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2019-11

宿禰慧一編 「オレミユス」 10 - 2010.01.12 Tue

梓

10、
「…け、い…けい…」
 彼が初めて呼んだのは、俺の名前だった。

 凛一はハイハイもあまりせず、七か月もするとひとりで立ち上がり、さっさと伝え歩きを始めた。
 俺と梓は子育ての本を頼りに凛一を育てていたから、ハイハイをせずに歩き始めると腕の筋力が劣りがちになると本に書かれているのを見つけ、すわと凛一が立ち上がる前にうつ伏せにさせ、ハイハイを強要する。と、凛一は泣きながら座り込み、そのままお尻を上げ立ち上がってしまう有様。仕方がないので多少本と順番が違っていてもいいかと、梓と顔を見合わせ、凛一の思うままにさせていた。
俺たちの心配をよそに、ハイハイを覚えないまま、10ヶ月も経たぬうちに凛一はひとりで歩き始めた。
 
 俺と梓は右と左に別れ、離れて座らせた凛一をそれぞれに呼ぶ。
「凛、こっちにおいで。兄さまはここだよ」
「凛、こっちこっちよ。梓の方がお得よ」
「何がお得なんだよ」
 俺は梓に向かって詰問する。
「そのうちおっぱいがでるわ」
「…」
 いつの話だよ。まだ9つのガキのクセに。
「凛、おいで。梓姉さまのミルクなんて当てにならないよ。僕の方が凛の為になる」
「なんの?」
 今度は梓が納得できないという顔で俺を睨む。
「何回も凛を高い高いできるし、夜中だって梓みたいにすぐ疲れたなんて言わずに、朝まで抱っこしてやれる。お風呂にも大きくなっても一緒に入れる」
「ひどいわ。私だってずっと凛と一緒にお風呂に入るもん!」
「大人になったら男は女とは入りません。凛、男同士仲良くしようね~」
 ヨチヨチ歩きの凛一は、身体全体を懸命に揺らせ、きゃっきゃっとはしゃぎながら、俺の方に向かって歩いてくる。
「ほら、ごらん。やっぱり僕の方が好きなんだよ」
 前方に紅葉のようなかわいい両手を突き出して歩いてくる凛一を抱きとめようと、俺は両手一杯広げる。
「おいで、凛。大好きだよ」

 俺の指先が届く瞬間、リンリンと鈴の音が鳴った。
 凛一は即座にその音のする方を向く。
 梓が凛一のお気に入りの鈴のおもちゃを手にして手招きしている。
「凛、おいで。こっちの水が甘いわよ」
 あと僅かで手に届く凛一の身体はくるりと方向転換。そのまま梓に向かって行った。
 一目散におもちゃへ向かった凛一の身体は、梓の広げた両手にするりと納まった。
「ずるいぞ、おもちゃで気を引くなんて」
 俺は多少本気で憤慨しながら、凛一を抱く梓を睨んだ。
「凛にはお兄様よりこのおもちゃの方が大事ってことだわね。ねえ、凛」
 凛一を抱き締めた梓は凛の頬に嬉しそうにキスをする。
「…」
 おもちゃを手にして喜んでいる凛一を見たら、反論する気が失せた。

 ちぇっ、おもちゃがなかったら、凛一は僕の方を選んだのに…


 一歳のお祝いを過ぎると、マンマ、ブーブーなど色々な言葉が増えてくる。
 凛一は訳のわからない言葉で俺たちを楽しませてくれた。
「ねえ、かあさま。凛はいつになったら私達の名前を呼んでくれるの?」
 さっきから眠そうな凛一は母に抱かれると、さほどむずがらずにスヤスヤと寝息を立て始めた。
「そうねえ…もうすぐかしら。あなた達も最初は凛一と同じように片言が長かったから、凛もそうかしらね」
「最初にかあさまを呼ぶのは仕方がないとしても、早く私を呼ぶ凛の声を聞きたいわ。そうだわ、にいさま、賭けをしない。にいさまと私、どっちを先に凛が呼ぶか」
「あら、でも梓の名前は言いにくいから、慧一のほうが早いんじゃなくて」
「じゃあ、あーちゃんって呼ばせようかしら。それなら簡単でしょ?」
「あーちゃんって…柄じゃない」
 先に呼んで欲しいからって、そこまで拘るのか?
 妹の負けず嫌いに呆れながらも、最初に俺の名を呼んでくれればいいと、俺は言葉に出さずに祈った。


 家族全員が揃った日曜の午後だった。
 あの頃は、母の身体を気遣って、休暇でも外出などはせず、家の中でのんびりと過ごすのが我が家の休日の過ごし方だった。
 両親と俺たち家庭の団欒の中心にはいつも凛一がいた。

