけを置いた畳に寝ころがり、そのまま寝入ってしまった。
スバルは祖母の寝息を確かめ、蚊帳の裾をそっと上げ、土間へ降り、草履を履き、静かに母屋の外へ出た。
いつもは真っ暗な夜の風景が、空を照らす祭りの灯りで、識別できる明るさを保っている。
スバルの足元も、カンテラもないのに、仄かに白く浮かんで見えるのだ。普段なら真っ暗闇の外が怖くてで出たいとも思ったこともないスバルだったが、背の低い木枠の戸を抜けると、神社へ向かって一目散に走りだした。

『一日に二度も伸弥さんに会えるなんて。なんて素晴らしいのだろう。ああ、こんなに幸せな気分になったことは、今まで一度もないくらい…』

スバルが描いたいた通りに、鳥居に近づくと佇むひとりの少年の影が見えた。
スバルは息が切れるもの構わずに、伸弥の胸に飛び込んでいくくらいの勢いで駆け寄った。
伸弥は息を切らすスバルの頭を撫で、「そんなに急がなくてもお祭りはまだ終わらないよ」と、言う。

『そうじゃない。お祭りなんて本当はどうでもいいんだ。僕は伸弥さんの傍にいられることが一番大切なんだから』
頭を撫でられながらスバルは言いたかった言葉を飲み込んだ。
なんだか少しだけ恥ずかしい気がしたのだ。

『男の子の僕が伸弥さんに好きって言うの、おかしいかなあ…』

良く眺めると薄い萌黄の地に瑠璃色の露芝模様の浴衣は伸弥にとても似合っており、スバルは寝間着のままの恰好が恥ずかしくなった。
「ぼ、く…寝間着のままの恰好で来ちゃった」
「いいじゃないか。紺地にツユクサ模様か…女物の浴衣模様だけど、とてもスバルに似合っているよ」
「ほんとう?これお母さんの小さい頃のお古だって…ばあちゃんが仕立てなおしてくれた」
「そう…さっき、スバルがこちらに駆け込んできた時ね、まるで鈴子が生き返ったんじゃないかって…一瞬だけど勘違いしてしまったよ。きっとその着物模様がスバルを女の子に見せたんだろうね」
「…僕、今日は伸弥さんの妹になりたい」
「バカだな。…スバルはスバルだ。鈴子じゃない。僕は君を鈴子の代わりにしたりしないからね」
「…」
伸弥の言葉にスバルは少なからずガッガリした。鈴子の代わりになれば、もっと伸弥に愛してもらえるかもしれないのに…と、思ったのだ。

「さあ、行こうか。人が多いから迷子にならないように手を繋いでいよう。絶対離しちゃだめだよ、スバル」
「う、うん」
妹になれなくても、伸弥の傍にいられるならそれでいい。そして握り合った掌を決して離すまい、とスバルは思わず指に力を入れ、伸弥に笑われるのだった。

石畳を歩き、社殿に参拝したあと、ふたりは並んだ屋台をひとつずつ眺めていった。そのどれもがスバルには目新しく、世の中にこんなにおもしろいものがあるのかと、驚きの連続であった。
なんのことはない。スバルは世界の色々な土地を旅しても、子供が楽しむような場所には行ったことがないだけの話だ。

たこ焼きも杏飴もわたがしも、ヨーヨー掬いも射的もどれもこれもが、夢のように見えるのに手の中にある現実に何度も驚いてしまう。戸惑うスバルに寄り添うように傍らの伸弥は、面倒臭がらずにひとつひとつを丁寧に手を取って教えてくれる。

