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2019-11

宿禰凛一編 「HAPPY」 4 - 2010.06.11 Fri

4、
 ミナが可愛い、愛おしいと、この腕に抱きながらも、翌日には俺は慧一の腕を欲しがった。
 俺の胸に凭れて眠るミナの安心しきった穏やかな顔を眺め、慧一の胸で眠りにつく俺を思い描く。
 自分の業の深さに我ながら呆れてもみても、この感情だけは抑えることが出来なかった。
 ミナを抱いている現実が、まだ結ばれていない慧一との愛欲を益々募らせた。
 
 慧一が欲しい。どうすれば慧一がその気になるのだろう…
 俺の前で問題集を解くミナを前にして、その事ばかりを考えたりする。
 慧一が見ていたという天使の羽など、とっくの昔に引きちぎられたであろう。
 ならばその傷跡でもなぞらせようか。誰の所為でこうなったと詰ってやろうか…
 俺は慧の前では残酷になれる。

 春休みに入り、俺は慧一に会う為にニューヨークへ向かった。
 慧一には事前に連絡をするが、「仕事が忙しいから、こちらに来ても付き合ってやれない」と、一度は拒まれた。だけど「どうしても会いたいんだ」と泣きを入れ頼み込んだ。
 ニューアーク・リバティ空港へは夕方に到着し、仕事を終えた慧一はターミナルまで迎えに来ていた。
 三ヶ月ぶりの慧一を見た瞬間、今まで味わった事のない胸が締め付けられるような痛みが走った。
 言葉もなく慧一の胸に飛び込んだ。
「どうしたんだよ、凛…」
「だってさ…会いたかったんだよ」
 今までの兄弟の絆とは全く違う感情が俺の中には満ち溢れて、慧が恋しくてどうしようもない。
 慧一は「俺も会いたかった」と、呟き、抱き返してくれる。
 愛してる…その言葉しか浮かばない。

 夕暮れのハイウェイを慧一のランドクルーサーが走る。
 ミニクーパーからランクルへの変貌は一体なんだ?と、笑うしかないのがそれを伺ったら「要は気分だ。戦いには耐久性が必要だからな」と、わかったようなわからないようなことを言う。
 俺は慧一のこういう拘りが気に入っている。
「ニューヨークって言うからケネディ空港だとばかり思ったよ」
「仕事場はニューヨークだけど、アパートメントは対岸のニュージャージー州になるのさ。車は混むからもっぱら電車と地下鉄で通勤だよ。日本と丸の内界隈と変わりないかもね」
 空港から車で30分ほど走りユニオンシティのアパートメントに着いた。
 境界の壁が繋がったテラスハウスで、いわゆる借り上げの社宅なのだが、シカゴのアパートに比べ物にならないほど、広くて驚いた。
「慧ひとりで住むにしちゃ、広すぎない?」
「家族持ち用の社宅なんだよ。俺の前は五人家族が住んでいたらしい。ベッドやテーブルを残してくれた。ゲストルームでゆっくり寝れるよ」
「慧と一緒にくっ付いて寝るのが良かったのにさ」
 むくれる俺を見て慧一が苦笑する。
「あんまり俺を誘惑しないでおくれよ。毎日こき使われて正直、家には寝に帰ってるようなもんなんだ。おまえと駆け引きする余裕は今の俺にはないよ」
「そんなに忙しいの?」
「ああ、まだなんもわからんペーペーだからね。毎日戦々恐々たるもんさ。今まで長くやってた学生気分が抜けきってないってどやされる」
「…大変なんだね…」
 完全無欠だと思っていた慧一が怒られるんなんて想像つかないけどなあ。そういや少しやつれている気もする。
食事はちゃんと取っているんだろうか…なんか心配になってしまう。
「ね、慧。俺、ここにいる間は家事全般はやるからさ。気を使わないでくれ」
「そうしてもらえると助かるけど…」
「けど?」
「おまえは目立つからあんまり外へ出るんじゃないよ。昼間はいいが、犯罪の多い街には違わないからね」
「わかってるよ」
 にっこりと笑う俺を見て、慧一は眉をしかめて俺を睨んだ。
 なんで、睨むんだよ。