 ひとりで歩くのも随分上手くなり、広いリビングをここやあちらと歩き回る凛一を目で追っていると、ふいに凛一は俺の方を向き、「け、い…けい」と、片言の声を発しながら俺の方に向かって歩いてくる。
 俺は驚いて心臓が止まるかと思った。
 …言葉も出ない。
 凛はニコニコ笑いながら「けい、けい」と何度も俺の名前を呼ぶ。
 夢じゃないかと辺りを見渡す。両親も梓も驚いた様子で凛一の行方を見つめている。

「けい」と、呼ぶあいらしい声音。
「凛…凛一」
 俺はこの小さい身体を、俺に向かって歩く俺の光を受け止め、そして抱きしめた。
「けい、慧…」
「うん、そうだよ、凛。凛一の慧だ。慧だ。大好きだよ、凛…」
 俺の光、愛、希望、喜び…俺のすべて。
 おまえを離さない。

「あら、にいさま、泣いてるの?名前を呼ばれただけなのに」
「そうだよ。だってとても嬉しいから」
 俺はこぼれる涙も隠さずに言う。凛が小さい手を広げ、俺の頬に流れる涙をものめずらしそうに触っている。
「…そうね。きっと…私も凛から名前を呼ばれたら、きっと泣いてしまうわ」
「梓…」
「にいさまが羨ましい」
「梓だってすぐ呼んでくれるわよ」
 母が梓の頭を撫で、優しく宥めている。
「うん」
 母の膝に顔を埋めた梓の頬に光るものは、悔しさの涙だろうか、それとも俺の気持ちと同じように感じていたのだろうか。

「慧、けい」
 俺の腕の中で凛一は何かの呪文のように俺の名前を繰り返し、繰り返し呼んだ。


「…い、ケイイチ」
 背中を叩かれて、俺は夢から覚めた。
 見慣れた風景、書き散らした紙の散らばった机と目の前には真っ黒のスクリーンセーバー。ああ、いつもの研究室だ。
 …いつの間にかうたた寝していたのか。

「連日の徹夜で疲れているようだな、ケイイチ」
 同級生でもあり同じ研究グループのジャンが、目覚まし代わりのコーヒーを差し出した。
「ああ、でも目処はついたよ。あとはたわみの計算を纏めれば来週には提出できる。それはそうと何か用かい?」
「教授がお呼びだよ」
「この時間に?何事だろう」
 俺たちの間で名前を言わずに教授といえば、ブライアン教授を指す。
「悪い話じゃなさそうだったぜ。ご機嫌はよさそうだ」
「じゃあ、この間のコンペに出した近代都市デザインの結果が良かったのかな~。あれはリバティライセンスも兼ねているから、いい点数を貰えたらありがたい」
「就職の話は色々来ているのだろう?」
「ああ、一応心積もりはあるんだが…最終的に決断するのは、もう少しかかりそうだ」
「日本に帰るんだろう?」
「…なるだけね」
 俺は散らかした机の上をあらかた片付け席を立った。机の端に、この間の家族旅行の時に撮った4人揃った写真が飾ってある。俺の隣で穏やかに微笑んでいる凛一がいる。
 つい口元が緩む。
 ドアに向かう俺は、なんだか笑いを堪えているジャンを不思議に思った。

「なに?」
「いや、さっきのおまえの寝顔。嬉しそうな顔していた。なにかいい夢でも見てたのか?」
「別に…忘れたよ」
「そうかい。俺はまた可愛い弟の夢でも見ていたのかと思ってたよ」
[…」
 幸福な午後のまどろみを壊した張本人が言うなよ。

 ドアを閉める間際、机の写真の凛一が俺を呼んだ気がした。
 何も知らぬ赤ん坊の時の声ではなく、少年とも大人とも言えぬ不確かな、そして鮮やかに明瞭な声音で俺を呼ぶ。

「慧、俺の慧、愛してるよ」

 俺は微笑んで応える。

 ああ、俺も…ずっと…おまえが誰を愛そうが、ずっとおまえだけを愛しているよ、凛。

 
 彼が最初に呼んだ名前は、俺の名前だったんだ…






9へ /11へ
宿禰慧一のお話はこちら「イリュミナシオン」 
リンミナシリーズはこちらからどうぞ。目次へ


ただいま~・おかえり~

● COMMENT ●

「りん、大好きだよ」
これが2度出てきた。
これがひじょうにこころに迫った。

けいと梓ちゃんのやりとりがおかしかった。
「自分のほうがお得だ」

けいは可哀想な男だなあと、しみじみ思う。
でもりんにたいするその思いは美しい。

ところで「グリーンハウスがおわるまでは頑張る」って、この話が終了したらブログをやめるとか……そういうわけではないんでしょ?
でしょ?!
わたしが泣くからそういうことはいわないで。

え?…そういう意味じゃなくて…
グリーンハウスまでは頑張って書くけど、その後はダラダラ適当に続けるつもり…と、いうwww
泣かなくていいよ(;^ω^)

慧を書くのは楽しいねえ~自分じゃないものになれるから。
次は紫乃をちらっと書く。

ところで去年伽羅さんとこでやった企画物ってもうしないのかなあ~
あれ楽しかったけど…


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