身体が火照って仕方ないと、よろけるスバルを案じ、屋台からラムネを買い求めた伸弥はスバルの肩を支えて、境内の外へ出た。

「きっと人当りしたんだよ。しばらく涼んだら気分が良くなると思うよ」
「うん…伸弥さん」
「なに?」
「ありがとう。お祭りに誘ってくれて…こんなに優しくしてもらったことないから、僕、なんて言って良いのか…わからないけれど…すごく嬉しくて…嬉しずぎて……夢みたいだ…夢でもいいよ。明日これが夢だってわかったって…僕は幸せなんだもの」
「夢なんかじゃないよ。スバルはこれから色んなことを経験するんだよ。僕と一緒に」
「…伸弥さんと」
「できれば…だけれど。君を仁科家の養子にしたい」
「え?よう、し?」
「本当の僕の弟になって欲しいんだ」
「そ、そんなこと…できるの?」
「父に頼んでみるよ。無理だとしても…スバルがもし承諾してくれるのなら、スバルは今から僕の弟だ」
「ほ、本当?」
「僕が大きくなって経済的にも独り立ちできるようになったら、僕がスバルの家族になって養ってあげるから」
「伸弥さん」
「それまでは僕の傍に居てくれないか?…僕はスバルが好きだよ」
「…」

夢を見ているのではないかとスバルは何度も目を擦った。しかし、目を開けても目の前の伸弥は消えたりはしなかった。
スバルは伸弥の胸に飛び込み、声を上げてうれし泣きをする。伸弥はスバルを抱き寄せ、その背中を撫でた。
伸弥の肩ほどしかないスバルの頭を、伸弥の掌が優しく撫でる。
スバルは顔を上げ、伸弥の顔を覗き込んだ。
伸弥は「スバルは泣き虫だね。でも素直なスバルが大好きだ」と、言い、スバルの額に軽く口唇を当てるのだった。

「人を好きになるとね、その相手のすべてを欲しくなるんだって。それは夢のように心地良く、悪夢のように恐ろしいらしいよ」
「…こわいね…」
「うん、とってもね」
スバルを見つめる伸弥の瞳の輝きは、恐ろしい言葉には似つかわしくないほどに澄んでいる。

「あ、蛍だ」
顔を上げた伸弥は、指先を暗闇に指し示す。その先には揺らめく淡い光の帯。

「時期外れの迷い子なんてめずらしいね。追ってみようか?スバル」
「うん」

ふたりは手を取り合って、闇の中へ消えていった。


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まだまだ先は長い…((人д`o)


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スバル 4 - 2013.05.17 Fri

4

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スバル河原


スバル 4

スバルにとって、この年の夏の思い出は、一生のうちで一番輝くことになる。
生まれて初めて、この世に生まれた幸いを毎日感謝する日々の連続。そして、今まで味わってきた苦痛の泥が、少しずつ確実に洗い流されていく実感に、スバル自身驚きを感じていた。
ただ何も言わず見守る祖母と、スバルを癒す山間の空間と、そして伸弥の存在が、スバルに喜びや楽しみの感受性を取り戻させた。

あの日から、スバルは今まで以上に早く起きて、手早く仕事を終らせようと懸命に働いた。
祖母には伸弥のことも話し、失くしたにわとりの代わりにたくさんの魚を持ち帰るからと説得した。祖母は問いただすことも、止めようともせず、命じた仕事を片付けたら、後は好きにしてもいいと言ってくれた。
その日の天候や、やりこなす仕事の量によって、毎日河原へ行けるわけではなかったけれど、今のスバルには明日を期待する喜びに満ち溢れている。
日常の厳しい仕事も、伸弥と会える時を思うと少しも辛く感じない。
夜空を眺め、明日の天気を占い、静まり返る長い夜も、伸弥を思いつつ夢を見ることができる。
そして、確実に希望の朝が来るのだ。

十時を過ぎる頃、釣竿と魚を入れる麻袋を持って、スバルは待ち合わせの河原へ急ぐ。
大概伸弥の方が先に来て、渓流に釣り糸を垂らしている。時には網も川に投げ、魚を獲ることもある。
だが、ふたりには魚釣りよりももっと大切なことがある。

約束通り、伸弥はスバルの為に教科書と問題集を用意した。
ふたりだけの河原での授業を、スバルはどれだけの感動を味わったことだろう。
教えてもらう事、知らなかった世界、歴史、物事を知る事、そしてなにより伸弥という年上の友人への尊敬と信頼を信じることが出来た事。