 結局、その日はキスもせずにお互い別々の部屋で寂しいひとり寝だ。
 セックスするかしないは別として、俺は慧一の温もりに包まれて寝るのを楽しみにしていたからかなり心残り。
 ここにいる20日間、俺と慧一の進展はあるのだろうかと心細くなる。

 慧一が仕事に行ってる間は、家事や近くのスーパーに買い物に行く。
 隣近所の社宅の人とも仲良くなり、色々と行きつけの場所を教えてもらう。
 日本企業の社宅なので日本人も多いが、アジアや西欧の家族の方も住んでいる。
 日本語、フランス語、イタリア語、英語とまぜこぜになりながらの井戸端会議も面白い。
 皆さん、俺を可愛がってくれる。
 ランチもしょっちゅう頂くし、ちゃっかり夕飯のおかずも貰えたりする。
 慧一は毎日帰宅が遅く、本当に企業人になったのだと疲れた顔を眺める。
 とてもじゃないが、甘える状況じゃない。

 折角の休日も疲れている慧一の様子じゃ、観光にでも連れて行ってと言うわけもいかず、そっと休ませておく。
 寝ている慧一を起こさないようにひとりで出かける事にした。
 アパートからはハドソン川を越えて摩天楼が良く見える。
 俺はフェリーに乗ってマンハッタンに向かった。
 ニューヨークの3月はまだ春の気配など到底伺えようもなく、コートの襟を立ててデッキから外を眺めた。
 タイムズスクエアなどの観光名所を地図を頼りに巡りながら、セントラルパークに辿りついた時は昼過ぎになっていた。
 休日の上天気も良く、公園の中は人で溢れ返っていた。
 遊歩道のベンチに座り、一息吐く。
 さすがに初めての土地は緊張する。しかも人種の坩堝、ニューヨークだもんなあ~
 散歩する人、ジョギングをする人に、観光客らしき人々…
 
 真向かいで幼い兄妹らしいふたりが手を繋いで笑い合っている。手を繋いでいない片方はそれぞれに赤と黄色の風船を握り締めている。
 ふと女の子の赤い風船が握り締めた手から離れ、ゆっくりと大空へ吸い込まれていく。
 女の子は大声で泣き始めた。男の子は女の子の目の前に座り、自分の持っていた黄色の風船を女の子に差し出す。泣くのをやめた女の子は男の子から風船を貰い、にっこりと笑った。
 
 一連の光景が何だか昔の慧一や梓のようで、心があったかくなった。
 大きく育ってしまった今の俺にでさえ、慧は躊躇う事無く、自分の大事なものを差し出すのだろう。
 俺はそれを受け取り、微笑み、慧と共に幸せになりたい。

「ほら、どうぞ」
 目の前に赤い風船が差し出された。
「え?」
 顔を上げて目の前の男を見る。
 サングラスをしていてもわかる彫りの深いダンディな日本人だ。
 緩めのオールバックの髪。知識を感じさせる額。気取ってはいないが洗練された仕立てのいいジャケット。
 40になるかならないかだろうが、サングラスの奥の目がやけに凄みがある。
 どう思い出しても見た事もない男だった。
「風船、欲しいんだろ?あの子供をずっと見てたじゃないか」
「…ありがたいけれど、知らない人からモノを貰うなって、家族にきつく言われているので結構です」
 慧一の戒めどおり、ニッコリと笑って断った。
「40になるおっさんにずっとこれを持ってろっていうのかい?折角買ったんだ。見返りはいらないから貰ってくれないかい?凛一くん」
「…俺を知ってるの?」
「ああ、良く知っているよ」
 俺は目の前に立つその男を、下から凝視した。
 無精ひげから笑った顔はどこかで見た気がした…

「もしかしたら…嶌谷さんの、従弟の…嶌谷宗二朗?」
「もしかしなくてもそうだよ。誠一郎のお気に入りの宿禰凛一くん」
 差し出された右手首の金のバングルは、確かに嶌谷さんがしているものと同じデザインだった。






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