昼には伸弥が持ってきた弁当を、仲よくふたり並んで食べる。
伸弥はスバルの分も必ず持参し、毎日飽きないようなメニューでスバルを喜ばせた。
とりわけ、ニッポン風の味付けは、スバルを感動させ、自分の分までを勧める伸弥に恐縮しながらも、子供の素直さであっという間に平らげた。
スバルは何度も伸弥にお礼を言う。
伸弥は「どういたしまして。スバルが嬉しいと僕も嬉しいんだ」と、返してくれる。
そういう伸弥に、スバルはまた感動するのだ。

『このままずっと…伸弥さんの傍で過ごすことができるなら、僕はどんなに幸せだろう。ああ、そうだ。どんな理不尽なことだって、伸弥さんのためになら…僕はなんだってできるんだ』

当時、スバルはアルトとイルトの関係を知らない。
伸弥の持つイルトの波動と魔力を持ったアルトであるスバルの波動が引きあったのかもしれない。

ともあれふたりはまたたく間に、親密な美しい友情を交し合った。


「あの…いつも教えてくれてありがたいと思うんだけれど…、伸弥さんは自分の勉強とか…しなくていいの?」
「え?なんだ、スバルはそんなことを心配してくれていたのかい?大丈夫だよ、スバルに教える責任っていうか…結局教える知識を持つために、僕自身も勉強するわけだしね。スバルを教えていると、なんだか人を教える楽しみってこういうものかと実感するよ。将来は先生の道を考えてもいいって」
「伸弥さんなら、きっとなれるよ。素晴らしい先生に。ぼ、僕が保証するから」
「スバルが保証してくれるのなら安心だ。スバルはとても良い生徒だしね」
「そ、んなことないと…思うけど…」
伸弥はスバルを褒める。
些細やことでも「よく頑張ったね。えらいよ、スバル」と。
今まで褒めてもらったことなどないスバルに、伸弥の言葉は勇気とやる気をくれる。
だからスバルは一生懸命に勉強した。

だが、スバルは伸弥が自分を親切にしてくれる本心がわからなかった。
伸弥は一体自分に何を期待しているのだろうか…
なによりも、自分が伸弥の役に立つ時が来るのだろうか…と。

或る日、スバルは恐る恐る疑問を投げかけた。
伸弥はしばらく黙り込んだ。
その沈黙をスバルは怖れた。聞かなければよかった、と、後悔した。
伸弥はスバルの顔を見つめ、少し微笑んだ。
「おはぎ、美味しいかい?」

昼飯が済んだ後、デザートにと伸弥が持ってきた曲げわっぱにはおばぎが綺麗に並べられている。
初めて見るこの黒い奇妙な蒸した餅菓子を口に入れた瞬間、スバルはあまりの美味しさに声が出せなかった。
伸弥はその様子を楽しそうに眺め、「全部スバルにあげるよ。おばあちゃんにも食べてもらえよ。うちにはまだ沢山あるから」
「い、いいの?」
「ああ、今日は、妹の月命日だからね……あの子はおはぎが大好きだったんだ」
「…妹?」
「そうだよ。去年、八歳で死んでしまった妹…スバルはね、その妹に似ている…」
「…」
「スバルと同じ僕よりも四つ下で、スバルに似て優しくて綺麗な顔をしていたけれど、痩せててね。オドオドして…周りに気を使って小さくなって、いつも部屋の隅っこで泣いていたんだ。僕はそんな妹が不憫で可哀想で、でもとても愛おしくてね…妹は僕にだけは甘えてくれた。…僕だけしか味方がいなかったからだろうけれど……」
「なぜ、伸弥さんしか味方がいないの?」
「妹は…鈴子は父の愛人の子供で…愛人ってわかる?」
「うん、なんとなく…」
「鈴子の母親が死んで、六歳の頃、うちへ連れてこられてね。何も持たずにたったひとりで…。父も母も鈴子に冷たかった。使用人たちも母の命令で鈴子には構うことが出来なかった。可哀想な鈴子は、学校にも行かせてもらえずに…いつもひとりぼっちだった。だからスバルを見た時、鈴子に似ているスバルに、優しくしたいって思ったんだ」
「そう、なんだ」
「ゴメン。死んだ者の代わりだなんて、気持ち悪いだろ?スバル、気を悪くしないでくれよ」
「そんなことない!僕、伸弥さんの妹に似てて…すごく嬉しいよ」
スバルは少しだけ伸弥の本当の心の触れたことが嬉しかった。そして、その妹に似ていたことを幸運だと心の底から喜んだ。

「でもさ、見かけは似ているけれど、スバルは妹よりもずっといい子だよ」
「え?」
「鈴子はあれで気が強くてね。大きくなったら、こんな家なんか出て、頑張ってひとりで生きてやるんだ!って、いつも僕に言ってた。だからその日が来たら、ふたりで一緒にこの村から出ようって、僕らは誓い合ったんだ…そんな日が必ず来ると、僕も信じていたのにね…」
「…伸弥さん」
まだ幼いスバルには、伸弥の複雑な悲しみは理解できなかったけれど、スバルは慰める言葉を探し出そうと懸命になった。

「伸弥さん、僕…妹さんの代わりになれるように…頑張るから、何でも言ってね。僕…伸弥さんの為なら、なんだってするよ。い、妹になれって言うなら、僕、妹みたいになるから…」
「スバル…」
懸命に伸弥の為に自分を捧げようとするスバルの無垢で純粋な気持ちは、伸弥にはとても耐えられなかった。
伸弥は泣きそうな自分の感情を押し殺し、スバルに微笑み、たった一言だけ答えた。

「ありがとう」
それはスバルには十分すぎる返事だった。




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母の手紙 - 2013.05.13 Mon

今回のお話はBL的な要素は全くありません。

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「母の手紙」


お父さん、ごめんなさい。
色々と心配ばかりかけて…私はもう、どうしたらいいかわかりません。
昨日のことは、私の早合点だったのでしょう。
人間は感情の動物です。
玄関の戸を強く閉めて、何も言わず出ていったことは悪かったなあと思っています。
迎えに来た夏海には、色々言い聞かせながら帰ってきたのですよ。

茶碗に一度よそった御飯を、ジャーに戻したことも、一旦皿に注いだ魚を手もつかずに鍋に戻したことも、あなたはきっと気づいていないでしょう?
あなた方ふたりが、何と言ったかわかっていますか?
テーブルについて、食べようと箸を持ったけれど、食べられませんでした。
「今度の病気のことだって、どんなに堪えていると思うか!」と、お義母さんが言ったことです。
何も言われなくても、心苦しくて、本当にどうしていいのかわからずにいる私に、その言葉はあまりに残酷でした。
人間は自分の欠点がわかりすぎる程わかっている時、そこを突かれる位、辛いことはありませんから。

私だって突然の入院宣告に本当にショックでした。もちろん自分の身体のことです。近頃おかしいなあ、と勘づいてはいました。でも今までだってそれなりに誤魔化してこれたので、今度も大丈夫だろうと思っていました。
C型肝炎と言う治り難い病気に、どう立ち向かっていけばいいのか…混乱してしまって私にはもうわかりません。

私は今まで自分なりに頑張ってきたつもりです。
賢く欠点のない、そして全く隙のないお義母さんと、何もかも出来過ぎた優等生のあなたには理解できない事と思います。
そうでしょう?
頭の良い人に、愚かな人間の考えていることがわかる筈はないのですから。
私は、自分は馬鹿な位正直者だから、思ったことをつい口から出てしまうけれど、割と人のことは悪く言わないできました。そんな私を周りのみんなは「馬鹿正直もほどほどに」と言うのです。でも私はそんな人間です。
良い方に、良い方にと考えなければ…と、思う性格です。

私達夫婦は一度でもケンカをしたでしょうか?
他愛ない夫婦喧嘩が、どんなに素晴らしい事なのだろう…と、私はいつも思っていました。でもそれも私達にはできなかったでしょう。
何故だかわかりますか?
取り留めのない些細な諍いでも、お義母さんが介入して事を大げさにしてしまうからです。
ケンカの原因は大体が私にあるでしょうね。でも夫婦喧嘩の理由には女の甘えもあるのですよ。
けれどお義母さんが私たちの中に入ってくると、一方的に私が怒鳴りつけられ、私はもう引き下がるだけしかないのです。
元々大して意味もない夫婦喧嘩なのですから、理屈であれこれ言われたら、適う筈もなく、お義母さんに謝るしかありませんよね。

世間では夫婦喧嘩のことをなんと言っているのか知っていますか?
仲の良い夫婦のレクレーションとか、仲の良い証拠とか言うのですよ。
私はそれを負け惜しみの言い様だと思っていました。でも近頃はそうではなく、私の方が間違っているのでは?と、思うようになりました。

あなたとわたしとお義母さんは三人合わせて夫婦なのかもしれませんね。
あなたとは滅多な事ではふたりだけの内緒話というものさえなかった気がします。結婚して二十年以上も経つのに…

世間では「賢いお姑さん」と「立派すぎる息子さん」と「明るくてそそっかしいけれど、ほがらかなお嫁さん」と、言うことになっていたのでしょうね。
でも私は身体が弱いと言うハンデがあることをずっと気にして生きてきました。
あなたとお義母さんが考えている以上に、悩んでいたのです。
死んだ方がマシだと考えたのは、何もあなた方ふたりへの当てこすりではないのですよ。只、心配をかけてしまうのがとても辛いことと、気兼ねの所為です。
この「気兼ね」というのは本人でなければわかりません。人に対して気兼ねしたりする風には一見して見えなかったかもしれませんね。
生来ののん気者の上に、そんな風に見せてしまえば家の中が暗くなってしまうもの。
家の中で私がひとり、ドジで馬鹿でオッチョコチョイだとわかっているのですから。
結局はそんな私は、賢くて優等生のあなた方に精一杯頑張ってもついていけないと言うことでしょうね。その上、身体が弱いという事で、私自身焦りが出るし、焦れば焦るほど何とかしなければと頑張ってしまい、また熱がでてしまう始末だし…
良くできる奥さんのフリなどせずに、当たって砕けろ!と、正直に行動すれば良かったかもしれませんね。

死ぬ事はそんなに難しいことではないのですが、子供たちのことが気がかりなのと、お義母さんとあなたの立場を思うから出来ないだけなのです。
いくら自分ひとりの我儘からすることでも…
と、すると何か他に選択があるのか…と、今まで考えてもいなかったことに辿りつきました。
あなたとの「別れ」です。
だってこれ以上息をつめた生活は、とてもできないもの。
何の会話もなく、無言で生活していかなきゃならないことに耐えられなくなりました。
44歳にもなってやっとわかったの。
「あの位のことで馬鹿なことを言うな!」と、あなたは怒るでしょうね。でもね、昨日のことだけじゃない。
時々思っていたのです。50歳になってもきっと今のままの生活だと思うと、何だか私がとっても可哀想…馬鹿みたいにいつもヘラヘラとして…
「何を言ってる。今まで病気ばかりしていたクセに!」と、言われればそれまでですが…

一度真剣に考えてみてください。そして決まったら最後にお義母さんに話してください。そうでないとまたヒステリックに怒鳴られるだけですから。

私のことは心配いりません。
死ぬ事に比べたら、どんなことでも耐えられるでしょうから。
実家にも帰りません。迷惑はかけないでひとりで生きていくつもりです。

お義母さんが良い人で、あなたがまた特別に良い人だから、今からでもどんなにか素晴らしいお嫁さんが来るかもしれないわね。
今度は身体の強い人を貰ってね。そうすればお義母さんはどんなに喜ぶだろうと、想像します。
皮肉ではなく、心からそう思っているんです。

別れたいと両親に話したら、お父ちゃんからは思いきり叱られたけれど、お母ちゃんはちっとも叱りませんでした。少し嬉しかった。

心残りは子供たちのことです。
陽彦はもう大学生で、独り暮らしだからあまり生活が変わるとはおもわないけれど、夏海は高校二年生で、今が一番難しい時期です。このことであなたたちに反感を持ってしまったらどうなるかと…私より利口で、学校の生活態度や成績などは、先生から一番だと言われています。女の子だからわからないことも多いでしょうけれど、もう少し長い目で見てあげてください。急いては事を仕損じるということわざもありますから。
私に愛情が残っていたら、その分を夏海にお願いしたいと思います。だって、私たちが別れた後、一番の被害者になるのは夏海なのですから…


人間って不思議ね。
今まで考えてもみなかった事なのに、急に気持ちが固まるものだなあと思いました。
何事も人の目、隣近所の目のために、皆が我慢することはないですね。
人生やりなおしはききませんから…
早い話、堅物の健全な家庭向きの女ではなかったのではと思います。
どんなに背伸びをしても、まだまだ未熟であり、とても届かないことに、今更気がついたのです。少し遅すぎたみたいだけど…

二、三日のうちにあなたの会社がえりに待ち合わせをして、話し合いましょう。

最後に…

あなたは最高に優しい人です。またとない素晴らしい人です。
でも絶対私の気持ちを理解できない人です。
これ以上一緒にいたら、息が詰まるような気がしてならないのです。




先日、祖母が亡くなりました。その夜、十年前に亡くなった母のタンスから、偶然手紙を見つけました。
誤字脱字を直し、すこしばかりわかりやすくしましたが、すべて母の文章です。
母は…私が絵を描いたり、小説を書いたりすることを喜んでいましたし、その頃はブログなどはしていなかったんですが、してみたら?と、当時から母が薦めてくれたものでした。
きっと母はこの手紙が、こうして私の手に渡り、ブログ小説として読まれてもいい、と、思っているのではないかと思い、アップしました。
この手紙はこの時の感情まかせに書かれたものであり、その後も母が死ぬまで、両親は仲よく暮らしていました。だけど、こういう時もあったのだなあ~と、子供心は複雑なものですよ。
ただ、生きてる時はほとんど私を褒めなかった母が、書き残している文章では結構褒めてくれていることが、嬉しいですねえ~


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スバル 3 - 2013.05.07 Tue

3

イラストはサムネイルでアップしております。
大きく見たい方は、イラストをクリックしてくださいね。


kawa.jpg


スバル 3

少年は、仁科伸弥(にしなしんや)と、言う。
スバルよりも4歳年上の中学二年生で、この村一番の地主の息子だった。
祖母の家の土地も田畑も、地主の仁科家のものだ。
だが、その時スバルはそんなことは知らないし、この土地で他人に声を掛けてもらったのは初めてだったから、好奇心と猜疑心で戸惑いを隠せなかった。

「君、そこにいたら流れに足をすくわれて、危ないよ。さあ、僕の手を取って」
川は思ったよりも浅瀬で、中央でもスバルの腰まで届かない水位だったが、流れは早く、気を抜いたらすべり転びそうだった。
差し出された細く長い腕に一瞬躊躇うスバルだったが、麦わら帽子の影になった伸弥の爽やかな笑顔に惹かれ、伸弥の手を素直に掴み、ゆっくりと対岸に引きずられた。
河原に立ったスバルの緩いズボンはずぶ濡れた重みで脱げそうになり、スバルはあわてて引き上げる。
「酷い格好だ。水浸しじゃないか。夏だからってそのままじゃ風邪引くぞ」
「…だいじょうぶ…です」
「子供のクセに遠慮なんかするなよ。ほら、服を脱いでこれで拭けよ」
首に掛けていたタオルを伸弥は、スバルの濡れた頭に広げた。
タオルからは仄かにシャボンの香りがする。スバルはさっきまでの絶望的な気分から少しだけ救われる気がした。

言われるままにシャツとズボンを脱ぎ、伸弥から貰ったタオルで身体を拭くと、腹の虫がギュウと鳴いた。
「なんだ?すごい音が聞こえたぞ。腹が減っているのかい?」と、伸弥が笑う。
スバルは恥ずかしかったが、素直に頷いた。
「ちょうど良いものがある。ここに座りなよ。ほら、サンドイッチだ。釣りに行くと行ったら、女中が気を利かして持たせてくれたんだ」
「…」
スバルはおそるおそる伸弥の隣に腰を下ろし、伸弥の膝に抱えた籐籠を覗き込んだ。
籠の中には、綺麗に並んだサンドイッチが見える。
「僕も腹が減ったから一緒に食べよう」
「…でも…」
「遠慮しないの。ほら、食べな」
「…ありがとう、ございます」
手渡してくれたサンドイッチがキラキラ輝いて見える。スバルはしっかりと両手で掴み、それを口に入れた。

「一緒に食べよう」と、伸弥は言ったが、サンドイッチのほとんどをスバルは一人で食べてしまった。
それに気がつかない程にスバルの腹は減り、そしてあまりの美味さに夢中になっていた。
伸弥はスバルの姿を、憐憫と好奇心で興味深く眺めていた。

「那賀さんのおばあさんのところに外国から来た男の子がいるって聞いたけれど、君だろ?」
「…うん」
「名前は?」
「…スバル」
「那賀さんのお孫さん?」
「…うん、そう」
「もっと違和感があるのかと思ったけれど…案外東洋系なんだね。まあ、母親はここの出身だろうし…お父さんはどちらの人?」
「…よくわからない」
「そう…」
スバルの本当の父親がどんな人だったのかは、誰からも教えてもらったことはない。写真すら見たことはなかった。
誰がスバルの父親かなど、スバルも大して気にしてはいなかった。

「気になったんだけど…スバル、君さ、ご飯、食べさせてもらえなかったの?」
「…」
「学校にも行ってないって噂では聞いたけれど…身体もガリガリだし、食事もまともにさせてもらってないなんて…それって虐待じゃないのか。大問題だよ。警察に連絡してやろうか?」
「ち、違うよ。ちゃんと食べているよ。今日は…僕の所為で…僕がぜんぶ悪くて…ばあちゃんは悪くないもん」
「スバルの所為って?」
「…」
心配そうに見つめる伸弥の顔は、本当にスバルを思ってのことだろうか…
スバルは少しだけ迷ったが、今朝の話や学校へ行けない事情をぽつぽつと伸弥に告白した。

元来スバルは人と喋ることは苦手だった。
母たちからは無口でいることを要求され、自分から何かを話しかけたりすると、即座に怒鳴られた。
世の中がそういう人ばかりではないことは、育つに連れてわかってきたが、人の顔色を伺いながら会話をするくらいなら、黙っている方が楽だと感じていた。
だから今、暮らしている祖母との会話がほとんどなくても、スバルには苦痛に感じなかった。

要領よく話せないスバルを、伸弥は急かすでもなく、「ゆっくりでいいよ」と、持っていた水筒のお茶を与え、時にはうんうんと、相槌を打ちながら見守り続けた。
スバルが言葉に詰まると、「スバルはえらいね。外国で暮らしてきたのに、日本語がとても上手いよ」と、褒めてくれる。
だから、スバルは話を聞いてもらおうと一生懸命に続けた。

「…そうか。それは大変だったね。…僕が周りから聞いた話では、君のおばあさんは早くにご主人を亡くしてね。男の子がいたらしいけれど、その子も小さい頃に亡くなって…。君のお母さんも勝手に家を飛び出してずっと連絡がなかったみたいなんだ。男手がないと、農作業は大変だしね。なかなか貧しさからは抜け出せないよ」
「…ばあちゃん、かわいそう…」
「…スバルは優しいね。ご飯抜きって言われたのにさ。おばあさんを思ってあげるなんて」
「だって…。僕がここに来なきゃ、ばあちゃんはひもじい思いをしなくて良かったし…にわとりだって…」
スバルはまた自分の迂闊さを悔やんで、泣きそうになった。いくら謝っても死んだにわとりは生き返ったりしない。…魔力を使っても。

「にわとりの代わりに魚をたくさん捕って、おばあさんに持っていくっていうスバルのアイデアはとても良いと思う」
「ホント?」
「うん、僕も手伝おう。今の時期はイワナやニジマス、ヤマメも釣れる。沢山釣って、おばあさんに持って帰れば、きっとスバルを許してくれるよ」
「ホ、ホント?」
「ああ、きっとね。だからスバル。家の仕事は忙しいかもしれないけれど、暇を見つけてここに来いよ。もうすぐ夏休みだし、僕も時間がある。学校に行けないのなら、僕が使っていた教科書を君にあげる。わからないところは教えてやってもいい。おやつも持ってこよう。おにぎりやパン、饅頭や果物も。どうだい?スバル」
「…そんな…」
スバルは伸弥の申し出を聞いて、一瞬夢のようだと心を躍らせたが、すぐに警戒した。
なぜ伸弥が自分にそこまで親切にしてくれるのかが、全くわからない。と、言うよりむしろ怖かったのだ。

「嫌かい?」
「いいえ、とっても嬉しいけれど…。僕、代わりに差し上げるものはひとつもありません。だから、あの…」
「そうだね。タダより怖いものはないものね。まあ、タダじゃないよ。僕にだって、見返りがあると見込んで、君に親切にしてあげようと企んでいるんだよ」
「え?」
「僕はね、生まれてこの方、この村から出たことがない。まあ、買い物に街まで出かけたりはあるけどね。僕はこの田舎暮らしに飽き飽きしているし、一刻も早くこの村から出たいんだ。中学を卒業したら、街の高校へ進学して外国の大学に留学しようと思う。そして世界中を旅して、この目で色んなものを見たいんだ。だから外国から来たと言う君に、今まで暮らした街の様子とか、外国の言葉とかを、僕に教えて欲しいんだ」
「…」
スバルは不思議に伸弥の顔を眺めた。

こんなに素晴らしい自然に囲まれたところ、他の場所になんて滅多にないのに…。他所よりもずっとここがステキなのに…。

「スバルはどんな国にいたの?」
「え…あ、地中海の南の方とか、インディアとか…パルティアの山にも住んだことがあるけれど…」
「すごいじゃないか」
「でも、お母さんの…付き合ってる男の人は、あまり良い仕事をしている感じじゃなかったから…いつも警察とか、組織とかから逃げ回ってた。…悪い商人…なんだって」
スバルは麻薬密売人について深く知ることはなかったが、危険なものであることは嗅ぎ取っていた。できればそういう世界から母を救いたかったけれど、幼いスバルに何ができるわけでもなく、なにがあっても母の傍から離れない事ぐらいしか考えが及ばなかった。

結局、おかあさんは僕をここに捨て、あの男と一緒に悪い商売を続けているのだろう。…僕はおかあさんを救うことも、できなかったんだ…

スバルはまたグスグスと鼻を啜った。
「身体が冷えてしまったかな?ほら、僕のパーカーを貸してあげるよ」
伸弥は枝に掛けていた上着をスバルの肩に掛けた。スバルは驚いて伸弥を見上げた。
今までこんなに優しくしてもらったことなど、一度だってありはしなかった。
「ねえ、僕との取引に納得してくれた?」
スバルは伸弥の親切な言葉に何度も頷いて答えた。

「さあ、スバル。腹が膨れたら早速魚釣りだよ。沢山釣っておばあさんに喜んでもらおうよ」
「う、うんっ!」
伸弥の励ましに、スバルは元気よく立ち上がり、釣竿を持った伸弥の後を追いかけた。


午後になり、藁に繋いだ10匹以上の川魚を持って、祖母の家に帰ったスバルは、にわとりの件を何度も謝り、これからしばらくは魚を釣って食料を補うからと祖母に相談した。
祖母はスバルの持って帰った釣りの成果を怪訝に見つめたが、なにも言わず、それを受け取った。
その晩のヤマメの塩焼きは格別に美味く感じられ、スバルは心の中で何度も伸弥にお礼を言った。

伸弥さんみたいないいひとに巡り合えて、僕は幸運だな。
伸弥さんの為に、僕の魔力が役立つ日が来るといいなあ。
伸弥さんの為なら、僕はなんだって…なんだって、してあげたい…

眠りにつくその夜は、目を開けても閉じていても、スバルの頭に浮かんでくるのは、伸弥の眩しい笑顔だった。



スバルと伸弥1


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伸弥が単なるイイヒトがどうかは…これからの展開でわかってくるよ~


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